第16話 弟子入り希望者

「見せてやろう、陰陽の真髄を」


 廃神社の境内、夕暮れの帳が降り始める中、俺は静かに、しかし有無を言わせぬ響きで宣言した。この力を晒すのは煩わしいことだが、彼らに現実を突きつけるには、これしか道はないと悟っていた。


「また大口を叩きますわね! ろくな呪具も無い霊力ゼロの凡人が!」


 橘雛芽は苛立ちと侮蔑を露わに眉を吊り上げた。その言葉には、己の血筋と才能への絶対的な自負が滲んでいた。


「吠えるな!この口だけ野郎が!」


 荒上孝輔は激情に駆られて歯を剥き出す。彼の粗野な振る舞いの裏には、自らの未熟さを認めたくない焦りが垣間見えた。


「実技の続きでもやる気?無駄だよ」


 弓削葵は、一見冷静な仮面の下で、獲物を狙うかのように目を鋭く光らせた。彼女の言葉には、確固たる自信と、相手を格下と見なす冷徹な判断が宿っていた。


「行くぜ! 帰命全方位切如来一切時一ノウマク サラバタタギャテイビャク切処暴悪大忿怒尊サラバボッケイビャク サラバタタラタ――」


 荒上は、己の霊力を込めた真言を淀みなく唱え始める。

また火界呪か、と俺は内心で呟く。その術の限界を、俺は既に知悉していた。


急々如律令ナルハヤ


 俺が口にしたのは、ただそれだけの、簡潔な言霊。しかし、その刹那、荒上の足元から大地を穿つかのような水柱が轟音と共に立ち昇った。


「ぐあああああっ!?」


 意表を突かれた荒上は、抗う間もなく水柱に呑み込まれ、そのまま無様に宙を舞う。


「ぐえっ!」


 情けない悲鳴と共に、彼は脆くも木の枝に叩きつけられ、その衝撃に呻いた。


「な――詠唱も無しで!?」


 弓削は、その表情に初めて動揺を滲ませた。彼女の常識では、ありえない現象だったのだろう。


「いいえ、惑わされてはなりません! 詠唱無しで術を使う――つまり呪具ですわ! ソースは私! どやあ!」


 橘は、自らの知識を総動員し、無理やりにでも納得しようと必死に言い募る。

しかし残念ながら、その推測は的外れだ。

 単純に無詠唱なだけのこと。この時代において、術の発動に詠唱が不要という概念そのものが、もはや失われた技術と化しているらしい。父も、その無詠唱の術を披露した際、同僚たちが驚愕したと語っていた。現代の術者たちは、詠唱こそが術の絶対条件であると、盲目的に信じ込んでいるのだ。


「今度は私が――」


 弓削は、静かに、しかし確かな覚悟を秘めて刀を抜き放った。その刀身には、彼女の研ぎ澄まされた霊力が青白い光となって宿り、禍々しい輝きを放っている。


「――金気より出でて風となせ、稲穂の金風! 風刃纏いし刃とならん、急々如律令!」


 彼女の呪文が響くと同時に、周囲の空気が目に見えぬ圧力を伴って凝縮していく。圧縮された空気が、鋭利な刃と化し、俺の身体を隙間なく包み込んだ。これは不可視の風の刃――空気を自在に操る、洗練された術。しかし、その本質は俺には既に見えていた。


 だが。


「――急々如律令ナルハヤ


 俺が放った簡潔な言霊と共に、俺の身体は燃え盛る炎に包まれた。それは単なる防御ではない。


 火剋金。

 火は金を溶かし、その形を崩すという五行の絶対の理。そして、炎は猛烈な上昇気流を生み出し、風の軌道を逸らし、さらには周囲の酸素を燃やし尽くすことで、風という空気そのものを無力化する。

