第五十八話 まだ始まったばかりの物語
祭壇の中心に輝く「ダンジョンコア」を、ヴィシュヌ・アヴァターラの傷だらけの腕が掴み取る。
その瞬間、翔は一つの事実に気づいた。
ドラゴンが消滅し、コアが抜き取られたにもかかわらず、この最深部の空間は、崩壊する気配を一切見せなかったのだ。
翔が訝しげに祭壇を見下ろすと、コアがあった場所で、空間そのものが僅かに揺らぎ、光の粒子が渦を巻き始めていた。
それはまるで、失われた臓器を再生させるかのように、ゆっくりと、しかし確実に、新たなコアの核を形成しようとしている光景だった。
(そうか……このダンジョンは、生きているんだ)
一度クリアすれば終わり、という単純なものではない。
星を守るための迎撃要塞は、その機能を維持するために、半永久的に自己修復を続けるのだ。
その事実が、これからの戦いの苛酷さを、翔に静かに予感させていた。
「帰るぞ、ヴィシュヌ。俺たちの帰りを待っている人がいる」
翔は相棒に語りかけ、転移の間へと機体を向けた。
光の奔流が収まった時、目の前に広がっていたのは、見慣れたダンジョンの岩肌だった。
しばらく移動するとゲートの向こうから差し込む、懐かしい地上の光が見えた。
ゲートが開くと同時に、待ち構えていた律子とルナが駆け寄ってくる。
彼女たちの視線は、ボロボロになったヴィシュヌの姿と、その手に握られたダンジョンコアに釘付けになっていた。
「翔ちゃん……! よく、帰ってきてくれた……!」
「おかえりなさい、ショウ」
涙ぐむ律子と、静かに、しかし深い安堵の表情を浮かべるルナ。
だが、感傷に浸っている時間はなかった。
「律子、ルナ、これを!」
翔は、ヴィシュヌのハッチを開け、厳重な保護フィールドに包まれたダンジョンコアを二人へと手渡す。
その瞬間から、戦場は翔から彼女たちへと移った。
「解析データ通り! 急いで! JGDSAの技術班、準備はいいわね!」
律子の檄が飛ぶ。
待機していたJGDSAの特殊車両が展開し、即席のクリーンルームと超精密加工施設を構築する。
運び込まれたダンジョンコアは、生命の光を放つ心臓そのものだった。
律子が設計し、氷川が政府を通して各研究機関から集めさせたパーツを元に、ルナの知識を用いて調整を施していく。
それは、現代科学と超古代文明の技術の融合。
ダンジョンコアを、人間の体内で機能させるための、人工心臓ユニットへの組み込み手術だった。
数時間に及ぶ精密作業の末、ついにそれは完成した。
白金色の筐体の中で、ダンジョンコアが穏やかな光を脈動させている。
「――『ダンジョンハート』。完成よ」
律子が、汗を拭いながら呟いた。
完成した奇跡の心臓は、特殊な冷却ジェルで満たされたクーラーボックスへと慎重に収められ、待機していたヘリコプターで中央総合病院へと急送されていった。
病院では、氷川が手配した日本最高峰の医療チームが、その到着を今か今かと待ち構えていた。
地上へと帰還した翔たちを待っていたのは、休む間もない、時間との戦いだった。
---
手術室のランプが、消えた。
数時間に及ぶ、前代未聞の移植手術。
ドアが開き、執刀医が疲労困憊の表情で現れた。
「……物理的な移植は、成功しました。ですが、これほど強大な未知のエネルギー臓器を、生身の人間が受け入れられるかどうか……。あとは、妹さんの生命力と、その……『ダンジョンハート』の力に委ねるしかありません」
翔、律子、ルナ、そして氷川が見守る中、美咲が眠る集中治療室のドアが開かれる。
ガラス越しではない、本当の妹の姿。
様々な生命維持装置に繋がれ、青白い顔で眠るその姿は、今にも消えてしまいそうに儚かった。
彼女の胸には、ガーゼの下に、埋め込まれたダンジョンハートがうっすらと光を放っているのが見えた。
「……ルナ」
翔が、祈るように呟く。
頷いたルナが、そっと美咲の手に触れた。
彼女が、眠れるシステムを覚醒させるための「鍵」なのだ。
「――目覚めの時です。星のゆりかごの子。起動」
ルナが、まるで詩を詠うかのように紡いだ言葉が、引き金となった。
美咲の胸に埋め込まれたダンジョンハートが、ひときわ強い、温かい光を放ち始める。
光は、美咲の体全体へと広がり、その小さな体を光の繭のように包み込んだ。
すると、信じられない光景が起こった。
美咲の体から、まるで黒い煙のような、禍々しい瘴気がふわりと浮かび上がり、光に触れて霧散していくのだ。
それは、彼女の魂を蝕んでいた、アビスウォーカーの呪いの残滓。
ダンジョンコアが放つ生命の光が、その呪いを浄化していく。
やがて、全ての瘴気が消え失せ、光がゆっくりと収まっていった時。
「……ん……」
小さく、声が漏れた。
そして、数年もの間、固く閉じられていた美咲の瞼が、ぴくりと震え、ゆっくりと、本当にゆっくりと、開かれた。
まだ焦点の合わない瞳が、ぼんやりと宙を彷徨い、やがて、ベッドの傍らに立つ兄の姿を捉えた。
「……お兄……ちゃん……?」
掠れた、しかし、確かに翔を呼ぶ声。
その瞬間、翔の心のダムが、決壊した。
