第18話 軽やかな社長
会社に向かう車の中で、静かなラジオの音楽が流れていく。
きっとこの車は私の人生だ。
滑らかに曲がっていく車が、私の人生の曲がり角。
赤信号で緩やかに止まる車。長い人生にはそんな日もあるかもしれない。
でも隣にいるのが
そんな自分の人生を体全体で感じながら、私は
「どうしたの? ずっとこっちを見てるけど」
「――見てたの?!」
「そりゃあ見えるよ。サイドミラーも見なきゃいけないんだから」
車の運転って、そういうものなのか! ヤバい、気づかれた?!
私は慌てて
「なんでもないの! ただ、私の旦那様は素敵だなって!」
「ありがとう」
――もしかして、自爆した?!
私は顔が熱くなるのを自覚しながら、
「お願い……忘れて……」
「うん、わかった」
……こんな人になら、私の人生を任せても大丈夫かも。
どんどん心が傾いていく。もう自分を止められないかもしれない。
この先にどんな自分が待ってるのか、それを知るのが怖かった。
だけど――その先を見てみたい。
私は自分の心に渦巻く期待と不安を見つめながら、黙って
****
会社に着き、エレベーターに乗った
「営業の人に社用車を出してもらって、それで移動するよ。
それでお客さんを巡っていくから」
「うん、わかった」
ちぇっ、二人きりじゃないのか。
そんなことを思う自分に驚きつつ、登っていくエレベーターの重力を感じていく。
もうすぐ私の戦場が見えてくる。浮かれる奥さんは、そろそろ心にしまわないと。
気を引き締めて口を引き結び、まっすぐ背筋を伸ばした。
エレベーターのドアが開き、
私は
****
オフィスに入ると、
「おはよう! ――
入口の傍に座っていた若い男性が振り向き、笑顔で頷いた。
「ええ、大丈夫ですよ。どこを回るんですか?」
「
「
それに
――え?! 『お客さんに顔見せ』じゃなかったの!
「ちょっとしたOJTだね。
「わかりました。若奥様の為ですね? アポはどうします?」
「すぐ出かけるから、アポなしで行こう。
飛び込み営業ほどはきつくないでしょ」
「……本当にやるんですか?」
不安気な
「やるよ? 大丈夫、僕が付いてるし」
「じゃあ車のキーを取ってきます」
立ち上がった
私は思わず
「ねぇ
「違わないよ? 営業中のお客さんにも顔を知ってもらわないと。
これから
最初は僕が手本を見せるから、それを見て覚えて」
大丈夫かな……胃がキリキリと痛む。
彼は不安や緊張とは無縁みたいだ。
少しでもその力を分けてもらいたくて、私は体を寄り添わせていく。
「本当に行くんですね?」
「もちろん。さぁ行こう!」
背後から付いてくる
私たち三人は、黙ってエレベーターに乗り込んで地下駐車場に降りていった。
****
「
「まだ難しそうです。あそこはシステム投資を渋ってますから」
「オーケー、じゃあ
「私たち営業の言葉は、聞いてくれそうにないですね。
今日で若奥様が口説いてくれるなら、大助かりってとこです」
私は慌てて
「ちょっと
「そうだね、報告通りだ。でも今日、商談を成立させるから。
僕が片付けるなら、一緒に
OJTの範囲を超えてない?! 重役最初の仕事が、契約を取り付けることなの?!
私は
「……私で大丈夫なの?」
「僕が現場に行って、話がまとまらなかったことはあんまりないよ。
駄目だと判断したらすぐに撤退! ――簡単でしょ?」
私は苦笑を浮かべながら
「撤退もあるんだ?」
「僕は若いからね。話を聞く気がない人と話をするだけ無駄でしょ。
うちの商品を魅力的だと理解できる人にだけ売る。それで充分だよ」
運転席から
「若旦那は強気ですよね。
私ら営業が必死に口説いても落とせない強敵、どう落とすかお手前を拝見します」
「
とはいっても僕らと
『こんな方法もあるのか』くらいに受け取っておいて」
「はい」
十八歳の癖に、年上の私や
これが社長の貫禄なのかな。
技術と度胸を併せ持った、会社を背負って戦う人。
なんだか世界中に『この人が私の夫です』と、叫びたい衝動に駆られていた。
そんな気持ちをぐっと飲みこみ、深呼吸をしていく。
「忘れてたけど、これが
ケースを開けて名刺を見ると、『取締役兼開発部長
軽いはずの名刺ケースが、とてつもなく重たいものに感じた。
鞄から名刺入れを取り出し、そこに新しい名刺を一枚ずつ差し込んでいく。
これを出したが最後、私は会社の看板を背負って戦う戦士になる。
緊張している私に、
「そんなに緊張しなくていいよ。最初は僕が全部話すから。
それを見て勉強して。どうやってお客さんを口説くのか」
私は黙って頷いて、名刺入れをトートバックにしまった。
****
社用車が目的地に着き、駐車場に入る。
車から降りた私の足は、情けないほど震えていた。
こんなに怖いのは、いつ以来だろう。入社式の時より緊張してる。
「行くよ、
私は思い切って足を前に出し、その背中に付いて行く。
横を歩く
「若旦那が付いてますから、大丈夫ですよ」
「……本当に?」
「今まで若旦那が判断を間違えたことはありませんから」
凄い信頼……まだ一年も経ってないのに、営業からここまで信頼されてるの?
どれだけの修羅場をくぐってきたんだろう。
――あの背中に追いつきたい。そして
私は拳を固く握りしめると、地面を踏みしめるように歩き出した。
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