第15話 取締役就任

 私たちは午前休を取って印鑑登録と印鑑証明を役所で取得し、純人すみとくんに手渡した。

 

 そして運命の午後、私は純人すみとくんや白井しらいさん、そして佐久造さくぞうさんと一緒に会議室に居た。


 もう一人、佐久造さくぞうさんの会社から来た人が書記としてノートPCを広げている。


 純人すみとくんがその場に告げる。


「じゃあクロノア・ソリューション、臨時株主総会を開くね。

 議題は白井しらいさんの取締役兼部長から副部長への降格。

 そして新しく、光香みかさんの取締役兼部長への任命だ。

 この人事に反対の人は手を上げて」


 白井しらいさんはニコニコと楽し気な笑みで黙っている。


 佐久造さくぞうさんも、ただ黙って純人すみとくんの言葉を聞いていた。


「……全会一致で可決、でいいかな?

 お爺ちゃん、念のために一言もらえる?」


 佐久造さくぞうさんが頷いて答える。


「株主代表として、意義がないことを宣言する。

 白井しらいも、それで構わないな?」


 白井しらいさんが晴れ晴れとした笑顔で頷いた。


「ええ、構いません。役員の返上、お受けいたします」


 佐久造さくぞうさんが下座の私に振り向いて告げる。


光香みかさん、あんたも構わないな?」


「――はい! が、頑張ります!」


 思わず上ずった声で返事をした私に、三人の笑い声が上がる。


 純人すみとくんが優しい笑顔で告げる。


「だから、そんなに緊張しないで。ただの話し合い、会議なんだから」


 そんなこと言われても、『株主総会』とか、天上の世界なんだけど?!


 純人すみとくんが改めて告げる。


「じゃあ今日から白井しらいさんは取締役を返上、開発部副部長に任命。

 光香みかさんを取締役兼開発部部長に任命。

 それぞれ、書類にサインと捺印を」


 純人すみとくんが立ち上がり、白井しらいさんと私の前に書類を置いていく。


 私は震える手で名前を記していき、ハンコを押した。


 純人すみとくんがその書類を回収して頷く。


「はい、じゃあ臨時株主総会は終了だ。

 ――白井しらいさん、いままでお疲れ様。

 これからは現場でしっかりと後進育成に励んでね」


 白井しらいさんが明るい声で答える。


「任せておけ! 山岸やまぎし主任が後を告げるまで、きっちり鍛えてやる!」


 佐久造さくぞうさんが立ち上がって告げる。


「じゃ、私はこれで失礼するよ。

 ――純人すみと、この後の役員会議、出席するのか?」


「ああ、今日だったっけ?

 分かった、一緒に行こうか、お爺ちゃん」


 役員会議? 一緒に行く?


「ねぇ純人すみとくん、どこに行くの?」


 純人すみとくんがニコリと微笑んで答える。


「僕はお爺ちゃんの会社、伊勢崎いせざきホールディングスの取締役でもあるんだ。

 名前だけだけど、一応参加はしておかないと実態がないって思われるし。

 悪いけど光香みかさん、戻ってくるまで一人でいい子にしていられる?」


 私は苦笑を浮かべながら純人すみとくんに答える。


「こら、年上の妻になにを言い出すの?

 そのくらいはできます。安心して」


 純人すみとくんが微笑んで頷いた。


 佐久造さくぞうさんが歩きながら私に告げる。


「それじゃ、純人すみとを借りていくよ」


 そのまま純人すみとくんを連れ、佐久造さくぞうさんは書類を手に部屋を後にした。


 残された白井しらいさんは、大きく伸びをしながら声を上げていた。


「よーし! これで現場復帰だ!

 光香みかちゃん、悪いけど私は席を四階に移すよ。

 何かあったらチームチャットで。それでいいかな?」


 私は苦笑を浮かべながら頷いた。


「そんなに現場がいいんですか?」


「技術者は現場に骨を埋めたいのさ!

 新しいプロダクトも開発しなきゃいけないしな!

 今度こそ、市場を取ってやる!」


 元気に立ち上がった白井しらいさんが、その勢いのまま軽やかに部屋を出ていった。


 最後に残された私も立ち上がり、静まり返った会議室を出た。





****


 会議室を出た私に、年配の女性が近づいてきて告げる。


「あ、若奥様の席はこっちよ。案内するわね」


 女性に案内されたのは、いつの間にか社長席の近くに作られた新品の席だった。


 大きな机にゆったりとした椅子。


「え? ここが私の? いつの間に?」


「若奥様が午前休を取ってる間に、業者が運び込んできたわよ?

