第22話 僕が書く、君と生きていく物語
世界の真実は、あまりにも優しく、そして、残酷な愛に満ちていた。
僕が忘れていた過去。僕が忘れてはいけなかった、二人の親友の顔。その全てが、濁流のように僕の魂に流れ込み、僕は、ただ、その場に崩れて泣くことしかできなかった。
カケル。凪。
ごめん。ごめんな。俺が、弱かったから。俺が、真実から逃げたから。お前たちを、こんなにも苦しめてしまった。
目の前のモニターは、無機質な光を放ち、僕に最後の選択を迫り続ける。
『このまま、全ての記憶を受け入れ、仮想現実“Mementos”を終了しますか?』【YES】
『それとも、全ての記憶を再び封印し、安定した仮想世界での“治療”を継続しますか?』【NO】
【NO】を選べば、僕は、この地獄のような記憶から解放される。カケルの死の痛みも、凪の犠牲の悲しみも、全て忘れて、何一つ矛盾のない、穏やかな日常へと戻ることができる。それは、どれほど甘美な救いだろうか。
だが、それは、二人が命がけで繋いでくれた想いを、僕自身の手で踏みにじる行為だ。彼らの存在そのものを、僕の人生から、永遠に消し去ってしまうことだ。
それは、肉体は生きていても、僕の魂が、完全に死ぬことを意味していた。
僕が、答えを出せずにいると。
真っ白な空間に、二人の幻影が、ふわりと浮かび上がった。
一人は、バグ化する前の、僕が大好きだった、優しい笑顔の天音カケル。
『湊。ごめんな。俺のせいで、お前をずっと苦しめて……。俺は、お前に生きててほしかっただけなんだ。だから、もう忘れていいんだよ。辛いことは全部忘れて、楽になれよ』
彼は、そう言って、悲しそうに笑った。
もう一人は、僕が文芸部室で出会った、儚げで、けれど、誰よりも強い光をその瞳に宿した、綾瀬凪。
『相川くん。私の物語の結末は、あなたが決めていいの。あなたが選んだ結末が、私にとっての、最高のハッピーエンドだから』
彼女は、そう言って、僕が一番好きだった、あの花が綻ぶような笑顔を見せた。
ああ、そうか。
そうだよな。
お前たちは、いつだって、そうだった。
自分のことより、いつも、俺のことばかり。
涙が、止まらなかった。でも、それはもう、悲しみや後悔の涙ではなかった。感謝と、愛しさと、そして、前に進むための、決意の涙だった。
僕は、二人の幻影に向かって、はっきりと告げた。
「ありがとう。カケル。凪」
「忘れないよ。絶対に。お前たちが、俺のためにしてくれたこと、全部。お前たちがくれた、痛みも、悲しみも、優しさも、愛も、全部。全部抱えて、俺は、生きていく」
「それが、俺の選ぶ物語だ。俺が、主人公の、物語だ」
二人の幻影が、満足そうに、そして、愛おしそうに、頷いた気がした。
僕は、モニターに向き直る。
そして、震える指で、迷うことなく、【YES】のボタンを、強く、押した。
その瞬間、世界が、真っ白な光に包まれた。
次に僕が目を覚ました時、最初に感じたのは、腕に巻かれたギプスがなくなっていることと、消毒液の匂い、そして、僕の手を固く握りしめる、温かい感触だった。
「……湊……! 湊……!」
母の、泣きじゃくる声。その隣には、静かに涙を流す、父の姿があった。
白い天井。点滴のスタンド。ここは、病院の一室。
現実だ。
僕は、8年前の夏、あの交通事故でカケルを失ったショックから、ずっと、このベッドの上で眠り続けていたのだ。僕が経験した高校二年生の日々は、全て、僕の心を治療するための、長大な仮想現実だった。
「……父さん、母さん。ただいま」
僕のかすれた声に、両親はさらに強く泣き崩れた。
僕の記憶は、全て、そこにあった。カケルの笑顔も、凪の涙も、僕が腕を折った時の痛みも、仮想空間での出来事の全てを、僕は、はっきりと覚えていた。まるで、昨日起こったことのように。
数ヶ月後。
僕は、長いリハビリを終え、病院を退院した。失われた8年間はあまりにも大きく、僕は高校へ復学する道を選ばず、自分のペースで未来へと進むことに決めた。
僕は、一人で、杉戸高野台へ向かった。
向かった先は、僕と、カケルと、そして凪が、いつも一緒に遊んだ、あのひまわり畑。夏の終わりの日差しを浴びて、ひまわりたちが、誇らしげに空を見上げている。
その、丘の上に。
小さな墓標が、二つ、寄り添うように並んで立っていた。
一つは、『天音カケル』。
そして、もう一つは、『綾瀬凪』。
彼女もまた、カケルの、そして僕の、幼馴染だった。
カケルが死んだ後、彼女は、僕と同じように、深い悲しみを抱えていた。そして、僕が長期の昏睡状態に陥り、記憶補完治療プロジェクト『Mementos』の被験者になったことを知った。彼女は、カケルの遺志を、そして、僕との思い出を守るために、自ら危険なプロジェクトへの協力を申し出たのだ。僕の記憶が戻るように、僕の心が壊れないように、外部からシステムを監視し、導き、そして、最後には、自らの命を削って、僕を現実へと送り返してくれた。
僕が仮想空間で体験した彼女との出会いや出来事は、彼女が僕のために用意してくれた、最後の物語だったのだ。
僕は、二人の墓前に、一冊の大学ノートを供えた。僕が、あの狂った世界で、正気を保つために書き続けた、『抵抗の記録』。
「お前たちがくれた物語は、ちゃんと、俺が受け取ったよ」
そして、僕は、新しいノートと、万年筆を取り出した。
表紙に、タイトルを書き込む。
『死んだ君が書いた小説の続きを、僕はまだ読んでいる』
これは、お前たちが紡いでくれた物語の、続き。
今度は、僕が、この現実の世界で、書き始める。
お前たちの記憶と、愛と、そして、このどうしようもない悲しみと共に、生きていく。それが、僕の人生という、物語だ。
僕は、万年筆のキャップを外し、最初のページに、そのペン先を、静かに落とした。
死んだ君が書いた小説の続きを、僕はまだ読んでいる りょあくん @Ryoakun
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