砕け散る秘色 或いは 水妖の墳墓

palomino4th

くだけちるひそく あるいは オンディーヌのふんぼ

 私は弾丸だんがんだった。

 止められない速度の中、貴女あなたという標的をとらえて撃たれた弾丸。

 止まるのは生命の尽きる地点だった。

 未来がそこで完全になくなる瞬間、いえ、そもそも初めから未来など存在していなかった。

 ほんのわずかの瞬間なのに、たくさんの記憶が線画になり一枚に重なり私の前に現れる。

 その中央にいるのは貴女。

 私の頭を埋め尽くしあらゆるものを色せさせた、あどけない顔の少女。

 円環の文字盤を背に貴女の眼差しは私を射抜いている。


————————————————————


 貴女の肌は滅多に血の色を通わせず、表情を表に出すこともなかった。

 貴女は月明かりで染めたような白と灰青の容貌ようぼうと滑らかな両手を持って私と一緒に学校生活の日々を過ごしていた。


 私たちは冬の生き物だった。

 暑い日盛ひざかりに耐えきれず、秋の訪れを待ちながら共に生き辛い学校生活をやり過ごしてた。

 貴女自身が無造作に切っている髪が好きだった。

 襟足えりあしを隠すくらいに揃えた後ろと、日の光をいとうように目蓋まぶたに被さるまま伸ばされた前髪は他人をこばんでいた。

 だからこそ私だけは貴女の傍にいてもいいのではないかと思っていたのだ。


————————————————————


 大切な友達、と貴女は私のことを言った。

 大切な友達、と私は貴女のことを言った。

 私たちは学校の中、この世界の中に永久に溶け込むことのできない異分子だった。

 かたくなに他者を拒んでいた。

 それで良かった。

 私たちは互いだけを見ているだけで良かった。


 貴女はごく自然に世界のそこかしこにある美しいものを見つけ出し、それを私に、私だけにそっと教えてくれた。

 音楽、絵画、映画、文学。

 子供のものではないけれど、普通の大人が見過ごしてきたような、隠れた場所に象嵌ぞうがんされていた美しいものを私の前に持ち寄ってはその感動を二人だけで共有していた。


 貴女の白い面差しに落ちる青磁せいじ色の影はどこまでも美しかった。

 私は貴女に嘘をついていた。

 いつの間にか貴女を「大切な友達」とはまるで思っていなかったこと、それに気づきながらこれまで通り振る舞ってきたこと。

 私は貴女のことを愛してしまっていたのに。

 

 そして貴女は私に嘘をついたことはなかった。

 私を「大切な友達」として、それは永劫に「大切な友達」として留め置くために真実の言葉にしていた。


————————————————————


 秋のある日、いつも通り二人だけで話していた時、私はさりげなく貴女の二の腕に手を乗せた。

 貴女の微かな身体の震えをてのひらに感じたかった。

 私は貴女に触れていたかった。

 でも貴女は私の手を——ほとんど無意識に——振り払った。

 邪険さも嫌がるそぶりでもなく、ただ自然に距離を保とうとするように、貴女は私の手から身体を離した。

 貴女は本能的に気づいてしまっていたのだ。

 私が女でいながら貴女に恋をして深く求めていたことを。

 深く隠していながら、いつの日か飛び出して貴女と一つになろうという望みを抱いてしまったことを。

 それを貴女はっきり意識の上で気づいたのかは分からない。

 でも私を降り払う、拒絶する仕草はそこにあった。

 私は貴女から拒まれていたのだ。

 きっと貴女は自分の動きに気がついて、そしてその時に私の気持ちにも気がついたのだと思う。

 

 貴女はただ私を近づけないようにしたわけじゃなかった。

 貴女は私の前で一人の男子の話をするようになった。

 貴女の意識ではそれは同性の友達だけに打ち明ける恋の話、だったのかもしれない。

 でも水底では貴女の庭に入りこもうとする私から城塞で囲むように貴女自身をまもるための防御だった。

 

 私は女性でありながら女性を愛するという、この「禁忌タブー」が今の世界で受け入れられていくかどうかにはまるで興味がなかった。

 世界中の人々から狂っていると、異常だと、迫害されてもどうでも良かった。

 ただ一人、貴女という存在が私を、私の魂を受け入れてさえくれたのならば。

 でもその唯一の希望は絶たれてしまった。

 貴女の代わりなんてこの世界にはないのに。

 だから私は貴女を誰にも渡さないように私だけのものにしなければならなかった。


————————————————————


 秋から冬になり、貴女は次第に私を避けるようになっていった。

 もしかしたら私の思いを拒むために、気になる男子の話をしていたのかもしれない。

 実在していたのか、架空だったのか、今となっては分からない、でもどうでもいいことだ。

 貴女が私を永久に拒んだことに比べれば。


————————————————————


 私はその寒い冬の夕刻、人気ひとけなく無人になった学校で下校しようとする貴女を引き留めた。

 校舎に囲まれた、中庭にある小さな休憩スペース、円環の噴水のある場所まで二人で歩いた。

 大事な話と言いながらなかなか本題を話そうとしない私に、貴女はうんざりしていた。

 友達だった筈なのに、今の私は貴女にとって厄介やっかいな重荷になってしまった。

 二人で話しても会話はなかなか重ならなかった、貴女の心はもう私のもとにはなかったのだ。

 貴女が一刻も早くこの場から去りたがっているのが私には分かった、それがとても悲しかったし腹立たしかった。

 我慢がまんをしかね、あきれ果てた貴女が立ち去ろうと私に背中を向けた瞬間、私はひもを取り出し、丸い輪を貴女の首にかけた。

 そうして貴女の背中に私の背中を合わせ、後ろ向きに背負うように腰を落としながら思い切り紐の両端をしぼり上げた。

 人気ない校舎の窓には誰もいない、私の罪を見つめる眼はなかった。

 背後で首を締める紐を外そうと貴女がもがいてるのが分かった。

 喉を締め上げられた貴女は助けの声も出せずに。

 私はとても悲しい気持ちで、一刻も早く、大好きな貴女をこの苦しみから救ってあげたくて力を込めた。

 ……背中にかかった貴女の身体の重みが変わった。

 四肢が完全に力を無くして垂れ下がっていた。

 貴女の心が完全に消えたのが分かった。

 

 校舎から見ている者はいないかった。

 私は貴女のバッグを拾い、そして貴女の身体を探った。

 スカートのポケットに入っているものを確かめると、自転車の鍵を取り出した。

 

 私は貴女の身体を噴水の氷の上に乗せ、割った。

 それから私は凍えかけながら裸足になり、用意しておいたポリ袋で両脚を包み、氷の張った噴水の中に足を差し入れた。

 噴水の中央、水を噴き上げるオブジェの近くまで引きずり、構造物の台座の影になるべく隠れるように貴女の身体を置いた。

 頭の先や足の先などが隠れ切らなかったけれども、夜のうちに水面が再び凍結して不透明になれば、よほど注意深くならなければ見つけることもないだろう。

 表面に不自然な痕跡が残っていたとしても、その意味に気がつくような者はいない。

 私は貴女を氷のひとやに閉じ込めた。

 

 貴女のバッグと、脱がせた靴を袋に入れて自転車置き場まで急ぎ、貴女の自転車を探し出して私は出庫させた。

 冬の早く薄暗い夕刻、貴女の振りをして自転車で貴女の帰途をなぞった。

 途中、ルートを外れ川を目指した。

 土手まで上がり、ごく普通の自転車で帰宅する高校生の女子として走らせた。

 知らない人にしてみれば、私も貴女も区別がつく筈ない。

 土手の歩道にはジョギングや犬の散歩をする人々。

 人の姿が少なくなったあたりで、川岸の方へ降りた。

 それから草の原を抜けて水辺の端まで来た。

 私は自転車を降りると、勢いをつけて自転車を川に押し出した。

 自転車は川岸に引っかかり横倒しになった。

 水音もさほど立たず、ただ流れの音が続いていた。

 バッグも自転車の近くの辺りに放り投げた。

 それから脱がしてきた貴女の靴をそれぞれ流れの方に放り投げた。

 この川でも私のやりおおせたことを見ていた眼はなかった。

 私はそのまま自分の荷物を持って場所を離れた。

 離れたところから土手に上がり、徒歩の下校の振りをした。

 

 その夜、帰宅しなかった貴女の消息を貴女の家族が問い合わせてきた。

 友人である私の家に立ち寄ってはいないか、と連絡があったけれど、私は下校は別々だったと答えた。

 両親の前で心配する振りをしつつ、私は自室に戻った。

 そして破棄した貴女のバッグから唯一取り出しておいた、布カバーでくるまれていた本一冊を取り出した。

 落ち着いたテキスタイルのキルトで作られていたブックカバー、貴女はいつも携行していたもので私もずっとお馴染みのものだった。

 貴女は本に没頭するといつも外の世界から自分を切り離してしまった。

 世界のすべて、そう、読書中は私ですら貴女の中に入ることは許されなかった。

 私はそっと表紙を開いて中を見た。

 貴女が最後に読んでいたのは詩集だった。

 『吉原よしはら幸子さちこ詩集』。


————————————————————


 翌日、学校でも貴女のことが話題になった。

 何か知っていること・気づいたことがあれば教師らに伝えるように、と生徒は言われた。

 程なく、——私の目論見もくろみ通り——川岸で自転車とバッグが見つかり、貴女が何かの理由で川岸まで降り、川に転落したか、もしくは何者かに誘拐をされたのではないかという話になっていた。

 貴女の足取りの調査は川の周辺と街の方に向いて、学校の中の方にまでは意識が向かなかった。

 今や貴女の身体は私だけのものになったのだ。

 遅くとも、春までに水面の氷が解ければ貴女は皆に見つかってしまう、それまでの間だけは。


————————————————————


 私は自分の犯した罪から隠れながら、一方で私を裁きに来る使いを待っていたのだ。

 たった一人、貴女の身体を独り占めしている時間が長続きして欲しいのと同時に、私自身はそのひたいに罰を受けるべきなのだ、と思っていた。

 けれど警察の追及は私のところまでは届いていなかった。

 地上で起きること、流れる時間はどこまでも見当違いで、私たちに流れる時間とまるで違っているのだった。

 

 そして私の犯罪を、私の過ちを見つけ出し、断罪をしにやってきたのは探偵や警察じゃなかった。

 貴女が読んでいた最後の本、吉原幸子の詩集。

 貴女がしおり一枚を挟んでいた頁にあった詩、「オンディーヌ」。

 

 

   純粋とはこの世でひとつの病気です

   愛を併発してそれは重くなる

   だから

   あなたはもうひとりのあなたを

   病気のオンディーヌ をさがせばよかった

 

 

 吉原幸子の詩の言葉が、私の耳に貴女の声で流れ込んできた。

 貴女を手にかけた私にとって吉原幸子の詩の言葉はあまりに鋭い刃だった。

 そして、(そんな筈はないのに)私に殺められることを予期していたかのように、私が覗き込むことを知っていたかのように挟まれていたしおりから始まる「オンディーヌ」。

 詩人は別のことを書いていた筈なのに、殺人者になった私には、まるで貴女と私について唄われた詩のように読めてくるのだった。

 

 

   さびしいなんて

   はじめから あたりまえだった

   ふたつの孤独の接点が

   スパークして

   とびのくやうに

   ふたつの孤独を完成する

 

 

 貴女の声が生きている時よりももっと深く、もっと近くに響いてきた。

 あどけなく私を見返す貴女がいる。

 貴女の薄青い姿を縁取る背中の花と冥界に舞い飛ぶ蝶の乱れ。

 貴女の背後にある時計の文字盤が私に迫ってくる、弾丸になった私に。


————————————————————


 そう、もう終わりの瞬間。

 貴女のいない本当の灰色だけになった学校の幾日か。

 冬の寒さが少しずつゆるみ始めた。

 貴女の睡る噴水の氷のふたはまだ開かなかったけれども、わずかずつ表面が透き通ってきたようだった。

 中庭で騒ぎが起こった。

 生徒の誰かが噴水の中に睡る少女に気づいたようだった。

 悲鳴と同時に校舎のあちこちでざわめきが起こった。

 はっきりしない中で生徒たちはさざめき、教諭たちが抑えて皆が中庭に近づかないように教室に戻るよう声をあげていた。

 時間の問題だった。

 もう貴女の身体は引き上げられ、心と同じように私の手の届かないところに連れ去られてしまうのだ。

 そしてようやく私のところに警察はやってくるのだろう……。

 待っていた断罪がようやく実現する。

 

 でも、私の望みは何?

 こんな小細工こざいくまでしてきて、何を望んでいたの。

 私は心から貴女が欲しかったのは確かだ。

 でもそれ以上に私を貴女に捧げたかったのだ。

 

 私は教室を抜け出した。

 途中、教諭の一人に見咎められたが気分が悪くてトイレに行くと嘘をつき、目を離した隙に姿を隠して階段に向かった。

 屋上に通じるドアは当然閉鎖されている。

 側面についている窓も通り抜けはできないように突き出し窓にされている。

 私は戻り、廊下を移動した。

 幾人かの生徒は野次馬になって廊下を歩き回っていた。

 教諭たちは職員室や中庭付近でことの対処に追われているところだろう。

 もしかしたら警察が来るまで手をつけないようにしているのかもしれない。

 貴女はまだ水の下にいる……。

 階下の廊下では教室を抜け出した数人の生徒たちが噴水の方を見て何か話している。

 三学年は自由登校なので、この階の廊下は今無人だった。

 中庭を巡る校舎の最上階、噴水の真正面の位置まで来た。

 私は噴水までの距離を確かめた。

 それから躊躇ためらいいなく窓を開けて窓枠に乗った。

 真上から見る円環の噴水は時計盤だった。

 時刻を示す数字も針も無い時計盤。

 中庭にいた教諭は私の姿に気がつき大声を上げていた。

 私は少しだけ戸惑ったけれども、噴水の中央を目掛けて跳躍ちょうやくした。


————————————————————


 私は弾丸だった。

 止められない速度の中、貴女という標的をとらえて撃たれた弾丸。

 止まる時は生命の尽きる地点だった。

 そこで砕け散るのは私。

 永遠のようなこの瞬間の終わり、全てが一枚のタブローに重ね合わさる瞬間、私は貴女の中に届かずに粉々になる。

 私自身が世界から奪い取った貴女、そして私自身も貴女から遥かにへだてられた。

 最期の希望は贋物にせものの時計盤、噴水の円環の水にこの身を投げ出すこと。

 そうして私の赤い血は花弁になって、水葬された貴女の唇に届くのなら。


 ——貴女は真赤な断片になった私を食べてくれるのでしょうか。


————————————————————


*****

 

文中の引用

吉原幸子「オンディーヌ 」Ⅰ より

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

砕け散る秘色 或いは 水妖の墳墓 palomino4th @palomino4th

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