 若旦那が手配したんじゃない?」


 私は呆気に取られながら女性に尋ねる。


「そんなにすぐに手配できるものなんですか?」


「会長の会社に予備でもあったんじゃない?

 運び込むだけなら、即日でも対応してくれる業者はいるし」


「はぁ……」


 本当に、そんなにすぐに? 手際がいいと言うか、なんと言うか……。


 年配の女性が私に告げる。


「私は総務の西川にしかわよ。何かあったら、いつでも気軽にね」


「――あ、はい。よろしくお願いします」


 西川にしかわさんが笑顔で手を振って去っていく。


 私は改めて自分の机を見降ろした。


 純人すみとくんの席が良く見えるように配置された、新しい私の机。


 PCも新品が置かれてるみたいだけど、これも予備なのかなぁ。


 モニターは二台、いやこれは予備じゃないんじゃない?


 純人すみとくん、いったいいつから準備してたんだろう……。


 私は古い席に戻り、置いていたトートバッグを手に取った。


 隣の席の島田しまださんが、私に笑顔で振り向く。


「短い間だったけど、おしゃべりできて楽しかったわ。

 大変かもしれないけど、頑張ってね」


「はい、島田さん、ありがとうございました」


 私が頭を下げると、島田しまださんが笑いながら答える。


「駄目よ! 貴方はもううちの重役なんだから!

 そんなに簡単に頭を下げないで」


「そんなことを言われても、実感が……」


「すぐに慣れるわ。若奥様なんだから、ずでーんと偉そうにしてればいいのよ」


 そんなに図太い神経は、持ち合わせてないかなぁ。


 私は愛想笑いを浮かべて会釈すると、新しい席へと戻っていった。





****


 カーテンが閉め切られた伊勢崎いせざきホールディングスの会議室で、佐久造さくぞうが厳かに告げる。


「では役員会議を始める。司会進行は――隆文たかふみ、お前に任せる」


 隆文たかふみが頷き、書類を手に告げる。


「では各部門の報告ですが――」


 グループ企業の業績、続いて今後の戦略方針までが述べられていく。


 その場にいる十人足らずの男たちに交じって、純人すみとは一人、静かな表情で話を聞いていた。


「――以上、ここまでで疑問はありますか」


 佐久造さくぞう純人すみとに尋ねる。


純人すみと様、那由多なゆた様はなんと仰っておられるのか」


「僕に聞くの?

 聞いてた通り、金融部門は好調。他も黒字見込みでしょ?

 現状維持で問題ないよ。那由多なゆたに聞くまでもない。それくらい自分で考えてよ」


「では、そのように――隆文たかふみ、それで構わないな」


 隆文たかふみが頷いて答える。


「では反対の者は挙手を」


 全員が黙り込むのを見回した隆文たかふみが、頷いて告げる。


「では全会一致で可決。本日の役員会議を終了とする」


 資料を手にした男たちが立ち上がり、会議室から出ていく。


 一人の男がカーテンを開けていき、夕日が室内に差し込んでいった。


 明るくなった部屋で純人すみとが立ち上がり、佐久造さくぞうに告げる。


「今週の金曜日、うちの親睦会を開くけど……佐久造さくぞうも来るかい?」


 佐久造さくぞうが躊躇いながら頷いて答える。


「参加してもよろしいので?」


「構わないよ。一人くらい重石が居た方が、場が整う。

 場所は伊勢崎いせざきのホールを使うけど、空いてるでしょ?」


「ええ、空いています。週末ですね、では酒と料理の手配は任せてください」


「言ったからには責任を持ってね。光香みかを楽しませられる場にしたい。

 少しくらいはサプライズを用意してもいいよ?」


 純人すみとはそう言い残すと、一人で悠然と会議室を後にした。


 残された佐久造さくぞうがため息をついて告げる。


「まったく、我が孫ながら何を考えているのか」


 もう一人残されていた隆文たかふみもまた、ため息をついた。


「それは私のセリフですよ、父さん。

 これじゃあ父の威厳も、社長の威厳も形無しだ。

 なんとかならないんですか」


純人すみと様には那由多なゆた様がついてらっしゃる。

 那由多なゆた様に見限られたら、死が告げられるのみだ。

 そうならないよう、祈るしかあるまい」


 佐久造さくぞう隆文たかふみが、互いにため息をついた。


 二人はゆっくりと立ち上がり、最後に会議室を後にした。

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