第24話 そのミットに想いを込めて
「…………ふぅ」
「緊張してる?
「……うん。でも、それ以上にワクワクしてる」
「……そっか。ふふっ、頼もしいね」
それから、一ヶ月ほど経て。
マウンドにて、そんな会話を交わすわたし達。今日は夏の大会の1回戦――わたしにとっては、初めての公式戦。そして、その大切な先発のマウンドを、なんとわたしが任せてもらっているわけで。
だけど、もちろん光栄ではあるけれど……公式戦ということは、わたしにとってさほどの……少なくとも、今回はさほどの意味はなくて。わたしにとって大切なのは――この大会が、
『…………てん、こう……?』
『……うん。もちろん、みんなにもちゃんと伝えるけれど……でも、実松さんには一番に言わないと、って思って。……まあ、一応は記事にも載ってるし、もう知ってる子もいたと思うけど……でも、気を遣ってくれたんだろうね。誰も、そのことには触れないでいてくれて』
一ヶ月ほど前のこと。
帰り道、鴇河くんの言葉にポカンとするわたし。話によると、急な転校が決まったとのこと。理由は、プロ野球選手である鴇河くんのお父さんがトレードにより他県の球団へ移籍――つまりは、この土地を離れ他県へと移住することになったためで。
プロ野球の世界におけるトレードとは、言葉の通り球団の間で選手を交換すること。場合によっては、選手とお金で交換が成立する金銭トレードというのもあるみたいだけど……いずれにせよ、選手が拒否することは認められていないとのことで。……とは言え、トレードはお相手の球団に求められての移籍――なので、以前よりも出場機会が増える可能性が高いので、選手にとっては決して悲観することではないみたいだけれど。
だけど、お父さんは鴇河くんに希望を聞いてくれたみたいで。鴇河くんが望むなら、このままこの町でお母さんと――
そして、悩んだ末、鴇河くんはお父さんと一緒に行くことを選んだ。お父さんを一人にはしたくない、これからもお母さんと三人で暮らそうと伝えたみたいで。……うん、鴇河くんらしいね。わたしの良く知る、誰よりも優しい鴇河くんらしい。
そして、話し合いの結果――およそ一ヶ月後の夏の大会が終わるまでは、お母さんと二人でこちらに残ることに。どうしても、最後にみんなで大会に――そう、鴇河くんが強く望んでくれたみたいで。
『……ごめんね、実松さん。本当に……本当に、ごめんなさい』
そう、深く頭を下げる鴇河くん。その声は、聞いたこともないほどひどく震えていて。
でも、謝る必要なんてない。鴇河くんがわたし達のことをどれほど大切に思っているか、そしてこの決断がどれほど難しいものだったのかなんて、流石に分かってるつもりだし。
……ただ、それでも……分かっていても、もちろん悲しくないわけなくて。それはもう、言葉じゃ足りないくらい悲しかった。悲しくて、夜はしばらく毎日のように泣いていた。
……それでも、泣いてばかりもいられない。その間にも、鴇河くんとの時間は少しずつ……だったら、わたしができることは――
「――それじゃあ、実松さん。いつも言っててしつこいかもしれないけど……みんなが、ぼくがついてるから自信を持って投げよう」
「ううん、しつこくなんてない。ありがと、鴇河くん」
そして、晴れ渡る
そう、優しく告げホームの方へと向かっていく鴇河くん。いつものことだけど、その言葉に、笑顔にほんとに安心できて……うん、ありがとう鴇河くん。
「…………ふぅ」
深く、呼吸を整える。……そう、これが最後。これから先、もしもいつかどこかで会えたとしても……それでも、こうして鴇河くんと野球ができるのは、きっとこれが最後で。だから――
「……ふふっ」
「……実松さん?」
「ううん、なんでもない」
ふと、声がこぼれる。……ううん、なんでもない。ただ、思っただけ。そう言えば、昔は悩んでたんだなぁって。他の人より力が強い、なんて……今思えば、ほんとくだらない悩みを。
……うん、今は好きだよ。鴇河くんが言ってくれたように……今は、好きだよ。他の人より力が強い――そんな個性を、今は心から好きだって思える。それも、全部あなたのお陰。……そして、わたしはあなたが――
「――プレイボール!」
直後、コールが響く。そして、ゆっくりと振りかぶり腕を振るう。――そのミットに、ありったけの想いを込めて。
そのミットに想いを込めて 暦海 @koyomi-a
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます