第45話親友の結婚式に行けない
夜九時すぎ。
細い路地を抜けると、いつものようにやさしい光が店の窓からこぼれていた。
カラン、とドアベルが鳴く。
マスター小鳥遊はサイフォンを温めていた手を止め、微笑んで迎えた。
「いらっしゃいませ。どうぞ、こちらへ。」
入ってきたのは、三十代前半くらいの女性。
きちんとした格好をしているが、表情はどこか陰を落としている。
カウンターに腰を下ろし、しばらく黙ったままバッグの紐を握りしめていた。
「……コーヒーはいかがなさいますか?」
「……カフェラテを……。」
「かしこまりました。」
サイフォンの湯がふつふつと踊り、店内にやさしい音が広がる。
やがて彼女は、ぽつりと話しはじめた。
「……今度、親友の結婚式があるんです。
でも……どうしても、行けなくて……。」
マスターは黙って耳を傾ける。
「仕事が忙しいわけじゃないんです。
でも……最近、色々あって気持ちが沈んでて……“おめでとう”って、素直に言える自信がなくて……。
そんな自分が会場にいるのは、彼女に失礼なんじゃないかって……。」
カップに注がれたカフェラテから、ほのかな甘い湯気が立ちのぼる。
マスターはそれをそっと差し出し、静かに語りかけた。
「――あなたは、その親友のことをとても大切に思っているんですね。」
彼女はカップを見つめ、かすかにうなずく。
「……大切な人です。でも、今の私じゃ……。」
「あなたが悩んでいるのは、行くか行かないかではなく、
“どんな気持ちで向き合えばいいか”なのかもしれませんね。」
彼女は小さく目を伏せた。
「……そうかもしれません……。」
「親友なら、あなたがどんな気持ちでいても、きっと理解してくれるでしょう。
無理に笑顔を作る必要はありません。
ただ、ひと言でも“おめでとう”と伝えること、それだけで十分なんです。」
彼女はカフェラテをひと口すすり、胸の奥のつかえが少し溶けるのを感じた。
「……そうですよね……ちゃんと伝えなきゃ、ですよね。」
「ええ。
直接でも、手紙でも、言葉はきっと届きます。
大切なのは、あなたがその人を想う気持ちですから。」
彼女はカップを置き、静かに笑った。
「……ありがとうございます。……もう少し、素直になってみます。」
マスターはやさしく頷いた。
「――それがきっと、いちばんの贈り物になりますよ。」
カラン、とドアベルが鳴り、夜風が店内をそっと撫でていく。
その背中は、来たときよりも少しだけ軽やかに見えた。
カウンターの奥で、小鳥遊マスターはカップを拭きながら、
窓の外を見やり、静かに呟いた。
「――どんな気持ちでも、“おめでとう”は届くものですね。」
そしてまた、次のお客様を待ちながら、
やさしくミルのハンドルを回し続けた。
喫茶〈ル・プチ〉、ご相談承ります KAORUwithAI @kaoruAI
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