ユラとミリア番外編

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秋の海、クラゲの夢



涼を求めて水族館へ行く。

水槽の中の魚の群れを興味深く眺めるミリア。

「初めて見る?」とユラが聞くと、「多分そうだね」と答える。


「不思議だね、こんなにすいすい泳いでいるのに、何故だか窮屈そうだ。出してあげられないのかな」


ユラは水族館の全ての水槽が壊されて、魚たちと共に海へと泳いでいくミリアの幻覚を見た。


「……!」


夢だった。ユラは職場からの帰りの電車に揺られていた。

そうだ、もうミリアはいないんだ。


あの日一緒に行った水族館。

看板には半透明のクラゲがふわふわ漂っている姿が映っている。


わたしは海に残されたクラゲだ。


ユラは一人、残暑のなかをふらふらと帰途についた。


**


その週最後の仕事が終わった。ユラはふうっとため息をついてから、帰宅の準備を始める。そこへ、とある男性社員が声をかけてきた。


「ユラさん、お疲れさま」


「お、お疲れさまです」


明るい金髪が目に飛び込んできて、ユラは焦った。彼の名前は確か、ヨスガといったか。


「ねえ、ユラさん。今日みんなで飲みに行くんだけど、ユラさんも行かない?」


突然の誘いだった。ユラは数秒ためらったが、ゆっくりと深呼吸してから、「行きます」と言った。


「本当?やったぁ。じゃあ行こう」


ヨスガは屈託なく笑った。

ユラはその笑顔をいいなと思った。


**


飲み会はそれはそれは賑やかだった。

飲み比べを始めるもの、自慢話で拍手喝采を浴びるもの、歌い出すもの。

ユラは圧倒されてただ自分のお皿に取り分けられた料理をつついていた。


ヨスガが、自分のグラスを持ってユラの隣に来た。


「楽しんでる?」


「あ、ああ、はい」


「ユラさんさ…最近元気なかったでしょ」


「えっ」


ヨスガは優しげな笑みを浮かべて言った。


「夏の間は、笑顔を見る日があったけど、ここ最近は元気なかったからさ。ちょっと俺、心配してたんだ」


「え、えと」


他人にこんなふうに言われたのは初めてで、ユラは動揺した。


「季節の変わり目だからかな?」


「さ、さあ、どうでしょうか。あの、わたし、そろそろ帰ります」


「あ、そう?じゃあ俺も」


そう言ってヨスガは、仲間たちに一言挨拶をして、ユラを伴って飲み屋を出た。


**


「駅まで一緒に行こう」


そう言って、ヨスガはユラより少し先を歩いた。


「ユラさんのこと、前から少し気になってたんだ」


「……!」


ヨスガは顔を少しユラの方へ向けて、ユラのびっくりした顔を見た。そして、へへっと笑った。


「良かったらさ、また一緒にご飯食べたりしない?」


「あ…えっと、はい、…わたしでよければ」


ユラは顔を真っ赤にして答えた。

こんな風に人に誘われるのは初めてで、素直に嬉しかった。


「連絡先、交換しよ」


にこにこしながら言われて、ユラはヨスガとメッセージアプリの連絡先を交換した。



**



帰りの電車に揺られながら、ユラは手帳を開いた。今日の日付を書いて、それから、「友達ができた」と書き留めた。

ミリアに伝えたかった。

ミリアは今、どこで何をしているのだろう。

急にいなくなった時は、困惑と、怒りのようなものもあった。だけど今は、ただただ恋しい。

一緒に暮らしていた時のように、嬉しいことを共有したかった。

ユラは最寄駅のコンビニでレターセットを買った。

どこにも届かなくてもいいから、ミリアに伝えたかった。



**



ヨスガは折に触れてはユラを誘い、食事や遊びに連れて行ってくれた。

ユラはミリアを失ったことによる喪失感が次第に薄れていくように思い、けれど、それを怖いと思うようになった。このままミリアのことを忘れてしまいたくなかった。



ユラはヨスガと何度か一緒に遊んで、笑顔を見せるようになっていた。そんなある日、ヨスガはユラを見つめて「ユラさんの笑顔、いいね」と言った。「もっと笑わせたい」とも言った。

ミリアも言った。「君は笑っていたほうがいい」と。


それを思い出したら、なんだか堪らなくなった。ミリアはもういないのに、声の調子や笑顔まではっきりと思い出せてしまう。


ユラは一人になってから、ヨスガの連絡先を消去した。



**



ユラはヨスガを避けるようになった。

ヨスガには避けられる要因がわからず、急に醒めた態度をとりだしたユラに戸惑っていた。


「ユラさん、俺、何かした?もし何か気に障ったなら教えてよ」


「君は何もしていない。大丈夫だよ」


ユラは何枚も何枚もミリアへの手紙を書いた。満たされない思いがずっと胸に重くのしかかって取れない。


休日、ユラはひとり各駅停車の鈍行に乗った。

街が遠くなり、のどかな田園の風景が広がる。トンネルで山々を抜けると、海が見えた。13個目の駅で降りて、海水浴場へと降りていく。ただし、あの時とは違う、秋の寒々しい海だ。


「ミリア…」


名前を呼ぶと切なくなって、ユラは泣いた。

砂浜に膝をついたユラの腕を、ぐっと支える手があった。


「ユラさん」


ヨスガだった。


「どうして…」


「駅で君を見掛けて…、なんか普通に見えなかったから、後をつけたんだ。どうしたの、こんな所で」


「放っておいてくれ」


「無理だよ。だってユラさん、泣いてるもの」


ユラはヨスガを見た。蒼い瞳は潤んで今にも涙が溢れそうだった。ユラは声をあげて泣いた。ヨスガはユラを砂の上に座らせて、寄り添い、頭や肩を優しく撫でてくれた。


**


ユラはミリアとの邂逅と楽しかった共同生活のこと、それから突然すぎた別れについて、全てをヨスガに話した。ヨスガは黙って、時々優しく相槌をうちながら聞いて、全て聞き終えると立ち上がって海の方を見た。


「そうか、ユラさんにとってとても大切な人で、大切な時間だったんだね」


「うん…」


ユラはしゃっくりを抑えながら頷いた。


「もう会えないのかな」


ユラがそう言うと、ヨスガは振り向いて、ユラの手を取った。


「会えるよ」


「えっ?」


キョトンとするユラに、ヨスガは明るく笑って言った。


「会えるって思っておきなよ。その方が幸せだし、楽しみだろ?」


夕陽が海に沈み、ヨスガの肩越しに一番星が光り輝いていた。



終わり

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