波乱の文化祭準備

第22話 文化祭実行委員会

朝の教室。

窓の外には、どこまでも灰色の雲が広がっていた。

日差しはほとんどなく、教室全体がぼんやりとした薄暗さに包まれている。

そのせいか、空気もなんとなく重たく感じた


「……おはよう、裕樹くん」


隣の席から、いつもより少し控えめな声。

顔を上げると、彩香がこちらを見て微笑んでいた。


「おはよう、彩香」


昨日と同じやり取り。だけど、ほんのわずかに、彼女の目が笑っていない気がした。

もしかしたら、俺の気のせいかもしれない。だけど――何かが引っかかった。


1時間目のHR。

担任の神田先生が手にした書類をバサバサと机に置きながら、教壇に立った。


「はい、そろそろ文化祭の準備を始めます。テーマ決めとか役割分担とか、いろいろあるので、今日はその話な」


その一言に、教室がふわっとざわついた。

「やっと来たか」「なにやる?」「出し物楽しみー」――そんな声が飛び交う。


もちろん俺も、文化祭なんてまだまだ先の話だと思っていた。

けど、気づけば二か月を切っていたらしい。


「まずは実行委員決めます。男子一名、女子一名。手挙げー」


……シーン。


この沈黙、予想してたけど、わかりやすいな。

誰も手を挙げない空気に、先生が小さくため息をついた。


「じゃあ推薦でもいいぞー。はい、誰か推薦するやつ」


「……花宮とかどう?」


そう言ったのは、クラスの中心グループにいる女子の一人――藤崎。

テンション高めで、誰とでもフレンドリーに話すタイプ。俺とはあんまり接点がなかったけど……


「花宮、真面目だし、まとめ役とか向いてそうじゃない?」


……え?


教室の視線が一斉にこっちに向く。


「え、ちょ、いや、それは……」


「お、いいじゃん花宮。男子代表よろしく!」


「えええ……」


勝手に拍手が起きていく。

なんでこうなるんだよ……!


ちらりと横を見ると、彩香が何か言いかけて、でも口をつぐんだ。

その顔に、微かな不安の色が浮かんでいた気がした。


昼休み、教室。

席を立とうとした俺に、後ろから藤崎が声をかけてきた。


「花宮、ちょっといい? 文化祭の打ち合わせ、少しだけ。空き教室で」


「え? もうやんの?」


「軽く方向性の確認だけ。10分で終わるから!」


「わかった……」


俺が教室を出るとき、彩香が一瞬だけこちらを見た。

その目に浮かんだものは――何だったんだろう。言葉にはならなかったけれど。


***


放課後。

席で荷物をまとめていた俺に、彩香が小さな声で話しかけてきた。


「……今日は、藤崎さんと一緒だったんだね」


「ああ、昼に文化祭のことで軽く打ち合わせしてて。ちょっと話が長引いてさ」


「……そうなんだ。なんか、楽しそうだったね」


その一言が、胸に刺さる。


「いや、別に……普通の話だったよ?」


「うん、わかってる。別に、気にしてないから」


「そっか……」


それ以上、彩香は何も言わなかった。

だけど、視線は少しだけ下がって、声もほんの少しだけ小さくなっていた。


そのわずかな変化に気づいたのは、俺が彼女のことをよく見ているから――だと思う。


「なあ彩香。放課後、図書室寄ってく? リスニング、また一緒に聴こうかなって」


昨日と同じ提案。俺なりのフォローのつもりだった。


「……ううん、今日はいいかな」


でも、返ってきたのは、いつもの彼女からは想像できないくらい、あっさりとした断りだった。


「あ……そっか」


軽く流したつもりでも、言葉の切れ端に滲んだ寂しさは、たぶん隠しきれてなかったと思う。


「じゃあ、また明日……ね?」


「うん。また明日」


それだけを交わして、彼女は俺より先に教室を出ていった。

その後ろ姿が、小さく見えた。


帰り道。


ひとりで歩く夕暮れの街。

昨日はあんなに楽しかったのに――今日は、なぜこんなに胸がざわつくんだろう。


文化祭の話なんて、ただの学校行事のはずなのに。


でも、たったひとつ、思い当たることがある。


――「楽しそうだったね」


あの言葉には、ただの感想じゃない“何か”が滲んでいた。

それを俺は、気のせいと流していいのか、正直わからなかった。


***


一方、彩香もまた、帰りの電車の中で、スマホを握りしめていた。


ホームに立つ自分が、ふとガラスに映った顔を見て、思った。


――何やってるんだろ、わたし。


裕樹くんが、文化祭の実行委員に選ばれるのは、当然かもしれない。

真面目で、ちゃんとしてて、信頼されてる証拠。


なのに、どうしてこんなにも胸がもやもやするんだろう。


「花宮って真面目だし」

「男子代表よろしく!」


――藤崎さんの声が、耳に残ってる。


別に、悪気があったわけじゃない。

それはわかってる。頭では。


(なんで私、立候補しなかったんだろ)


なんだろう。この感じ。


「……自分でもよくわかんない」


そう呟いて、イヤホンを耳に差す。

昨日、ふたりで聴いたアニソンの曲が、再生された。


だけど今日は、それがあまりにも遠く感じた。

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