第24話 見えない境界線
昼休み。
教室に響くざわめきの中、俺は弁当のふたを開けたものの、箸を持つ手が止まっていた。
隣の席では、彩香が黙々とノートを読んでいる。いつものように、おかずの感想を交わしたり、しょうもないことに笑ったり……そんな時間が今日はなかった。
午前中の授業でも、彩香はほとんど俺に目を向けなかった。
問いかければ答えてくれるけれど、それはどこか機械的で、まるで“教科書に載ってる模範解答”のようなものだった。
……俺、何をしたんだ?
その思考が、朝から何度もぐるぐる頭を巡っている。
実行委員の打ち合わせに付き合っただけ。藤崎と少し話しただけ。
あれの何が、引っかかったんだろうか。
「……あの、彩香」
意を決して声をかけると、彼女は少し間を置いて、ようやく顔を上げた。
「なに?」
短い返事。目線は俺を通り抜けて、窓の向こうを見ているようだった。
「さ、さっきさ、英語の授業のさ……リスニングの問題、けっこう難しかったよな? “recommendation”とか早口すぎて聞き取れなかったし……」
「ああ……うん、難しかったね」
それだけ言って、彼女はまた視線をノートに落とした。会話、終了。
俺は乾いた笑いを噛み殺して、弁当をかき込む。
なんかもう、どうしようもない。
***
放課後。
実行委員の簡単な打ち合わせがあると言われて、藤崎に呼ばれた。
「花宮くん、黒板のところお願いしてもいい?」
「ん、わかった」
黒板に意見を書いていると、ふと、視線を感じた気がして振り返った。
ドアの隙間から、誰かが覗いていた気がした。……けど、すぐにいなくなった。
まさか……いや、そんな都合よく、彩香なわけ――
「花宮、書き終わった?」
「あ、ああ。もうちょいで」
そのまま、なんでもない振りをして、チョークを置く。
***
教室に戻ったとき、彩香の姿はもうなかった。
机の上に残ったカバンも教科書もない。完全に帰った後だった。
帰り支度をしていた小桜が、ふと俺に目を向けた。
「……あれ? 彩香ちゃん、今日も図書室いかないって?」
「うん、なんか……疲れてるって」
「ふぅん……」
小桜は意味ありげに笑ったけど、何も言わずに荷物をまとめて出ていった。
その“ふぅん”が、やけに胸に残った。
図書室。
いつもの窓際の席にひとりで座ると、机にイヤホンを置いたまま、何もする気が起きなかった。
リスニングの教材を再生すれば、気が紛れるかもしれない――そう思ってイヤホンを片耳に差し込む。
けれど、流れてきた音声は、ただの“授業用の英語”でしかなかった。
昨日まで、あんなに近くに感じられた“声”も、“距離”も、今はまるで届かない場所にあるみたいで。
耳からイヤホンを外し、テーブルに置いたスマホの画面を見つめる。
――やっぱり、LINEを送らないと。
そう思ってアプリを開くけど、入力欄には何も打てなかった。
「今日、なんか機嫌悪い?」
「俺、何かしたかな?」
そんな言葉は、あまりにダサくて、送れるわけがなかった。
代わりに、前ふたりで話したアニソンのタイトルを検索して、YouTubeのリンクを開く。
イントロが流れると、彩香が小さな声で「テンション上がるよね」って言ってたのを思い出す。
あのときの彼女の顔は、どんな表情だったっけ。
きちんと思い出せないのが、余計に切なかった。
***
夜。
夕飯を食べたあと、机に向かっても、勉強には身が入らなかった。
問題集を開いても、頭に入ってくるのは単語じゃなくて、彼女の言葉や仕草ばかり。
――「すごく楽しい」って、言ってくれたのに。
――「今日はいいかな」って、あんなにもあっさりと。
前と今日で、何が違ったんだろう。
図書室での藤崎との打ち合わせ?
でも、それってそんなに気にされることか?
俺、ただ実行委員になっただけで――
「……それがダメだったのか?」
小さく呟いて、自分で自分の言葉に戸惑う。
いや、藤崎と楽しそうに話してたように見えた……のかもしれない。
でもあれは、本当にただの打ち合わせで、別に何か特別な感情なんて――
……けど。
もし“俺”が逆の立場だったら。
もし、彩香が他の男子と、あの距離で、あの雰囲気で話してたら――
……嫌だ。普通に、嫌だ。
そんなの、面白くないに決まってる。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
今ごろ気づいても、もう遅いかもしれない。
けど、それでも。
「……謝った方が、いいのかな」
スマホを手に取る。
再度LINEのトーク欄を開いて、迷いながら言葉を打ち込む。
「今日、ちょっと話せてよかったら、明日……放課後、図書室寄らない?」
送信ボタンを押す前に、何度も読み返しては、ため息をつく。
重すぎるかな。
いや、軽すぎるかもしれない。
今の“距離”に、何が正しいのか、もう自分でもわからなかった。
指が、送信ボタンの上で止まったまま、時間だけが過ぎていく。
結局、メッセージを送ることはできなかった。
そんな自分に、嫌気がさす。
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