第16話 プレッシャー

 私は新品の席でPCに向かい、AIチャットを開いていた。


光香みか純人すみとくんは何時ごろ帰ってくるのかな』


『クロノア・ニール:予定では十六時頃に帰社となっています』


 そっか、それまでなにをしてようか。


 白井しらいさんはもう元の席から荷物を運び出し、四階の席に移ってしまった。


 開発部長って、何をしたらいいの?


光香みか:私は何をしたらいいと思う?』


『クロノア・ニール:今日はスケジュールが空いています。

 話し相手なら、私が引き受けますよ』


光香みか:ちょっと、部長がそれで大丈夫なの?』


『クロノア・ニール:緊急の課題はありません。

 開発現場に白井しらいが戻ったことで、現場の課題は解決の見込みです。

 開発チームの稼働率が高めで推移していましたが、今後は改善するでしょう』


光香みか:高めって、どれくらい?』


『クロノア・ニール:では資料をご覧ください』


 AIが回答したリンクをクリックすると、社内資料が開かれた。


 二十人近い開発メンバーが毎日三時間以上の残業、これが一か月以上?


光香みか:これって残業規制はどうなってるの?』


『クロノア・ニール:開発チームは裁量労働制が導入されています。

 出勤も退勤も、リモート作業も任意です。

 ですがシステムの都合上、出社する人間が多いのが現状です』


光香みか:裁量労働って、どういうこと?』


『クロノア・ニール:自由な時間で働き、求められる成果を出す働き方です。

 現場の指導力と本人の自主性、規律性が強く求められます。

 不規則な終業時間を強いられる業種では珍しくない働き方です』


 フレックスとかかな。リモート勤務も、勤務時間を管理しようとすると大変だし。


光香みか:やることをやればあとは自由、という理解であってる?』


『クロノア・ニール:はい、その理解で正しいです』


 ふぅ。AIって便利だなぁ。相談すれば的確な答えを返してくれる。


 でも純人すみとくんは『AIはよく嘘をつく』とも言っていたっけ。


 全幅の信頼を置いちゃいけないんだろうな。


光香みか:この会話もログに残るの?』


『クロノア・ニール:はい、残ります。

 ただし閲覧可能なのは純人すみとだけです。

 重役の対話は機密が多く、一般の技術者は閲覧権限がありません』


 そっか、じゃあ少し安心かな。


光香みか:部長の仕事、詳しく教えてくれる?』


 私は純人すみとくんが返ってくるまで、AIとの対話を続けていった。





****


 AIと会話を続けていると、社内に純人すみとくんの声が響き渡る。


「ただいま! 金曜日に伊勢崎いせざきのホールで光香みかさんの歓迎会を開くよ!

 任意参加だから、不参加の人は早めにメールしてね!」


 周囲からワッと声が上がり、明るい空気が辺りを包む。


「さすが若旦那! あそこは料理が美味いんだよなぁ!」


「若奥様の就任祝い? いいわね、夫婦で仲が良くて!」


 笑顔の社員たちの列を抜け、純人すみとくんが私の席にやってくる。


光香みかさんもいいよね? 主役が不参加だと、さすがに格好がつかないし」


「私が主役なの? ホールって、どこにあるの?」


「この近くに伊勢崎いせざき系列のホテルがあるんだ。そこの大型ホールを貸切る。

 周囲の企業も良く使う、立派なところだよ。

 移動はバスを出してもらうから」


「――そんなに遠いところなの?!」


 楽し気な笑顔の純人すみとくんが答える。


「徒歩で十五分ぐらいかな。でもバスを出すくらい、簡単だから」


 そんな馬鹿な。お金はどうするんだろう……。


「ねぇ純人すみとくん、大掛かりすぎない?」


「そうかな? いつもうちはそうやってるけど?

 光香みかさんのお父さんも、同じようにしてたらしいし」


 お父さんも?


「バスの貸し切りって、そんなに安いの?」


「企業からしたら、大した出費にならないよ。

 利益が出てればむしろ、経費で落として節税できるしね」


 福利厚生費ってことなのかなぁ。まだまだ、分からないことだらけだ。


 社長席に戻った純人すみとくんが、素早くキーボードを叩いていく。


 すぐにメールの着信がポップアップされ、それをクリックした。


 うわ、社長直々の『新人歓迎会の案内』って。


 不参加はこれに返信すればいいの? 小さい会社ってフットワークが軽いんだな。


 純人すみとくんからのメールが再び届いた――『部長用の資料』?


 メールを開くと、現在の製品ラインナップが並んでいた。


 ほとんどは『開発中』と書いてあって、『クロノア・ニール』だけが売り物になってるみたいだ。


 純人すみとくんが社長席から告げる。


光香みかさん、改めて資料を見ておいて。

 自宅じゃ見せられなかった情報も含まれてるから。

 疑問があったら、僕かAIに聞いて」


「――あ、はい。わかりました」


 純人すみとくんは忙しそうにキーボードを叩いていく。


 私に付き合って午前休、臨時株主総会から社外の役員会議まであった。


 今日一日の仕事が溜まってるのかな。


 私は資料を見ながら、分からないところをAIに聞いて製品の理解に努めていった。





****


 午後五時になると、PCからポップアップで通知が出た。『終業時間のお知らせ』?


 純人すみとくんが立ち上がって両手を打ち鳴らした。


「はい、業務終了! みんなすぐに作業を切り上げて!」


 社員たちが笑顔でPCをシャットダウンさせ、荷物を手に帰っていく。


 みんなの「お疲れ様」の声を聞きながら、私は笑顔の純人すみとくんに尋ねる。


「もしかして、システムが終業時間を教えてくれてるの?」


「そうだよ? 僕と光香みかさんのアカウントにだけ、クロノア・ニールが通知を出すんだ。

 社員のPC全てに接続するわけにはいかないけど、光香みかさんなら問題ないから」


 私は呆気に取られながら純人すみとくんを見つめた。


「私だけ特別扱いってこと?」


「僕たちは夫婦だし、今日で晴れて取締役兼部長にもなった。

 白井しらいさんのアカウントも前は通知が飛んでたんだけど、気づかないことが多いかったね」


 それだけ作業に押しつぶされてたのかなぁ。


 となると、やっぱり交代して正解だったのか。


 私は立ち上がってトートバックを手にすると、純人すみとくんに尋ねる。


「私はこれから何をすればいいの?

 部長の業務なんて言われても、どれもピンとこなかったんだけど」


「明日は白井しらいさんが作ってくれた資料を持って、客先周りかな。

 新しい部長として、顔を売っておかないとね」


 うっわ、プレッシャー?!


 私は眉をひそめて純人すみとくんに尋ねる。


「私でお客さんが納得してくれるのかな……」


「どっちにしろコア技術は僕が担当してるし。

 白井しらいさんもヒアリングして僕に伝えるのが仕事だったから。

 慣れてくれば、お客さんの操縦方法もわかってくるよ」


 操縦方法って……相手は人間だけど?


 戸惑う私の背中を純人すみとくんが押していく。


「ほらほら、フロアの電気を落とすよ。早く帰って食事にしよう!」


 私たちは静まり返ったオフィスを抜けて、電気を消して退室した。





****


 帰宅した純人すみとくんは、今日も率先して料理を作っていく。


 今日は私もジャケットを脱いだ状態で、エプロンを付けてピーマンを刻んでいった。


 鍋でひき肉を炒めている純人すみとくんに、次々と野菜の入ったボウルを渡していく。


 純人すみとくんは火が通った具材に餡をかけ、良くかき混ぜてお玉を鳴らした。


「――チンジャオロース、一丁上がりっと! 光香みかさん、着替えておいでよ!」


「うん、わかった」


 私はエプロンを外すと、ジャケットとトートバッグを手に寝室へ向かった。



 部屋着に着替えながら、小さくため息をつく。


 夢にまで見た管理職、それも極上の部長だ。


 取締役にまでなって、キャリアとしてはこれ以上ない箔が付いた。


 これから転職するとしても有利なのは間違いない。


 だけど――きっと転職先でも、部長の責任が期待される。


 いつまでも純人すみとくんに頼ってたら、私が自立できたことにはならないだろう。


 お飾りじゃない部長にならないと!


 鏡を見て自分の目を見つめ、小さく気合を入れる。


「今日から私は重役! いい? 私は重役なの」


 自分に言い聞かせてから、肩に重たいものを感じた。


 これが『白井しらいさんが感じていたもの』――重役のプレッシャーか。


 私の言動が会社を左右しかねない。


 白井しらいさんは現場の面倒を見ながら、これに耐えてたのか。


 ダイニングから純人すみとくんの声が聞こえる。


光香みかさーん! おかずが冷めちゃうよー!」


「――あ、はーい! 今行きます!」


 私はパタパタと音をさせながら、寝室を飛び出るようにダイニングへ向かった。

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