雑貨屋・ブレインゲーム
古木しき
その一言で、すべてが始まった
事件は、雑貨屋の片隅で起きた。
正確には、彼女の「あ、これ好き~」という、ふわっと漂う一言が、俺の人生を奈落の底へと突き落とした瞬間だった。
──見てなかった。
やばい。完全に聞いてたのに、見てなかった。これはもう、ラブコメにおける“最悪の展開”だ。彼女の「好き」が何を指しているのか、まるで分からないまま、俺は今、選択の岐路に立たされている。一歩間違えれば、彼女の笑顔が凍りつき、静かなプレッシャーが俺の心を締め上げる未来が、脳裏にチラつく。いや、チラつくどころか、目の前に迫ってくる。彼女の視線が、まるで「さあ、どうする?」と俺を試しているようだ。
そのとき、俺は何をしてたかって? スマホでクーポンを探してたんだ。えらいだろ。彼女のために、デートの節約を考えてたわけ。ちょっとしたディナーで彼女を喜ばせようと、俺なりに頑張ってたんだよ。なのに、そのせいで彼女の「好き」の対象が不明。付き合い始めてまだ2ヶ月と少し。微妙すぎる期間だ。彼女の好きな映画? まあ、知ってる。好きなカフェ? そこそこ把握してる。でも、雑貨屋の棚に並ぶ無数のゆるふわアイテムの中から、彼女の心を射抜く“一品”を瞬時に見抜くスキル? そんなもの、俺にはない。
これはもう、クイズだ。いや、クイズを超えた、サスペンスミステリーだ。
「あ、これ好き~」
彼女がそう呟いて、チラッと俺を見た。
これだよ……!
この“チラッ”が、めっちゃくちゃ曲者なんだよ! その視線、誰に向けた? 俺? それとも商品? いや、俺だろうけど……いや、商品か? いや、どっちだ!? 彼女の視線の角度、瞬きの速度、唇のわずかな動き──すべてがヒントのはずなのに、俺の脳はそれを解読する処理能力を欠いている。彼女の「チラッ」は、まるで暗号だ。まるで、俺の心を試すための暗号。
慌てて周囲を見渡す。そこには、ゆるふわ雑貨たちの軍勢が並んでいる。
ウサギのキーホルダー。クマのぬいぐるみ。猫のマグネット。ナマケモノのメモ帳。カピバラのペン立て。アルパカのポーチ。パンダのティッシュカバー。ハリネズミのキッチンスポンジ。フェレットのスマホスタンド……。
どいつもこいつも、「僕を選べよ」とでも言うように、こっちをじっと見つめてくる。
おい、頼むから黙っててくれ。俺の心はもう、容量オーバー寸前だ。
彼女はすでに棚を離れ、別のコーナーでキャンドルやアロマディフューザーを物色中。鼻歌まじりで、めっちゃご機嫌。怖い。この無垢な笑顔ほど、戦慄するものはない。彼女の笑顔は、まるで地雷原に咲く一輪の花だ。美しければ美しいほど、踏み外した瞬間に爆発する。俺の心が、だ。
地雷って、見えないから地雷なんだよな。
まずは、現場検証だ。
俺は足元を確認する。彼女が「これ好き~」と言った瞬間に立っていた位置を特定。視線の延長線上にあるアイテムが、間違いなく“彼女の好み”のはずだ。彼女が立っていたのはこの辺……右斜め45度くらいに視線を投げてた気がする。よし、そこに何があるか、徹底的に洗い出そう。
棚を凝視。候補は以下の通りである。
ウサギのキーホルダー:ふわふわの毛並み、でっかい目、ピンクのリボンがチャームポイント。少女漫画から飛び出してきたような可愛さ。
クマのぬいぐるみ:茶色で、ちょっとくたっとした雰囲気。抱きしめたら絶対気持ちいいやつ。サイズ感も絶妙。
猫のマグネット:ムスッとした表情が妙にリアル。どことなくツンデレっぽい。冷蔵庫に貼ったら存在感バッチリ。
ナマケモノのメモ帳:ゆるすぎる顔。ページをめくるたびに、ナマケモノが寝てるイラストが登場。癒し度MAX。
カピバラのペン立て:無表情で温泉に浸かってる風デザイン。癒し系だけど、どこかシュール。
アルパカのポーチ:モフモフ度が限界突破。謎の高級感漂う。バッグに入れたら主役級。
パンダのティッシュカバー:モノクロなのに妙に主張強い。実用性と可愛さのハイブリッド。
ハリネズミのキッチンスポンジ:チクチク感ゼロ、むしろふわふわ。実用性高めだけど、彼女の趣味に合うか?
