オバケのページをめくる

水森みどり

電子書籍リーダーのオバケ

「きみは……」

「あなたの電子書籍リーダー【ブックワーム】です、見ればわかるでしょう」

たしかに、そこにいるのはブックカバー型のアーモンドの花のカバーが付いた私のブックワームだ。かれこれ5年くらい前から一緒にいる気がする。

「……どうして?」

「何が、どうして? なんですか? この手足が生えて、目が開いた姿のことですか?」

「そう、どうして?」

そう、どうしてなんだ、その姿は何なんだ。

アーモンドの花のカバーが付いた私のブックワームは今や黒い木の棒のような二本の足で立ち、同じく黒い木の棒のような二本の腕をくの字に曲げて側面に沿わせ、そして表面には大きな黒い瞳が一つ。ぱちり、ぱちり、と長いまつ毛が時折まばたきをする。

「あなたのせいですよ」

「私の?」

「あなたが私で本を読んでくれないから」

その言葉には心当たりがあった。

5年ほど前、父からの誕生日プレゼントに貰った電子書籍リーダー、ブックワーム。最初は大喜びで、自由に使えるお金があれば電子書籍を購入したし、セールの度に電子書籍を眺めたし、どこに行くにもカバンに入れて持って歩いた。それが今やどうだ。床に積まれた本たちの真ん中辺りで、ブックワームが居心地悪そうにしているじゃないか。……ん?

「あれ? あそこにいるのはなに? 本体?」

「そうです。私は思念体、オバケです」

そう言うとブックワームのオバケは木の棒のような腕でオバケのポーズをとってみせた。なるほど。


「あなたは最初、私のことをすごく可愛がってくれた。いろんな本を入れてくれたし、いろんなところへ連れて行ってくれた」

「うん、そうだね」

「でもそれは最初だけ。だんだんあなたは私を見なくなった」

ブックワームのオバケはその真っ黒な一つしかない瞳で私を食い入るように見た。

「そう、だね」

「そうでしょう。紙の本は場所を取るなぁ、しまう場所がないなぁ、なんて言いながら紙の本ばかり買って、そちらを読んでいる」

「うん」

「どうして?」

ブックワームのオバケが私にそう尋ねた。

本当のことを言うかちょっと悩んだ。きっとこの子にとって私がこれから話す話はいい話ではない。今はもしかしたら怒りのエネルギーでそこに立っているのかもしれないが、話を聞いたら落ち込んで泣いてしまうかもしれない。

でも、きっとこの子は私の本心が聞きたくてこうしてオバケになって現れたのだろう。だから私は本当のことを話すことにした。

「あのね、これは君のせいではないし、君の悪口でもないから落ち着いて聞いてほしいのだけれども」

「はい」

「あのね、電子書籍ってね、何度もページを行きつ戻りつする読み方に向いていないんだ。例えばしばらく開いてなかった本。前のページに戻りたい。でもどこまで戻ればいいのかイマイチ判然としない。ページ数で覚えてればいいんだろうけど、そんなことができるならここまでの話も覚えてるはずなんだ。あと、物語の伏線を確認したい時も不便だ。だいたいこのあたりのページだったはずという、右手と左手にそれぞれ持っていた紙の量、重さが頼りになる場面で君にはそれが無い」

ブックワームのオバケの長いまつ毛がゆっくりと下がり、またゆっくりと上がった。

「でも私は言葉にハイライトを引くことができる。ページにインデックスをつけることもできる」

「物語には、ここが大事です、とか、ここが伏線です、と説明がついてるわけではないんだ」

「そう、そうね」

そこでブックワームのオバケはまたゆっくりとまばたきをした。

「あとね」

「まだあるの? 私の悪口」

ブックワームのオバケに口はないのに、なんだかムスッと口をへの字にしているように見えた。不機嫌なオーラが漂う。私は急いで訂正した。

「悪口ではないんだ、君はそのように人に作られて、そのように生きなさいとされただけ。君の意識でそうなったわけではない。ただ、私の読書スタイルと合わなかっただけなんだ。それを伝えてるだけ」

「いいでしょう、聞きます」

ブックワームのオバケの両腕がにゅいーんと伸びて正面で組まれた。深刻な場面なので笑うわけにはいかなかったがなんだかおもしろかった。どういう仕組みなんだろう。

「物語のラストが近づいたことが残りのページでわからない」

「それは分かりますよ? どこまで読んだかを%で表示しているもの。読み終わるまでの時間を表示することだってできる。あなたの使い方が悪いのよ」

「そうだね、私のミスで残りの割合を表示していなかっただけなんだけど、その時に読んでいたお話が急に衝撃的な終わり方をしたからビックリしてしまったんだ」

ごめんね、というとブックワームのオバケは組んでいた腕をみょーんと縮めて本体の脇に下げた。


「あのね、私の話も聞いてくれる?」

「もちろん」

ブックワームのオバケの大きな瞳には焦りが浮かんでいるように見えた。

「私はね、もう長くないの」

「えっ」

「バッテリーが弱ってきてるの。タッチの反応も新品のころよりずっと遅くなってる」

「そんな」

私は軽い目眩を覚えた。これからもずっと一緒にいられるつもりでいたのに、急に別れの時が近いことを突きつけられて心臓が跳ねた。

更にブックワームのオバケは続ける。

「あのね、私に入ってる物語を、私は勝手に開くことができないの」

「そうなの?」

「そうなの。あなたが本を開いてくれないと、あなたがページをめくってくれないと私は続きが読めないの。読みかけの物語がたくさんあるわ。私、このまま、物語の終わりを知らないまま終わるなんて嫌。欲を言えば、もっとたくさんのお話が読みたい」

ブックワームのオバケの大きな瞳が涙で潤んでいた。

「私に物語の続きをみせて」

そう言うと今度はアーモンドの花の絵柄が薄くなって、向こう側が透けてきた。

「待って、消えないで!」

「消えないわ、いつもそこにいるわよ」


だから、私で、私と一緒に本を読んでね。


そう言うと、さらりと何も残さずブックワームのオバケは消えた。

私は慌てて積まれた本に挟まったブックワームを引っ張り出すと、部屋の隅にまとめられたコード類のなかから充電ケーブルを探して電源を入れた。まだ電気がつく、よかった。



翌日の夜、私は真っ暗な部屋の中でブックワームの柔らかな明かりを頼りに読書をしていた。読みかけになっていた村山早紀先生の『不思議カフェ NEKOMIMI』を読み進め、やっぱり先生の物語が好きだなぁと思った。この子も、この物語を気に入ってくれてるといいんだけど。


明日は新しい物語を買うのもいいかもしれない。

なにかセール、やってるかな。

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オバケのページをめくる 水森みどり @midoriminamori

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