第5話「静寂に潜む刃」

──夜明け前、迎賓館の裏口。


静けさの中、フードをかぶったレイジがセレスティアを先導していた。

彼女はまだ完全には従属していない。だが、“揺らいで”いた。


(私は……何をされて、何を感じてしまったの……?)


処女将軍・セレスティア・ファル=レギオノス。

絶対統制の精神構造を誇った彼女の中に、“何か”が確かに芽生えていた。


「……どこへ連れていく気?」


「“選ぶため”だよ。君自身の未来を」


レイジの声は、いつものように軽やかで、それでいて深い底を孕んでいた。


王都の地下へと続く隠された通路。

彼らが辿り着いたのは、正規の地図には存在しない領域――

古代遺跡を改造した《影の層(シャドウ・レイヤー)》だった。


灯りは仄暗く、空気には魔力の残滓と血の匂いが漂う。

情報屋、密売人、非合法の術者たちが蠢く世界。


「……まるで、帝都の裏返しね」


「それが“真実”ってことさ。

君が守ってきた秩序は、いつもこの闇に支えられていた」


やがて、巨大な黒曜石の門に辿り着く。

中央には、黒曜石の円壇と、その上に浮かぶ“書”があった。


宙に浮遊し、まるで呼吸するかのように脈動するその書は、

革表紙に縫い込まれたような“血の糸”が、時折うごめいていた。

周囲の空気は重く、魔力というよりも“意思”のようなものが渦巻いている。


「……これが、《誓約書》?」


セレスティアが低く呟くと、レイジはうなずいた。


「黒曜に属する者は皆、この“書”に名前を刻む。

それは、単なる名簿や契約ではない。

その者の“存在”が、黒曜の根源と繋がる儀式だ」


「……まるで、魂の契約」


「言い得て妙だね。だが、強制ではない。

君の意思で触れ、君の意思で名前を刻む。

それをしない限り、誰も君を黒曜の一員とは認めない」


セレスティアは円壇へとゆっくり近づいた。

“書”はまるで彼女の接近を察知したかのように、低く唸るような音を発し、

ページがゆっくりと――勝手に開かれていく。


開かれたページには、いくつもの名前が刻まれていた。

どれも、魔力の残滓を放つ“本物”の痕跡。

しかし、その筆跡は奇妙なことに、一つとして同じものがなかった。


「……これは?」


「書かせているんじゃない。“書かせられる”んだ。

その者の本質が、最も深い名で記される。

つまり、“真名”が」


セレスティアの息が止まる。


「私の……真名……?」


「君の名前じゃない。“魂が持つ、最も裸の形”。

だからこれに触れるということは、武器を手放すことにも等しい。

自分のすべてを曝け出し、黒曜の胎に入るってことさ」


円壇の上の“書”が、彼女を見ていた。


“さあ、触れろ。お前はもう、選ぶしかない”


そう言わんばかりに。


セレスティアの右手が、ゆっくりと伸びる。

迷いと、本能の衝動とがせめぎ合い、指先が本のページに届こうとした――


「……やめておけ」


その瞬間、奥から響いたのは、低く鈍い声だった。


セレスティアが振り返ると、長身の男の影が柱の陰に立っていた。

顔は見えない。ただ、その声には威圧感があった。


「まだ早い。彼女の中の“答え”が曖昧すぎる」


「……気にするな。彼は慎重派なんだ。

だが俺は……君がこの書に触れる資格があると思っている」


レイジは軽く肩をすくめ、そして微笑んだ。


「どうする、セレスティア。君の未来は、まだ君のものだ」


セレスティアは黙って“書”を見つめ続けた。

その魔力の脈動が、次第に自分の鼓動と一致し始める――


(これは、“招かれている”)


そして彼女は、そっと手を下ろした。


「……まだよ。私の中に……本当に確かな答えが出るまでは」


レイジは頷いた。

「それでいい。今は“見る”だけで十分だ。

……君の中には、もう火種が灯ってるからね」


その背後で、“誓約書”が再びゆっくりとページを閉じた。

まるで、また来る時を待つように。


そしてセレスティアは、知らず自分の心に問いかけていた。


(私の“本質”……私の、真の名前って――なんなの?)


その答えが、やがてすべてを変える。



---


次回予告:第六話「淫靡なる訓練、快楽に染まる氷華」


“黒曜”の迎賓館に囚われたセレスティアに課されるのは、

武力でも拷問でもない――“快楽”による調教。


感情を制御し、すべてを理性で抑えてきた彼女の身体に、

じわじわと忍び込む“悦楽の教育”が始まる。


抗うことすら誇りだった王女が、

その誇りを削り取られるたび、

知らなかった“甘美な疼き”に心を蝕まれていく。


これは屈辱か、それとも救済か――


そして、彼女を導く“影の指導者”がついに姿を現す。


冷たく咲いた氷の花が、熱を知ったとき、

それはもう二度と――元には戻れない。

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《黒曜の王》〜最強の男と600人の美少女たちによる異世界裏帝国〜 @naririru

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