「……美咲っ……! 美咲……っ!」
涙が、後から後から溢れ出して、止まらなかった。
彼は、何度も、何度も、愛しい妹の名前を呼びながら、その痩せた手を壊れ物を扱うかのようにそっと握りしめた。
律子も、ルナも、そして、怜悧な仮面を外した氷川さえも、その奇跡の光景に静かに涙を流していた。
長かった戦いの、一つの温かい終着点だった。
---
数日後。
美咲の容態は、奇跡的な速度で回復へと向かっていた。
まだリハビリは必要だが、自分の足で歩けるようになる日もそう遠くはないだろう。
その報告を受け、翔たちは律子の工房で、久しぶりに穏やかな時間を過ごしていた。
だが、その空気は、どこか張り詰めたものを含んでいた。
誰もが、口には出さないが、理解していたからだ。
戦いは、終わっていない。
「――君たちが持ち帰った、ダンジョンコアの記憶情報。その解析結果が出た」
工房を訪れた氷川が、厳しい表情で切り出した。
彼女が巨大なモニターに映し出したのは、日本列島、そして、世界地図だった。
「まず、この習志野ダンジョン。コアが再生を始めたことで、ダンジョンの崩壊は免れた。だが、ゲートの綻びから漏れ出すアビスウォーカーの瘴気は、完全に防ぎきれていない。瘴気が一定濃度に達すれば、第二、第三の狂えるドラゴンが生まれかねない。定期的に最深部まで到達し、コアの力で瘴気を浄化する……いわば、『ダンジョン掃除』が必要になる」
モニターに、新たな情報が追加される。
世界地図の、アメリカ、中国、ロシア、ブラジル……各地に、赤い警告マーカーが、次々と点灯していく。
「そして、最悪の知らせだ。君たちの活躍で習志野ダンジョンのシステムが再起動したことに呼応するように、世界各地に存在する同規模のダンジョンが、一斉に活性化を始めた。まるで、地球全体が、来るべき侵略に備えて、臨戦態勢に入ったかのように」
壮大すぎる、現実。
翔たちが成し遂げたことは、妹を救うという奇跡であると同時に、世界中を目覚めさせてしまうという、パンドラの箱を開ける行為でもあったのだ。
「我々は、地球という一つの生命体の上で、否応なく、異次元の侵略者との戦争に巻き込まれた。そして、君たちとヴィシュヌ・アヴァターラは、現状、人類が持つ最強の『剣』だ」
氷川は、まっすぐに翔を見据えた。
その瞳には、もはや監視者としての色はない。
共に戦う者への、信頼と期待の色が宿っていた。
---
JGDSAの巨大なドック。
そこに、一体の巨人が静かに佇んでいた。
ドラゴンとの死闘で負った全ての傷は完全に修復され、さらに、コアから得られた情報を元にした最終調整が施されている。
以前よりもさらに力強く、そして神々しくさえ見える漆黒の機体――ヴィシュヌ・アヴァターラ。
その前に、翔、律子、そしてルナの三人が立つ。
彼らの顔に、悲壮感はなかった。
やるべきことが明確になった、戦士の顔をしていた。
「準備はいいな、二人とも」
翔が問うと、律子が悪戯っぽく笑い、ルナが静かに頷いた。
「当たり前でしょ。あんた一人じゃ、一秒だって戦えないんだから。この天才メカニック様がいないとね!」
「ショウの剣は、私達が研ぎます。それが、私達の戦い」
三人の心は、一つだった。
翔は、仲間たちの顔を交互に見つめ、そして、愛機へと向き直った。
「行くぞ」
その声は、静かだが、揺るぎない決意に満ちていた。
「俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ」
妹を救うための個人的な戦いは、終わった。
しかし、星とそこに住む全ての人々の未来を守るための本当の戦いが、今、幕を開ける。
次なる戦いの舞台――世界中に広がるダンジョンを。
そして、その先にいるであろう未知なる敵「アビスウォーカー」をその瞳で見据え、三人と一機のまだ始まったばかりの物語が再び動き出そうとしていた。
~あとがき~
かなり急、というか無茶な速度で本作はいったんの終わりを迎えます。
ここまで本作を楽しんでくださりありがとうございました!
「裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした」という作品も書いてます!!
そちらはドラゴンノベルスのコンテストにて特別賞を受賞しました!
https://kakuyomu.jp/works/16818622171998107368
良かったらこちらも読んでみてください!!
以上!!
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貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺がSF兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜 オテテヤワラカカニ(KEINO) @417
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