【第1章 空白の報告書】6話

 保護対象としての手続きが進む間も、ユナは庁舎近くの保護室で静かに過ごしていた。白石は定期的に訪れ、ユナの描いた絵と会話を積み重ねていた。


 それは証言ではなく、断片的な“感情のスケッチ”だった。

 だが、そこには確かに何かが映り込んでいる──記録されなかった事実の輪郭が。


 


 その日の午後、白石はユナに問いかけた。


 「ユナちゃん。もうちょっとだけ、お話、聞かせてくれる?」


 ユナはおずおずと頷き、色鉛筆を持つ手を止めた。


 「このとき……お母さんが、どこかに行こうとしてた?」


 白石は、一枚のスケッチを指さした。そこには、小さなキャリーバッグと、開きかけたドアが描かれていた。


 「うん。でも、いかなかった。だれか、きたから……」


 「誰が?」


 ユナは顔を伏せたまま、ポケットから折りたたんだ紙を取り出す。

 それは、小さな封筒の切れ端だった。白石はそれを受け取り、裏返す。


 そこにあったのは、文字ではなく、見覚えのあるマークだった。


 ──記録庁内部で使用される“封印処理コード”の簡易ロゴ。


 「……なんで、これを?」


 「ポストに、はいってたの。おかあさん、これ見てから、すごくこわい顔してた」


 


 白石はその封筒を慎重に扱い、庁内の暗号処理課に照会をかける。

 しばらくして戻ってきたのは、“処理済みコードに一致”という一文と、件名不詳の記録番号だった。


 「この記録番号……藤咲麻衣の削除前データに付いてたコードに近い。……やっぱり、何かが繋がってる」


 


 その夜。


 白石はひとり、封印対象記録の監査データベースにアクセスした。通常は閲覧不可能な領域だ。だが、ユナの絵と、あの切れ端が“裏付け”になると信じていた。


 それでも、簡単には開かない。

 必要なのは、封印対象に“正当な再調査理由”を示すアクセスコード。


 白石は、ユナが描いた数枚の絵と、封筒の切れ端の画像を照会書類に添付する。

 “証拠能力は不十分”──その前提のもとで、それでも記録庁の外周に届くよう願いながら。


 


 送信の直後、背後で足音がした。振り向くと、黒川が立っていた。


 「やるとは思ったが…。」


 白石は身構える。


 「主任……記録されなかったものを、今度こそ“記録”にするために必要だと思ったんです」


 黒川は一歩近づき、モニターを覗き込む。そして、封筒の画像を見た瞬間、目を細めた。


 「……これは、内部の封印手続きでも使わない形式だ。……旧コードかもしれない」


 「旧コード?」


 「記録庁設立以前の、統合前の組織で使われてたものだ。正式には廃止されたはずだ…。」


 沈黙が流れる。


 「つまり、これは“古い手”で、今の制度の隙間に何かを隠そうと…?」


 黒川は唇を噛み、画面を見つめた。


 「白石。俺もひとつ照会をかけてみる。こっちは“公式ルート”でだ。だが、情報が出てくるまで動くな」


 「わかりました。でも……主任」


 「ん?」


 「ユナの絵は、証言じゃない。でも、彼女が“記録”しようとしたものです。私たちは、それをちゃんと扱わないといけないと思います」


 黒川はしばし黙り、静かにうなずいた。


 「わかっている…」


 


 誰かが意図的に“記録”を消した。

 だが、それでも残ったものがある──小さな手が描いた、絵の中の真実。


 白石はモニターの電源を落とし、椅子から立ち上がった。


 この扉は、誰が閉じたのか。

 そして、誰がそれを開けるべきなのか。


 その答えに、少しずつ近づいている──そう感じていた。

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記録されなかった真実 @Shiraishi_Hitomi

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