第37話 人間戦後
森が静かだった。あのバトルの熱も、衝撃も、嘘みたいに消えて。ちょっとした雨上がりみたいな、妙に清々しい空気だけが残っていた。
でも、その中心にいるのが“喋る木”っていうのが、いろいろおかしい。
で、なんで僕、今その木と会話してるんだ?
でかすぎる幹の前に立って、僕はぽりぽりと頭をかいた。僕、普通に生きてただけなんだけどなぁ……なんで木に怒られなきゃいけないんだろ。
『ほんに……お主は加減というものを知らぬのか』
ほら、始まった。脳内に直接語りかけてくる重低音のじいちゃんボイス。いわゆる念話。発信元はこの木だ。通称、トレントさん。でかい。太い。揺れる。
だから、加減はしてたってば……!
『ほう、あれでか? お主が突撃せずとも、わしの根があと五秒早ければ、あの短剣の者を絡め取れておった』
だって、ディーがやられそうだったし……なんか、間に合わない気がしたんだよ。
『結果的には良い判断じゃった。お主が飛び込んだ瞬間、あやつの動きがほんのわずか鈍ったからのう』
それ、結果論だよね?
『ふぉっふぉ……その通りじゃ』
幹の表皮がミシミシと軋んで、どこか楽しそうに見えた。たぶん今、笑ってる。木のくせに。
で、ええと……その……槍の奴は?
『気絶させて、東のほら穴に閉じ込めておいたわ』
死んではないよね?
『あやつ、耐久だけは一級じゃ。腹に根を一本通したが、肋骨がちと砕けた程度じゃ』
十分すぎる重傷なんだが……。
『回復魔草も与えておいた。動けるようになるのに三日はかかるまい』
はあ……ありがと、トレントさん。助かった。
『おやおや、礼など珍しい。やっと魔王らしくなってきおったか?』
いや違うよ。トレントさんはどんな魔王像を創造してんの。
『“王”とはそういうものじゃろう? 他者を引き寄せ、守られ、導く……』
そんなに重く考えたことないよ……僕。ただ、ディーを放っとけなかっただけで。
『ふむ。ならばそれでよい。……お主の“それだけ”が、周囲を動かすのじゃ』
ちょっと、重いって。
『……お主、ほんに変わったのう』
それ、最近よく言われる。変わったのか、変えられたのかは……わかんないけど。
風が木の枝を揺らし、ひときわ大きな葉がひらひらと落ちてきた。僕はそれをキャッチして、しばらく眺める。
ところで、ディーは……?
『岩陰で耳を寝かせておる。わしの根が差し入れを持っていったら、八割だけかじって投げおった』
絶妙に拗ねてる!!
『ふぉっふぉっ……まあ、すぐ戻るじゃろう。あやつはお主に執着が強いからのう』
なんか、言い方が怖い。
『あやつ、王の背に立たされた瞬間、目が潤んでおったぞ』
うわーやめてーそういうの言わないでーっ!
幹の内側から響くような、楽しげな“ギギギ”という軋みが聞こえた。こっちは本気で恥ずかしいのに、向こうは完全に面白がってる。完全に“近所のひねくれじじい”だなこれ。
でも……まあ。俺があそこで飛び出したのは、本当に、無意識だった。
考えるより先に身体が動いてて。ディーが、怖がってるとか、傷つきそうだとか、そういうのもあったけど──
多分、あいつの目を見て、瞬間的にわかったんだ。
任せろって。そう、思ってしまったんだ。
……ほんと、僕には魔王の素質とか、ないと思う。
『それでよいのじゃ』
へ?
『“魔王”である必要など、どこにもない。ただ、わしらの“王”でいてくれればよい』
ちょっと待って、それ結局魔王って呼ばれるやつじゃん。
『ふぉっふぉっ……違いのわからぬ男よのう』
ほんと、なんなんだこの森。人も魔物も木も、ちっとも“普通”がいない。
でもまあ、そういうの、嫌いじゃないかも。
……さて。ちょっと拗ねてるディーを、なだめにいくか。
『言うておくが、あやつ、かなり根に持つぞ? なでるだけでは許されまいぞ?』
それもうゴブリンじゃなくて、めんどくさい彼女なんよ。
『くれぐれも背中は預けぬようにな?』
やかましいわ。
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