宝石の瞳

須藤淳

第1話

 少女が歩いていると、道端で何かが落ちる音がした。

 振り向くと、黒いコートを纏った青年が、道路にばら撒かれた荷物を手探りで拾っていた。彼は黒い眼鏡をかけており、その目の表情は見えなかった。


「大丈夫ですか?」


 少女は駆け寄り、一緒に荷物を拾い集める。


「助かるよ」


 青年が落とした荷物の中には、小さな木箱がいくつもあった。少女がそれを手渡すと、彼は微笑んだ。


「お礼に、ひとつ好きな宝石をあげるよ」


 青年が木箱の蓋を開けると、そこには色とりどりの宝石が輝いていた。

 彼は青色の小さな石を指差す。


「これがおすすめだ。透明感があって、穏やかな気持ちにさせてくれる」


 だが、少女の目はひときわ大きく深紅に輝く宝石に惹かれていた。


「これがいい!」


 少女が赤い宝石を指差すと、青年は眉をひそめた。


「……やめた方がいい。その石に呑まれてしまうよ?」


 少女は笑って宝石を受け取った。


「大丈夫だよ。ありがとう!」


 青年は少し残念そうに微笑み、「気をつけるんだよ」とだけ告げて、静かに姿を消した。


 ◆


 少女は宝石を大事に持ち帰り、友人や家族に見せびらかした。誰もがその美しさに目を奪われた。


「すごい!どこで手に入れたの?」「触らせて!」


 しかし、彼らの様子は次第に変わっていく。

 友達は「貸して」と言いながら奪おうとし、家族も「売れば大金になる」と宝石を取り上げようとした。


 少女は拒み、必死に宝石を守ったが、それは日に日にエスカレートしていった。


 ついに、母の手が少女の頬を打った。

 友人が腕を掴み、爪が皮膚に食い込む。

 誰かが髪を引きずり、地面に叩きつけた。


「こんなものに執着するから悪いんだ!」


 何人もの手が少女の体にのしかかる。もがけばもがくほど、彼らの動きは獣じみていった。


「やめて……返して!!」


 叫びは嘲笑にかき消された。乱雑な手が宝石を奪い、床に叩きつける。


 パリンッ。


 赤黒い光が弾け、砕けた破片の中から小さな赤い石が現れる。それは人の目のような模様を持ち、脈打つように光っていた。


 家族も友人も、無言でそれを見つめていた。

 少女は涙混じりの息を吐きながら、赤い石を拾い上げる。


「これは……誰にも渡さない!」


 そのまま、少女は衝動的に赤い石を飲み込んだ。


  ◆


 その瞬間、少女の瞳は赤く染まった。

 周囲の人々は、何事もなかったかのように元に戻っていく。


 しかし、少女の耳には不気味な声が響き始めた。


『あの子、本当に頭悪いよね』

『マジでブサイク。見てるだけで吐き気がする』

『早く消えてくれればいいのに』

『働きたくない。誰か死ねばいいのに』

『もう終わりだ、こんな世界……』


 無数の声が混ざり合い、耳の奥に染み込むように響く。誰の声ともつかないが、人の心の奥底から溢れ出したような声だった。


「……こんなの……嘘でしょ……?」


 少女は両耳を押さえた。けれど声は止まらず、どこまでも響き続ける。


 彼女は目を閉じたまま、逃げるように街を彷徨った。


  ◆


 ふと気づけば、見知らぬ場所に立っていた。冷たい風が吹き抜けるその場所に、黒いコートの青年がいた。


「やっぱり、宝石に呑まれてしまったね」


 青年は以前と変わらず黒い眼鏡をかけていた。


「人の欲望、絶望、怒り、悲しみ……。負の面ばかりを吸い取って、それを増幅する。それが赤い宝石の本質さ」


「最初から、そう言ってくれれば!!」


 少女は震える声で叫んだ。青年は肩をすくめる。


「止めたよ。でも君は選んだ。自分の意志でね」


「……っ!」


 少女は唇を噛む。思い返せば、彼は最初から止めようとしていた。でも、あのときすでに赤い宝石に心を奪われていたのだ。


「だからね、最初に見せた青い石にすれば良かったのに。これは赤い石と反対で、人の良い面だけが見える」


 青年はポケットから透き通る青い石を取り出し、少女の前に差し出す。


「どうする? 欲しいかい?」


 少女はじっと青い石を見つめた。

 それを手にすれば、もう人の醜い心に怯えることはなくなる。

 けれど、それはただ都合のいい世界を見るだけのことではないか。


 少女はゆっくりと首を振った。


「……人間は、良い面も悪い面もあるもの。私は、自分の目で見て判断したい」


 青年は驚いたように目を細め、それから小さく笑った。


「そっか……」


 その声はどこか寂しげだった。次の瞬間、少女の意識はふっと途切れた。


  ◆


 ――そして。


 少女が歩いていると、道端で何かが落ちる音がした。

 振り向くと、黒いコートを纏った青年が、ばら撒かれた荷物を拾っていた。彼は黒い眼鏡をかけていた。


「大丈夫ですか?」


 少女は駆け寄り、一緒に荷物を拾い集める。


「助かるよ」


 青年の荷物の中には、いくつもの小さな木箱があった。少女がそれを手渡すと、彼は微笑んだ。


「お礼に、ひとつ好きな宝石をあげるよ」


 青年が木箱を開けると、色とりどりの宝石が輝いていた。


 彼は青い石を差し出す。


「これがおすすめだ。穏やかな気持ちにさせてくれる」


 少女は微笑んで首を横に振った。


「荷物を拾っただけなのに、宝石なんていらないよ」


 そう言って、少女はその場を去った。


 青年はサングラスを少しずらし、薄い青色の瞳を覗かせる。


「……可愛い子だったのに。残念」


 そう呟くと、彼は静かにその場から姿を消した。


 


 ――終わり。

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宝石の瞳 須藤淳 @nyotyutyotye

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