フェレットのスマホスタンド:細長くて、なんか妙にリアル。実用性はあるけど、彼女の好みに刺さるか謎。
なんでこんなにモフモフ界のオールスターが集結してんだよ。アイドルグループの最終オーディションか? 全員が「私を推せ!」って目で訴えてくる。いや、お前ら全員可愛いのは分かった。でも、彼女の“好き”は一つしかないはずだ。問題は、どれだ?
ここで、俺の脳内がフル回転を開始。まずは除外法で絞り込む。
ウサギのキーホルダー……ないな。彼女、動物占いでコアラだって言ってた。ウサギの話、一切出てない。彼女のスマホケースにも、ウサギモチーフなんて皆無。可能性低い。却下。
カピバラのペン立て……微妙。カピバラは確かに癒し系だけど、彼女が「カピバラ好き!」って言ってる記憶がない。彼女、温泉好きだけど、カピバラの温泉イメージに反応するタイプか? うーん、弱い。保留。
アルパカのポーチ……モフモフすぎる。彼女、ふわふわしたもの好きそうだけど、アルパカってピンポイントすぎない? アルパカの話、したことあったっけ? いや、ない。可能性薄。却下。
パンダのティッシュカバー……パンダは可愛いけど、ティッシュカバーって実用性が高すぎる。彼女、こういう“実用系”より“飾れる系”の方が好きそう。パンダ自体は悪くないけど、ピンとこない。保留。
ハリネズミのキッチンスポンジ……ない。キッチンスポンジって実用的すぎるし、彼女、料理あんまりしないって言ってた。ハリネズミは可愛いけど、彼女の趣味からズレてる。却下。
フェレットのスマホスタンド……これも微妙。フェレットって、ちょっとマニアックすぎる。彼女、フェレットの話したことないし、スマホスタンドって実用性はあるけど、彼女の“かわいい”の基準に合わない気がする。却下。
残ったのは、クマ、猫、ナマケモノ。この三つが本命候補だ。
ここで、記憶の糸をたぐり寄せる。
彼女、前にインスタで「くまの形のドーナツ可愛かった〜」って投稿していた!
俺がコメント欄で、
「くまモン?」
ってふざけて書いたら、
「クマ、いいよね〜」
って返ってきた。あれ、動かぬ証拠じゃないか。クマ、めっちゃ有力証拠だ。インスタの前科持ちだ。
容疑者その1:クマのぬいぐるみ。
動機:過去のインスタ投稿。
彼女の心を掴んだ実績あり。ぬいぐるみのサイズ感も、彼女が「かわいい〜」って抱きしめそうな絶妙な大きさ。こいつ、怪しいぞ。
でも、ちょっと待て。
猫のマグネットも捨てがたい。この猫、ムスッとした表情がどこか彼女っぽい。彼女、普段はふわっと笑ってるけど、たまに「ふーん」って冷たくなる瞬間がある。あのツンデレ感、この猫にそっくりだ。あと、前に猫カフェに誘われたことあった! 彼女、猫カフェで「この子、目がキリッとしててカッコいい!」って言ってたのを思い出した。このムスッとしたマグネット、彼女の好みにドンピシャな可能性あるぞ。
容疑者その2:猫のマグネット。
動機:猫カフェでの発言、
ツンデレな表情が彼女の趣味に一致。冷蔵庫に貼ったら毎日見るだろうし、彼女の部屋の雰囲気にも合いそう。こいつも相当怪しい。
そして、問題のナマケモノのメモ帳。
こいつは、完全なるダークホースだ。
ナマケモノって、ぶっちゃけピンとこない。
でも、彼女、日曜は布団で昼まで寝てるって言っていた。
ナマケモノの「ゆる〜い」雰囲気、彼女のライフスタイルにハマる可能性……ある? いや、でも、メモ帳って実用的すぎないか?
