コンビニエンドレスストア

幣田 灯優

コンビニエンドレスストア


「いらっしゃいませ〜」

軽快な入店音と同時に静かに響く店員の声でハッと我に返る。気づけばそこはコンビニだった。時刻は深夜0時直前。その割には空の商品棚が見当たらない程に売れ残りが多い。

スマホはとっくに充電切れを起こしていた。もう何年も使っているのでバッテリーが使い物にならない。

そそくさと自動ドアを通り抜け大きなあくびをしながら、夜食用にクリームパンとカフェオレを手に取りレジに運ぶ。

「お預かり致しま〜す」

こんな生活を続けてもうすぐ一年になる。

「2点でお会計420円になりま〜す」

毎日深夜遅くまで残業してなけなしの体力と小銭でコンビニに寄り夜食を買って、帰宅して食べて、ろくな睡眠もとらずまた会社に行く。

「500円お預かり致しま〜す」

無限ループしているんじゃないかと勘違いする程に変わり映えしない生活にはもう何も感じることも無い。

「80円とレシートのお返しになりま〜す」

どうせループするならこんな最悪の生活以外でお願いしたい。

「ありがとうございました〜。またのご来店お待ちしておりま〜す」

会計が済んだ商品を手に取り、そそくさと自動ドアを通り抜けまた大きなあくびをする。



「いらっしゃいませ〜」

軽快な入店音と同時に店員の声が静かに響く。目を開けるとそこは1秒前まで居たコンビニだった。

「………え?」

思わず声が出た。意味が分からなかったからだ。

コンビニから出たと思ったらコンビニに入っていた。

自分でも何を言っているのか分からない。時計は0時直前を指している。

困惑しながらも先程と同じように、クリームパンとカフェオレをレジに運ぶ。

「お預かり致しま〜す」

レジに商品を置いてからこの現状について考えてみた。

「2点でお会計420円になりま〜す」

さっきのは一体なんだったのだろう。商品や硬貨を手にした感覚は鮮明に残っている。

「500円お預かり致しま〜す」

いや、もう何も考えたくない。さっきのはきっとあまりに疲れた私の自律神経が見せた幻覚だろう。

「80円とレシートのお返しになりま〜す」

かなり強引な考えだが疲弊しきった私の頭を納得させるには十分だった。

「ありがとうございました〜。またのご来店お待ちしておりま〜す」

商品を手に取り今度こそ店を出る。



「いらっしゃいませ〜」

気づけばもう3回目となる音と声と店内が飛び込んで来た。

「………」

時刻はまたも0時直前だった。訳が分からない。今度は目も開けていたというのに、一体どうなっているのだろうか。もはや幻覚では済まされない。先の2回ともしっかり感覚はあった。夢と思いたいこの現実を前に1つの考えが浮かび上がる。

「…無限ループ?」

声に出すとより頭がおかしくなるので今度からはやめておく。とにかくそれ以外に説明がつかない。まさか本当に起こるとはさっきまでは考えもしなかった。

混乱しながらも一先ず私は、どうすればここから抜け出せるのか、ということを考えていた。疲れて他のことを考えられないからか、頭は冴えていた。まず気になるのはどのタイミングで元の時間に戻されるのかということだ。

「ありがとうございました〜」

商品を手に自動ドアの前に立つ。瞬き一つしないよう集中してドアを通り抜けた。



「いらっしゃいませ〜」

やはりそうだ。

ループが起こるのは会計を済ませ自動ドアを通る瞬間だ。意識を保っているはずなのに気づけば入店している。となれば最初に試してみたいのは入ってすぐに出ることだ。入店音が止まぬ間に素早い動きで店を出ようとする。



「いらっしゃいませ〜」

大きく踏み出した右足は店内のカーペットを踏んでいた。そしてこれで5回目。さすがにもう無限ループという事でいいだろう。ただの社会の歯車でしかない私の身に何故こんな事が起きたのかは見当もつかないが、今は嘆いている時間は無い。いや、時間はむしろ無限にあるか。