 まさにその理の通り、弓削が放った精巧な風の刃は、俺に触れることさえ叶わず、虚しく霧散していった。


「おっほっほ! 次は私ですわね、私の式神があなたのような半端者に破れるわけがありませんわ! ほんぎゃーと言わせてさしあげますわ!」


 橘は、前の二人を嘲笑うかのような高笑いを響かせながら、自信満々にカードを取り出した。それは、古来の和紙の符とは異なる、厚みのある金属製のカード。鈍い銀色の輝きは、その中に秘められた機械仕掛けの精緻さを予感させた。


「珍しいな。式神符ではなく機巧式神か」


 俺は思わず呟いた。式神にはいくつかの種類がある。

大まかに分けて、己の意思と霊力のみで構築する思行式しぎょうしき

符や人形代といった媒体に霊力を注ぎ込む形代式かたしろしき

そして、神獣や霊獣といった強大な存在を調伏し使役する降伏式ごうぶくしき

この三つが主流だ。かつては、貴族社会において「目に入っても存在しないもの」とされた下人たちが使用人として使役されることも式神と見なされたが、それは存在を無視された者の悲しい慣習であり、霊和の現代では実質的に存在しない。

形式的な契約に過ぎない式人しきじんというものも存在するが、それはあくまで人間同士の約定に過ぎない。人間と術式で真に契約を結ぶならば、それは強大な霊的存在を従える降伏式に他ならない。


 機巧式神、あるいは機甲式神は、その分類で言えば、形代式に属する。自然発生する付喪神を、人為的な技術と呪術の融合によって生み出した、いわば現代の付喪神とも言える存在だ。その源流は、江戸時代のからくり人形や西洋の自動人形オートマタにまで遡る、科学と呪術が織りなす新しい世代の式神。


 ちなみに、傍らに控える九重は、正真正銘の降伏式である。彼女のかつての姿を思えば、その力は計り知れない……いや、それは今は語るまい。


「そうですわ! これが機巧式神、【雷鳴虎】!」


 橘の誇らしげな声と共に、カードは眩い光を放ち、その光の中から雷を纏った小型の機械の虎が姿を現した。金属製の関節は、ぎこちないながらも、その動きは驚くほど精巧に作り込まれている。


「さあ行きなさい!」


 橘が命を下すと同時に、雷鳴虎は唸りを上げ、その身から電撃を迸らせながら、獲物を見定めたかのように俺に向かって獰猛に飛び掛かってきた。

 しかし――。


「――それはもう知っている。

 急々如律令ナルハヤ


 俺の言葉が響いた刹那、雷鳴虎の猛々しい動きが、まるで時が止まったかのようにぴたりと静止した。いや、それは単に動きを止めただけではない。

 雷鳴虎は、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って、その雷光を放つ瞳を橘へと向けたのだ。


「なっ――何を!?」


 橘は、信じられないものを見たかのように絶叫した。自らの式神が、敵に牙を剥いたのだから当然だろう。


「制御を奪った。市販品の式神は楽でいい」


 俺は淡々と告げる。高価ではあるが、市販されている機巧式神は、その構造が公開されているも同然だ。ましてや俺の父は国家特等調伏官。市販品から特注品に至るまで、様々な機巧式神の構造を解析させてもらった経験がある。

 機巧式神は、ある程度の霊力を持つ術者であれば誰でも扱えるよう、簡素なセキュリティしか施されていない。その核となる制御構造は、真名の登録に依存しているに過ぎない。


 つまり、その構造式は、解析の知識さえあれば容易に紐解くことができる。一流の術者であれば、真名だけでなく、独自の呪術的なカスタムを施し、容易には制御を奪われないようにするのだが、橘にはそこまで深い思慮が及んでいなかったらしい。


「そんな……泥棒ですわ!」


 橘は、子供のように理不尽を訴えた。その言葉には、己のプライドが深く傷つけられた怒りが滲む。


「戦場ではそれは通用しない」


 俺は、雷鳴虎の硬質な頭を静かに撫でながら、冷徹に言い放つ。


「NTRですわ~!」


 橘は、まるで世界が終わったかのような悲痛な叫びを上げた。

 寝てはいないぞ。


「……行け」


 俺は、雷鳴虎に短く号令を下した。


「ほんぎゃーーーーー!!」


 雷鳴虎から放たれた強烈な電撃をまともに喰らい、橘は高貴な公爵家の令嬢とは到底思えない、情けない悲鳴を夜空に響かせた。



「くっ、そぉ……っ」


 荒上は、息も絶え絶えに、力なく大の字に倒れ込み、苦しげに喘いでいた。全身を打ちのめされたような敗北感に苛まれているのだろう。


「あーーーーーー! 負けた負けたぁあーーーー!!」


 彼は、やけくそのように叫びながらも、その顔にはどこか重苦しいものが取り払われたような、奇妙な爽快感が滲んでいた。敗北を受け入れた者だけが持つ、清々しさだった。


「まさか……本当に私たちを圧倒するなんて。どうやったの?」


 弓削は、未だに信じられないといった呆然とした表情で立ち尽くしていた。彼女の構築してきた常識が、今、目の前で崩れ去ったのだ。


「あなた……呪具使いかと思いましたが……違うんですのね……いや、私の式神をNTRった手管はおそろしいものでしたが……」


 橘は、悔しさを滲ませながらも、どこか諦念の混じった声で呟く。彼らの認識は、完全に覆されたのだ。


「お兄様を寝取りチャラ男みたいに言うのやめてくれます?」


 昴は、橘の軽口にむっと頬を膨らませる。その様子は、彼らがどれだけ兄を信頼し、慕っているかを示していた。


 あれから数十分。

 俺達の模擬戦は、疑いようもなく俺の圧倒的な勝利に終わった。


「芦原……お前何者だよ?」


 荒上は、もはや敵意のない、純粋な探求の光を宿した瞳で俺を睨みつけた。その問いには、畏敬と困惑が混じり合っていた。


「つか、霊力00000つてぜってー嘘だろ」


 彼の言葉は、偽りなく本心からのものだった。


「全くですわ。私も霊力値は低かったですが、私より低いなど到底思えませんわ」

 橘もまた、そのプライドをかなぐり捨てて、素直な疑問を口にする。彼らの常識では、目の前の現象を説明できなかったのだ。


「……霊力の大半を喪ったのは事実だよ」


 俺は、過去の重みを伴う言葉で静かに告げた。かつて、父の命を救うため、俺は己の霊力のほとんどを、泰山府君という絶対的な存在に対価として捧げた。

 それは、誰にも覆すことのできない、まごう事無き事実だった。


「……それでこれかよ。生まれた素質にはかなわねー、ってやつか」


 荒上は、諦めにも似た呟きを漏らした。だが、その言葉は、俺にとって看過できない誤解だった。それは訂正しておくべきだろう。


「俺の父は……国家特等調伏官芦原秋房は、かつて五級邪霊にてこずり、殺されかけた……という話だ」


 俺は、彼らの認識を覆すべく、静かに語り始めた。


「は? マジかよ」


 荒上は、信じられないといった表情で声を上げた。


「嘘でしょう? あの芦原秋房が五級邪霊に?」


 弓削もまた、驚愕を隠せない。彼らにとって、芦原秋房は絶対的な強者として認識されているのだ。


「本当だと聞いています」


 昴が、俺の言葉を裏付けるように、静かに頷いた。


「父は兄……が物心ついたころに、兄が古い霊たちから聞いた訓練法で修業し、力をつけたとのことです」


 これは、俺が前世の記憶を持つこと、そしてその強大な力が故に、藤原の姫に芦屋道満の転生と疑われた際に、父と示し合わせて作り上げた「嘘の設定」である。しかし、この場においては、彼らを導くための「真実」として語られるべきものだった。


「霊から聞いた訓練法……?」


 弓削は、その言葉に強く食いついてきた。彼女の探究心が刺激されたのだろう。


「はい。かく言う私め兄に手取り足取り修行をつけていただいたおかげで飛び級入学出来る程になりました、全てお兄様のおかげです」


 昴は、心からの敬愛を込めて、俺の「設定」を補強する。


「それは昴が頑張ったからだろう」


 俺は謙遜するが、昴が並々ならぬ努力を重ねたのは紛れもない事実だ。彼女は、母に似て見鬼の力を持たず、霊力も一般人と変わらない、ごく普通の人間として生まれた。

 だが、その血の滲むような努力によって、彼女はここまで強くなったのだ。その事実は、彼らにとって何よりも雄弁な証拠となるだろう。


「はっ……うまい事言うじゃねえか。要は努力で才能はひっくり返る……っつーことかよ」


 荒上は、自嘲気味に鼻で笑いながらも、その瞳には新たな決意の光を宿し、ゆっくりと起き上がった。


「……頼む、芦原。俺に……その修行法……教えてくれねぇか」


 彼の声には、これまで見せたことのない、切実な響きがあった。


「あ、私も。負けたままだと悔しいし」


 弓削もまた、その冷静な仮面を脱ぎ捨て、素直な感情を露わにする。


「わたくしもお願いしますわ。芦原秋房様も教わりましたのね。それほどの物ならば……是非!」


 三人は、まるで縋るように手を合わせ、俺に頭を下げた。


『どうなさりますか、斗真様』


 九重が、俺の内心を探るように問いかけてくる。彼女は、俺の前世において、信じた弟子たちに裏切られ、非業の死を遂げた俺の過去を案じているのだろう。その懸念は、痛いほど理解できた。

 だが、俺はこうなることを既に予見していた。彼らの本質を見極めるため、敢えて彼らと正面から戦ったのだ。もし、この圧倒的な力の差を見せつけられ、心が折れるようなら、それはそれで彼らの限界。あるいは、俺を敵視する道を選ぶならば、それもまた許容範囲だった。

 しかし、彼らがこうして、自らの未熟さを認め、力を求め、師事を乞うてくるのであれば……。


「よろしいです。あなた達がお兄様に負けを認め頭を垂れ反省した以上、もう遺恨は過去のものです」


 昴が、まるで俺の意思を代弁するかのように、毅然とした声で言い放った。

 まあ、いいだろう。どうせ、このような展開になることは、とうの昔に想定していたことなのだから。


「だが、厳しいぞ」


 俺は、念を押すように告げる。


「構いませんわ! 私は橘家を背負うためにも、何よりも強くあらねばならないのです、ノブレスオブリージュですわ!」


 橘は、高貴な血筋に生まれた者の責任を、その言葉に込めた。


「……俺はもっと強くなりてえんだ。そうしなきゃ、俺は……」


 荒上は、何か深い苦悩を抱えているかのように、言葉を濁した。


「……負けっぱなしは性に合わないし。それに……芦原斗真、貴方にはまだまだ興味がある」


 三人の言葉には、それぞれが抱える重い覚悟と、未来への強い渇望が込められていた。その瞳は、偽りなく本気だった。


「わかった」俺は、彼らの真剣な眼差しに応えるように頷いた。「放課後から早速はじめようか」


 ちょうど、俺たち以外の班の調伏実技訓練も終わる頃合いだろう。


「……」


 弓削は、実技訓練の方角をちらりと眺め、微かに残念そうな表情を浮かべた。よほど特別資料室での時間を心待ちにしていたのだろう。

 しかし、その事情を詮索するのは野暮というもの。彼女にも、触れられたくない深い理由があるのだろう。


「ふふふ、お兄様。これから忙しくなりますね」


 昴は、俺の決断に満足げに微笑んだ。


「俺は平和にいきたいんだがな」


 俺は本音を漏らす。だが、真の平和を築くためには、周囲との関係を円滑にし、理解を深めることもまた、重要な一歩なのだ。

 それに、陰陽術を教えること自体は、前世からの慣れ親しんだ行為。

 ともかく、彼らをどう導くか、具体的な方針を練らねばなるまい。さあ、再び、俺の忙しい日々が始まる。

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道満転生/00000~平安最強最悪の陰陽師、転生したら現代の呪術界が雑魚すぎたのだが~ 十凪高志 @unagiakitaka

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