夏よどこにも行かないで

うみまちときを

夏よどこにも行かないで

 誰かが窓の外で機関銃をぶっ放している。

 そんな音がしたから、私も行かなくちゃと思った。

 拳銃を片手に駅を目指した。

 街ではどうだか知らないけれど、私が住む畑と田んぼしかないような田舎では夜中10時というと誰も外を出歩いていない。

 通学に使っている自転車にまたがって、ひたすら夜を走る。

 等距離に立っている電燈も田畑までは照らさない。

 私が進むべき道だけがぼんやりした明かりで浮かんでいる。

「……あ! のんこ」

「え、うわあああ!!」

 右側からふと名前を呼ばれて目を向けると、そこに同級生が立っていた。

 ハンドルを思いっきり左にきった。

 ブレーキをかけそびれて私は暗闇の中に落ちていく。

 ぬるくてやわらかい泥濘。

 のんこ~、だいじょうぶか~。

 笑っている、あいつは田んぼに転がり落ちた私を笑っている。

 同級生のスマホのライトで泥だらけの自転車が照らされる。

「はー! 最悪だわ」

「ちょっと、びっくりしたよ。大丈夫?」

「なみがいきなり話かけるからなんだけど。てゆうか、どこから出てきた?」

「どこって、畑から」ここの隣、うちの畑。

 なんの抵抗もなく田んぼに入ってきたなみは私に手を伸べる。

「ありがとう」なんとか立ち上がる。部屋着は泥だらけだ。

「こんな夜中に、自転車でどこに行くつもりだったの?」

「駅。東京に行こうと思って」

「は? 東京? ごめん、なに言ってるかわからない」

「これ見て」

「うんうん」

 なみは手早く私の自転車を畦道まで担ぎ出し、田んぼの中にいる私の手元をスマホのライトで照らした。

「……黒い、何それ」

「拳銃」

「うける。てか早く上がってきな」


 自転車に二人乗りをして、駅を目指す。

 出発前になみはいったん家に顔を出して

「ちょっとのんこと話してくるから帰り遅くなるよ」

 とおじさんに言い残した。

 それからスイカバーアイスを2つ持ってきてくれた。

「うまいな、スイカバー。ところで、どうして東京に?」

「さっきからずっと機関銃を撃つ音がしてるじゃん」

「機関銃……? 聞こえないけど。機関銃なんかで撃たれたら大変だよ」

「でも、じっとしていられない。聞こえちゃったんだから、私も行かなきゃいけない。とにかく参加しなくちゃ、銃撃戦に。こんな田舎でのんびり若さを消費するなんてもったいない。スローライフはね、老後か来世でいいの」

「のんこは耳がいいからな。一体どこの銃声だよ」なんも聞こえないよおー。なみが自転車の後ろであくびをした。

 私たちの住む田舎に駅はない。

 山を一つ越えた先にある隣村まで行かなければならない。

 ここよりは若干栄えた場所だ。

 小さい頃からどこかへ遊びにいく度に通る、山を貫通するトンネルを自転車で走る。

「車いなくてラッキーだね」

「そりゃこんな時間にうちの村に来る人なんていないもん」

「ねえ、意図的に考えないようにしてきたんだけど、このトンネルってホラー映画に出てきそうじゃない?」

「うわー、それ言う? いま言っちゃう?」

「あははー、ごめーん」

 なみが私の後ろで楽しそうに笑っている。

 一度意識してしまうと、もはやこのトンネルは映画『犬鳴村』のトンネルにしか見えない。

 高校一年生のある夜中、教室にクラスの有志で泊まりこみ、映画『犬鳴村』を観た。

 観終わったら解散しようという話だったのに、結局みんな恐ろしくなって、帰宅したのは翌日の放課後だった。

 確か今日くらいの気温の夏の日。

 なみの笑い声がトンネルにこだまする。

 あの時は楽しかったね。

「なみ、頼むからそのままずっと笑ってて」

「えーなにそれ、告白みたいで好き」

 なにも恐れることはない。

 もうすぐにトンネルを抜ける。

 なみはそれからトンネルを抜ける直前までずっとくだらないことで笑っていた。

 話がつまらない彼氏の話を面白おかしく話してくれた。

 だから、すぐには気づかなかった。

 機関銃の音が大きくなっていることに。

「音が大きくなってる」

「え?」なみは黙って耳を澄ました。

「あ、ほんとだ。聞こえる。機関銃みたいな音……」

「やっぱり聞こえるよね。急ごう」

 私は先ほどよりも強くペダルを踏みんだ。

 トンネルを抜けると、そこはもう隣村だ。

 パラララララララ、と音が大きくなる。

 断続的な乾いた音。


「うわあ、綺麗じゃん」


 パッとなみの顔が光に照らされる。

 大きな花火が打ちあがった。

 それからいくつも小さな花火がいっぺんに空に咲いて、輝く。

 遠くで花火師たちの怒号が聞こえる。

 宙を照らす光の粒が、絶え間なく撃ちだされていく。

 私たちはトンネルの近くに自転車を止めて、空を見上げながらゆっくりと歩いた。   

 至る所で、村人たちが手持ち花火をしている。

 地上も空も色とりどりの火が光る。

「銃声じゃなかったね」白い腕を私に絡ませてなみが言う。「銃撃戦なんて起きてないんだから、東京なんて行く必要なくない?」今はまだ。

「……うーん」私は自分の右手に収まった拳銃を眺めた。

 なみの腕をほどいて、銃口を彼女に向ける。

「のんこ」

「私は東京に行く」

「なんで? 一緒にいようよ。ここでおばあちゃんになっても、笑っていようよ」

「どれだけ苦しくても、至らなくて死んでしまったとしても、私は何者かになろうとしてみたい。ここじゃ、それはできない」

「そっかあ」なみは呟いて、首を傾けて笑った。

 彼女の後ろに大きな花火が咲いた。

 なみの顔を見ていると泣きたくなる。

 どうしてこの場所を受け入れられるの? 

 この閉鎖的な共同体で、どうして一生を過ごそうと思うの? 

 でも、私は聞かない。聞くことができない。

 私はこの村の外に憧れてきってしまっているから、なみの言葉を聞いてもきっと理解できない。

 心のどこかで、理解する意味すらないと思っている。

「じゃあ、のんこは私を殺せるの? その拳銃で。私を殺して、なれるかもわからない何者かになるなんて曖昧な挑戦をしにいくわけ?」

「うん。きっと、できる」

「そっか……そっかあ」

 なみが私に近づく。

 私は指先に力をこめる。

 なみは私の首に腕を回した。

 鼓動が聞こえる。なみの鼓動も、私の鼓動も。

 機関銃が鳴っている。

 綺麗な花火が上がっている。

 銃口はなみの腹に当たっている。

 私はそのまま引き金をひいた。

 甲高く、乾いた音が響く。


「ごめんね」

「いいよ、ぜんぜん。のんこの人生だもん」

「私、なみのこと大好きだよ」

「照れる。私も好き」

 私たちは道端で抱き合ったまま、ひたすら笑った。

 なぜかわからないけど、ひとしきり笑い終わったら涙が出てきた。

 ただでさえ暑い夏なのに、なみの体温を暖かいと思えた。

 私たちは田畑のはざまでひとつになれたような気がした。

 気づいたときには花火は終わっていて、私たちは暗闇の中で手をつないで帰った。

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