発送を逆転させてみよう。ずっとこのコンビニから出なかったらどうなるのだろうか。そう思い、数分店内をぶらぶらすることにした。

ゆっくりと動く時計の針が0時ちょうどを指す。



「いらっしゃいませ〜」

…なるほど、退店するか日を跨ぐことでループが発生するようだ。制限時間は3分程度だろうか。

とりあえず思いつくことを片っ端から試してみよう。スマホは使えない。使えたとして、助けが来る前にループしてしまうだろう。どれほどかかるか分からないが、まあいつかは脱出できるだろう。



「いらっしゃいませ〜」

12週目だ。とにかく行動を変えてみることで、未来が変わりループから脱出できる可能性もある。購入する商品を変えるのはどうだろう。

「ありがとうございました〜。またのお越しをお待ちしておりま〜す」

試しに、カレーパンと缶ビールを買ってみた。レジ袋を手に店を出る。



「いらっしゃいませ〜」

…何となく感ずいていたが、脱出出来なかった。そもそもクリームパンとかカレーパンとか、カフェオレやら缶ビールやら、そういうのに脱出の糸口があるとは思えない。もし私が誰かをここに閉じ込めるとしたら、こんな単純な仕掛けにはしない。

そう考えたところで少し違和感を覚えた。私は誰かに閉じ込められたのだろうか。ここに来るまでの記憶が曖昧だ。会社の帰り道だったことは覚えているがはっきりとしない。だが、監禁することはできても、こんな空間を生み出すのは不可能だろう。ならこのコンビニは一体なんなんだろう。分からない。答えが出ないことは分かっていたが、もうそれしか考えられなくなってしまった。このコンビニは何だ。どこにあるんだ。私は今どこにいるんだ。誰か教えてくれ。



「いらっしゃいませ〜」

ハッと意識を取り戻した。そうだ。考えていてもどうしようもない。今、私がすべきことは脱出の方法を見つけることだ。歩き出すと同時に頭を振ってさっきまでの思考を吹き飛ばす。私の脳は既に次の脱出方法を探っていた。



「いらっしゃいませ〜」

数回のループを挟んだあと、次の対象を見つけた。この空間に存在する私以外に唯一の人間、及び生物である店員だ。定員は規則的な行動しかしない。私が何も買わなければ何もしない。この店員と会話が出来れば話が早いのだが、

「あの、すいません」

「……」

「ここから出たいんですけど、なにか知りませんか?」

「……」

どれだけ話しかけても反応はなかった。私がレジの内側に入って、手当り次第辺りをガサガサと触っていた時も彼女は無反応だった。レジの内側やバックヤードには脱出に繋がりそうなものは何も無かったので、店員にフィーチャーを当てようというところだ。

横から顔を覗く。あと少しでくっついてしまう程に顔を近づけても何も反応がない。腰の辺りで手を組み、微笑みながら真正面を見つめている。まるで銅像やマネキンを見ているようだ。店員の身体に触れてみる。私が男だったらやや気が引けていたかもしれない。仮に女でなかったとしても、こんな状況で性別がどうので躊躇して立ち止まる訳にはいかない。身体を揺さぶってみたり、ポケットの中を探ってみたり、ポロシャツのボタンを外して中を見てみたりしたが収穫はなかった。この間も彼女は全くの無反応だった。

この店員が何かしらの鍵を握っている、というのはただの勘だが、今はそんな勘にも縋りたい気分だ。彼女に別の動きをさせる方法も、探せばどこかにあるのだろうか。もう一度顔を見ようとしてレジを出て正面に立つ。



「いらっしゃいませ〜」

店員の顔を拝む前にループが起きた。一旦、店員のことは置いておこう。まだ調べていない箇所がいくつもある。大丈夫だ、いつかきっと脱出できる。



「いらっしゃいませ〜」

恐らく数百回目のループだろう。現実ではどれくらいの時間が経過したのか、考えようとしたが頭が回らず、我ながら無意味なことを考えるやつだ、とため息が漏れた。店内はほとんど目を通したはずだが、変わらず無限ループは続いていた。ずっと景色が変わらないのはやはり精神にくる。私は景色の変わらないシャトルランよりも、解放された広い校庭を走り回れる持久走の方が好きだった。走る量としては同じくらいだろうが精神的な話に於いては大違いだった。こんなことを考えてる暇があるなら早く何かしらを見つけろよ、と心の中で自分自身を叱りつける。



「いらっしゃいませ〜」

数千は優に越えたはずだ。状況はここに迷い込んだ時から何も変わっていない。これだけやっても何も出来ない自分に嫌気がさしていた。まずい状態なのは自覚していた。少し思考を変えてみる必要がある。そうしないと自分を保てなくなりそうだ。

そういえば、最近世間ではとあるゲームが流行している。それは殺風景な空間で起きる異変を見つけるというものらしい。最初に正しい風景を見て、以降は前回からどこが変わったのか突き止めるというゲームで、間違い探しに近いもののようだ。そして異変に気づけないと永遠にそこから出ることは出来ない。

ここまで述べて、今のこの状況と似通っていることに気づいた。本家がどのような感じなのかは知らないが、こっちのコンビニもなかなかに殺風景だ。もしかすると本当にそうなのかもしれない。いやきっとそうだ。それしかない。私も異変を探してみようか。そう思ったところで、数千のループを挟んだ今、一番最初のプレーンの状態を覚えていないことに気づいた。これでは意味がないではないか。いや、でもやるしかない。私は力強く歩き出した。



「いらっしゃいませ〜」

もう知らない。どうなってもいい。寝る。自慢ではないが私は寝るのが得意だった。横になれば本当にどこででも寝ることができる。でも今眠ったところで何も意味が無い。ループしたらどうせ目が覚め、入口に立たされる。そんなことは分かりきっていた。だけど私は眠った。眠りたかったからだ。



「いらっしゃいませ〜」

「…………」

本当に頭がおかしくなりそうだ。ループ回数を数えるのはとっくにやめた。

このループの一番厄介なのは永遠に仕事帰りの疲労を感じ続けなければいけないことだ。ずっと倒れそうなのに動けてしまう。動けてしまうから諦める言い訳も出来ずに脱出を図り続ける。

「はぁ……」

ため息をつき、その場に座り込む。最悪の気分だが、同時にある事に気づいていた。ここにいる限り、もう外の世界で苦しみながら生きる必要は無いということだ。そもそもここから脱出したところで、また最悪の社会をループし続けるだけなのだから、むしろここに留まった方が快適にも思える。この空間は悪夢のような外の世界を忘れさせてくれる。

「もう……このままでも……いいかなぁ……」

こうして座って俯いていると色んな記憶が頭に浮かんでくる。どれもこれも嫌な思い出ばかりで良い思い出なんてひとつもない。


「今日の夜、お母さんいないけど自分で何とかできるよね?」

「う、うん……大丈夫……」


「ちょっと色々あってね…これからは父さんと2人で暮らしていこう。いい?」

「……分かった…大丈夫…」


「大学には進学しないのか?君ほどの学力ならかなり上を目指せると思うが…」

「……はい…」

「私としては進学を薦めたいが…君はそれでいいんだな?」

「……はい……大丈夫…です……」



「いらっしゃいませ〜」


「どうしてこんな単純な事が出来ないんだ!」

「ご、ごめんなさい…!」


「先月も払ってませんよね?いつになったらお支払い頂けるんですか?」

「ごめんなさい…来月に必ず…」


ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさい…ごめんなさ



「いらっしゃいませ〜」

ハッと我に返った。ここ最近はこんな風に負の感情が押し寄せて来てはリセットされ、また真っ暗な記憶に潰されそうになるというループの中にいる。本当に生き地獄だ。これなら死んでしまう方がまだ…

「…………あぁ………」

思わず声を漏らした。どうしてもっと早くに思いつかなかったのだろう。まだ試してない事があるじゃないか。トイレに顔を突っ込めばループが来る前に窒息死できるのではないだろうか。いや、どうせ何度でもトライできるのだから考えるより先に行動すべきだろう。私はトイレに向かって少し早足で歩き出した。



「いらっしゃいませ〜」

ちょうど歩き出したタイミングでループが発生した。相変わらず煩わしいが、もはや今は何も気にならない。久々にまだ可能性がある行動を見つけたんだ。すぐに試してみたくなるのは自然なことだ。足音をたてて菓子パンなどが並んだ商品棚を横切り、トイレのドアの前に立った。

死ねばループが終わる、というのもフィクションにはありがちな設定だろう。正直、恐怖を感じてはいた。と言っても死ぬことへの恐怖ではなくこんなにすぐ実行に移せる自分に恐怖を感じ、そして感動していた。私にはこんな決断力があったのか。私はトイレのドアに手をかけた。仮に本当に死んでしまったって構わない。もうどうなってもいい。

「本当に、そう思うんですか?」

「え」

後ろから声がした。今までそんなことは一度もなかったのに。

突然聞こえた声に驚いて振り向いたがそこには誰もいなかった。代わりに初期の頃に探っていたパン類の商品棚がある。

今の声はなんだったのだろう。そう思いながらも声の正体について1つ心当たりがあった。



「いらっしゃいませ〜」

疑惑は確信に変わった。声の正体が分かった。私は早足で店員のいるレジの前に向かって行った。

「あの、さっきの声、あなたですよね」

先のループで私の後ろからした声、あれは店員の声だった。何度も聞いていたはずなのに気づかなかった。

「なんで急に声をかけたんですか?今までそんなことはしなかったのに」

店員は一切表情を変えない。貼り付けられたような笑顔で微笑んでいる。

「やっぱり、あなたとこの空間はなにか関係があるんですね?」

余裕の無さからまるで尋問のように訊ねるが返答はない。先程のようなイレギュラーはどうしたら起きるのだろう。

私は店員の顔をじっと見つめる。そしてその顔に何か違和感を感じた。違和感の正体を探るべく、さらにまじまじと見る。

店員の瞳に私の顔が映った。見慣れた顔だった。

「……私?」

私だ。私がいる。瞳の奥にではない。私の目の前に私と同じ顔をした人間が立っている。私の前にいる店員の顔と彼女の瞳に映る私の顔が一致している。

目を擦ってからもう一度見る。確かに私だ。どうして今まで気づかなかったのだろう。自分と同じ顔をした店員なんて気が付かないわけが無い。

「な…な、なん……えぇ…?」

いよいよ限界だった。疲弊しきった頭では全く理解出来なかった。ただでさえ奇妙なコンビニの中でもっと奇妙なことが起こっている。幻覚でないかとさえ思った。それよりも信じられないのはこのことを今の今まで全く認識していなかったことだ。本当にどうして今まで気づかなかったのだろうか。

「……やっと、ですね」

じっと見つめていた顔からいきなり声が発せられたことに驚いて反射的に後ろに飛び跳ねた。

「ほんとはあなた自身で気づいてもらいたかったんですけど…もう埒が明かないんで、声かけちゃいました」

今までロボットのように固い動きしかしなかった店員が、疲れたような表情をして頭を掻きながらレジから出てくる。反対に私は驚いた表情のまま固まっていた。

「まあ、私もあなたですし…結局は一緒なのかな?どうなんだろ」

こちらに訪ねるように首を傾げているがもちろん私は何も分からない。不安なのか恐怖なのか何なのか分からない感情に支配されている。喉の奥からやっとの思いで声を絞り出した。

「あ、あなたは一体…」

「さっき、もう死のうと思いましたよね」

私が絞り出した言葉をいとも容易く無視して店員は私に言った。私は彼女の正体を探ろうと質問をしたが、本当は気づいていた。彼女は私自身だ。似ている誰か、ではない。何故かそう確信していた。むしろ今までそう思っていなかったことが不思議だ。

「それに今までの人生にいいことは1つもなかった…とも思いましたよね」

確かに思った。店員が私の心を読めているのは彼女が私だからだろうか。

「…はい」

「本当に、そう思うんですか?」

聞き覚えのあるセリフがとんできた。ついさっき聞いた言葉だ。

「ほんとのほんっっとーに、いいことは1つもないと?」

目の前の私はどこか飄々とした雰囲気で話している。客観的に見ると私はこんな軽い態度なのだろうか。

「……実際そうじゃないですか。あなただって私なら分かりますよね?良い思い出が1つも頭に浮かんでこないんですよ」

気づいたら言い返していた。それにいつの間にかこの店員が自分であるということを自然と認識していた。さも当然のように話す私は傍から見れば頭がおかしくなったように見えるだろう。実際、とっくに頭はおかしくなっているのだが、自分自身に話す私に特に違和感は感じなかった。

「お母さんは私の世話を全然しないで、ある日姿を消した。生活するために進学をやめて就職した。今はブラック企業でボロボロになって毎日働かされている。そして…この間お父さんも死んだ」

言いたいことが溢れるように出てきて口が追いつかない。つっかえながら話す私を目の前の私は黙って見つめていた。

「この先も、ずっとずっとこんな暗い世界で生きていくんです。それならもう死んでしまおうって、そう思ったんです」

その後、やれやれ、と言わんばかりにため息をつきながら首を振ってみせた。

「今なら気づけるはずです。もう一度探して下さい」

「…何をですか?」

「良い思い出を、です」

何を言っているのか分からなかった。



「いらっしゃいませ〜」

またループした。あんなことが起きた後でも変わらずループはするのか。

「……ほーら、早く探してください」

突っ立ったままの私にレジから声がかけられた。話し方がだいぶラフだからか、顔が見えないと私ではない別人の声のように感じる。いつものようにさっさと歩き出す。いつもと違うのは脱出する方法を探すのではないという点だ。と言っても何を見つければいいのだろう。私の良い思い出とは一体なんだろうか。そもそも探せば見つかるものなのだろうか。店内を一通り回ってパンの商品棚の前に来た。後ろには先程自殺に利用しようとしたトイレの入口がある。最初の方はクリームパンやらカレーパンやらを取っていたが、今度は商品棚全体をくまなくじっくり見た。

やがて違和感を覚えた。商品棚の左上に見慣れないものがある。どうして今まで気づかなかったのか。さっと手に取ってみるとそれはミニサイズのホットケーキだった。コンビニで売っているものとは思えない程に焦げている。そして、この焦げを私は知っている。

これはお父さんが私によく作ってくれたものだ。幼い頃、お母さんが失踪してから、1人で私を育ててくれたお父さんが時折私に作ってくれたホットケーキ。料理が下手なお父さんが作ったそのホットケーキはいっつも真っ黒に焦げてしまっていた。だけど私はそれが大好きだった。味は決して良くはない。けれど、私を気にかけてくれるお父さんの気持ちが伝わってくるようで、それだけで他のどんな食べ物よりも美味しく感じた。焦がしてしまって申し訳なさそうな顔をしているお父さんと、その前で笑いながら次々とホットケーキを頬張る私の姿が脳裏に浮かぶ。

「なんで、ここに……」

「見つけましたか」

左の方から声がする。顔を向けると店員、もとい私がレジに手をついて微笑みながらこちらを見ていた。

「それが良い思い出の1つです。簡単なとこにあったでしょ?それに気づけたらあとはもう楽勝です」

話を聞きながら、私は彼女の上に吊るされたキャンペーンの紙を見ていた。5%オフとかなんかのアニメとのコラボとか書かれたいくつかの紙の中に見覚えのあるものがあった。高校生の頃まで所属していたテニスクラブの集合写真だった。ある大会で、私の一撃が決め手となって優勝した時の写真だ。私は大きなトロフィーを手に満面の笑みで仲間達に囲まれている。みんなとても嬉しそうだ。

もっとよく見ようと歩き出した。その途中でまた別のものに気づいた。

「…なんかあったらいつでも頼ってよ。私たち、友達でしょ?……ちょっと、怪しいってなに?そんななら見捨てちゃおっかな〜…って冗談冗談。……大丈夫だよ。うん。あなたならきっと、大丈夫」

私が社会人になる少し前に、親友と話した時の音声が店内放送で流れている。いつも私を気にかけてくれた彼女に心から救われたことを思い出した。そういえば最近会っていなかった。

「ほら、いっぱいあったでしょ?それもこんなに分かりやすく。ほんとは他にもいっぱいあるんですよ」

レジから私が話しかけてきた。確かに良い思い出が沢山あった。こんなわかりやすいものにどうして今まで気づかなかったのだろう。

いや、気づいていた。分かっていた。でも気づかない振りをしていた。世界中で自分だけが本当に不幸なのだと思った。思いたかった。だから嫌なことばかり見て、他は見ない振りをしていた。ああ、私はなんて不幸なのだろう、と悲劇の少女でいようとしていた。悪いのはループするこの世界じゃなくて私自身だった。