彼女は、メモ帳よりキーホルダーとか飾れるものの方が好きそう。
いや、でも、このナマケモノの顔、なんか妙に彼女の「ふわっとした笑顔」に似てる気がする……。
え、似てる? いや、違うか? でも、なんか、あり得る……?
容疑者その3 ナマケモノのメモ帳。
動機は、彼女のスローライフな生活スタイルとの一致、顔が(なんとなく)彼女に似てる説。
可能性は低めだけど、完全に除外できない。
ああもう、頭がこんがらがってきた!
クマか!? 猫か!? ナマケモノか!? お前ら、どっちが本命だよ!?
いや、待て、全員怪しい。完全に群像劇だ。犯人は一人じゃない、全員だ!
いや、違う、彼女の“好き”は一つのはず。でも、“好き”と“欲しい”は別問題だろ?
彼女が「好き=」って言ったのは、ただの感想かもしれない。
いや、でも、あの「チラッ」は絶対に俺に何かを期待してる目だった。間違いない。
ここで、俺の脳内法廷が開廷する。
脳内法廷開廷。
第一審議
冷静な検事(俺)は、
「被告‘クマ’、お前には動かぬ証拠がある! 過去のインスタ投稿、彼女の『クマ、いいよね〜』という発言! ぬいぐるみの柔らかさ、抱き心地の良さ、すべてが彼女の好みに合致する! 認めなさい、彼女の‘好き’はお前だ!」
逆張りの弁護士(俺)は、
「異議あり! 被告‘猫’の可能性を無視するな! 猫カフェでの彼女の発言、ツンデレな表情への反応、そしてマグネットとしての実用性! 彼女の部屋に貼れば、毎日彼女の心を掴む! 猫こそが本命だ!」
優柔不断すぎる陪審員(俺)は、
「うーん、でも、ナマケモノも……なんか、こう、ゆるい感じが彼女っぽいんだよな。彼女の寝坊癖、ナマケモノのスローライフ感、なんか繋がる気がする……でも、メモ帳って微妙じゃない? いや、でも……」
焦っている裁判長(俺)は……。
「静粛に! 時間がねえんだよ! 彼女、キャンドル棚で鼻歌歌ってるぞ! このままじゃ地雷踏むぞ!」
脳内法廷、大混乱。
結論が出ない。
彼女の鼻歌が、まるでカウントダウンのタイマーのように聞こえる。
彼女の笑顔が、俺の心を締め付ける。彼女の「ふーん」が、脳内でリピート再生される。
「見てなかったの?」「ふーん」「もういい」「何が?」「なんでも」
──この無限ループ、絶対に回避しなくては……。
ここで、新たな証拠が浮上。
彼女は、前に雑貨屋で
「キーホルダーって、なんかいいよね。バッグにつけると気分上がる」
って言ってた! キーホルダー! よし、メモ帳は除外だ。
ナマケモノ、すまん、お前は無罪だ。戦いはクマと猫の二択に絞られた。
クマのキーホルダー(ぬいぐるみだけど、キーホルダーサイズの小さいバージョンがあった!)。インスタの前科、彼女の「クマ、いいよね〜」発言、ふわっとした雰囲気の一致。こいつは鉄板だ。
猫のキーホルダー(マグネットの隣に、猫モチーフのキーホルダーもあった!)。猫カフェでの発言、ツンデレ感、彼女の好みに合う可能性。こいつも捨てがたい。
脳内法廷、最終審議
冷静検事は言う。
「クマのキーホルダーこそが本命だ。 インスタの証拠、彼女の好みに合致するふわっとした雰囲気、キーホルダーへの愛着。すべてがクマを指している。これを選べば、彼女の笑顔は守られるだろう」
逆張り弁護士は抵抗する。