私は手に持っていた袋からパンケーキを取り出し、1つ齧った。焦げた部分は苦く、あまり美味しくはなかったが、とても嬉しい気持ちになった。その懐かしい感覚に私は涙を流した。

「…人間は悪いことの方がよく覚えられるらしいです。良いことはすぐに忘れてしまうけれど、嫌なことはずっと忘れない。だから人生悪いことばっかりだ、って思っちゃうんです。あなたも例外ではありません」

私の目の前で店員の格好の私が目を閉じて、願い事をするように手を組んで話している。

「だけど、実際は良い思い出は悪い思い出と同じくらい、いーっぱいあるんです。それを思い出せないとこんなふうになっちゃうんです」

ぱっと目を開いてこちらを見つめて指を指してくる。同時にもう一つの手で自分にも指を指していた。自分自身と目が合っているこの光景はまるで鏡を見ているようだった。

「それに気づけた今、もう少し生きてみてもいいかなって思えてますよね。あなたはほんとは強いですから、きっとこれからの人生、何とか生きていけるはずです。信じてください。何せ私自身が言うんですから」

目を細めて静かに微笑みながら私は私を見た。鏡写しの私はどんな表情をしているのだろう。

だんだんと視界が霞んできた。辺りが白く染まっていく。ここしばらく感じていなかった暖かさを感じた。

あなたは何なんですか。それにこのコンビニは一体なんですか。

聞きたいことはいくつもあるがどれも言葉に出来なかった。

視界が真っ白になった頃、頭の中に声が響いた。

「またのご来店はお待ちしておりませんからね」



目を覚ますと私は病院のベッドの上にいた。体のあちこちが痛い。数日前の夜の会社の帰り道、私は自殺しようと思って駅のホームから飛び降り、電車に引かれた。一命は取り留めたもののつい先程まで生と死の狭間で彷徨っていたらしい。前までの私なら死ねなかったことを悔しがっていただろう。今は安堵の気持ちが大きかった。

例の親友が目を覚ました私に駆け寄ってきた。頼ってって言ったじゃん、と涙をボロボロと零しながら私に抱きついてきて、頭をぽかぽかと叩いてきた。体を揺らされてちょっと痛いが、その姿を見て私の目からも思わず涙が流れた。今度からは壊れる前に彼女に相談しようと思う。落ち着いてから彼女と話していると彼女は私を見て、なんかちょっと雰囲気変わった?と聞いてきた

「そうかな」

「うん。前よりも明るくなったよ。正直覚悟してここまで来たからちょっとびっくりした」

「…電車とぶつかった衝撃で心のライトのスイッチが押されたのかな」

「本人が不謹慎なこと言わないでよ」

彼女より先に私が笑う。声を上げて笑う私を見て彼女は嬉しそうに微笑んでいた。


「いらっしゃいませ〜」

それから数日後、私は会社を辞めた。精神が不安定であることを訴えたら、意外とすんなり辞めることが出来た。

「お預かり致しま〜す」

病院も割とすぐに退院できた。身体も特に後遺症はなく、問題なく生活出来ている。電車に引かれたというのに軽傷で済んだのは奇跡と言えるだろう。

「2点でお会計420円になりま〜す」

いや、奇跡と言うよりも私の内側の生きようとする意思がそうさせたのかもしれない。私の中の私が幸せな記憶を取り戻させるために生み出した空間。それがあのコンビニだったのだろう。

「500円お預かり致しま〜す」

長い夢を見ていたようだった。あそこにいたもう一人の私も言っていたが、もうあのコンビニには行きたくない。あんな無間地獄はもうごめんだ。

「80円とレシートのお返しになりま〜す」

そのためにも、私は生きていかなければならない。嫌なことよりも嬉しいことを多く見つけられるように生きていかなければならない。

「ありがとうございました〜。またのご来店お待ちしておりま〜す」

これからどうしようか。そんなことを考えながら、クリームパンとカフェオレが入った袋を持って私はコンビニを出た。

外は明るかった。見上げると、いくつかの雲が浮かんだ大きく深い青空が広がっていた。吸い込まれそうな程の青だった。そこから差し込んでくる、眩しく輝く日差しに目が眩んだ。

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