「異議あり! 猫のキーホルダーを見逃すな! 猫カフェでの彼女のテンション、ツンデレな表情への反応! 猫のキーホルダーなら、バッグにつけて彼女の個性を際立たせる! 猫こそが彼女の心を掴む!」
優柔不断な陪審員は、
「うーん、クマの方が無難じゃない? 猫って、ちょっと攻めすぎな気も……いや、でも、彼女、意外性のあるもの好きそう……」
イラつき気味の裁判長は、
「いい加減にしろ! 彼女、財布出してるぞ! タイムリミットだ! 今選ばなきゃ、彼女の『ふーん』が俺を葬る!」
おおっと、マジか。
彼女、キャンドル棚から移動して、レジの方に目をやり始めてる。財布を手に持ってる。
これは、デートの終わりを告げるサインだ。
今選ばなきゃ、戦わずして敗北だ。彼女の「ふーん」が、俺の墓標になる。
(推理は終わった……あとは、勇気だけだ)
俺は棚に手を伸ばす。クマのキーホルダーを手に取った。
(猫もナマケモノも捨てがたかった……すまん。でも、クマには“インスタの前科”がある。彼女の好みの確率が高いのはこいつだ。俺はクマを信じる……!)
すべての伏線が、思考の迷路を抜けて一本の道に繋がった。
(クマだ……!)
過去のインスタ、ぬいぐるみのふわっとした雰囲気、キーホルダーへの彼女の好み
──すべてがクマに収束する。
俺は胸を張って、クマのキーホルダーを彼女に差し出した。
「さっき言ってた好きって、これ……かな?」
彼女は一瞬、目を丸くして、そしてくすっと笑った。
「ふふっ……ちょっとー、ちゃんと見てなかったんでしょー?」
……え?
彼女はひょい、と俺の手元のクマを避けて、すぐ隣にぶら下がっていた小さなキーホルダーを指さした。
「こっちだよ、ラッコ。これ、かわいくない?」
ラッコォ!?
俺はその場で、静かに心が折れた。
(ラッコって……お前……そこにいたのか……! 完全にノーマークだった……!!)
(ていうかラッコって! 何!? なんで今ラッコ!? ヒントゼロ! 布石ゼロ! お前、物語の第三章から出てくるサプライズキャラだろうが!?)
ラッコのキーホルダーは、ちょこんと両手に貝を持ち、無垢な目でこっちを見つめていた。なんて罪深い可愛さだ。
お前……全部持ってたじゃん。可愛さも、意外性も、そして彼女のちょっと変わった趣味すらも……!
俺は、崩れかけたプライドを必死で立て直し、精一杯の笑顔を絞り出した。
「……あー、うん、ラッコ、ね。かわいいよね、ラッコ……」
彼女は楽しそうに微笑んで、
「なんか、手がちょこちょこしてる感じが似てるって言われたことあってさ〜ペチペチって貝とかを叩くの、可愛い」
と、ラッコのキーホルダーを指でつついた。
……ああ、なるほどね。
(言われてみれば……たしかに……お前のスマホ操作も、早食いも、そのちょこちょこ具合……ラッコだ……ラッコだったんだ……)
俺は、そっと心の中の“犯人はクマ”の推理メモを破り捨てた……。
ラッコ、お前だったのか。俺の視線外にいた彼女のお気に入りは。
ラッコのキーホルダーは、つぶらな瞳をのまま、うなづいた気がした。
(終)
雑貨屋・ブレインゲーム 古木しき @furukishiki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます