第14話 エール

 オフィスを出てエレベーターホールに出た私は、純人すみとくんに尋ねる。


「ねぇ、いくらなんでも入社早々で取締役とか無茶苦茶よ?」


 純人すみとくんが飄々ひょうひょうとした笑顔で答える。


「だけど、あのままじゃ白井しらいさんは近いうちに退職願を出すよ。

 もう限界なのは、光香みかさんから見ても分かるでしょ」


「そりゃそうだけど……でも!」


 私の視界を遮るように、白い羽がばさりと羽ばたいた。


「――那由多なゆた?!」


 白いカラスが純人すみとくんの肩にとまり、「カーッ!」と鳴いた――『心配するな』?


 純人すみとくんが微笑みながら告げる。


「ほら、那由多なゆたもこう言ってる。神様が言うんだから、大丈夫だよ」


「でも! いくら社長夫人でもみんなが認めないわよ!」


 純人すみとくんが微笑みながら私に振り向いた。


「今日一日で、そう感じたの?」


 ――それを言われると、なんだか受け入れられそうな気がするけど。


 私が黙り込むと同時に、エレベーターのドアが開く。


「さぁ、光香みかさん。早く帰って夕食の支度をしよう。今日は何が食べたい?」


 私は黙ってため息をつくと、エレベーターに乗り込んだ。


 ドアが閉まると同時に、私はポツリと「レバニラ」と呟く。


 私たちを乗せたエレベーターは、静かに地下駐車場に向けて降りていった。





****


 スーパーに立ち寄ってから帰宅した純人すみとくんは、ジャケット脱いですぐに料理を始めた。


「すぐにできるから、光香みかさんは着替えてきて」


 私は黙って頷くと、寝室に向かった。



 クローゼットで部屋着に着替えながら、私はため息をついた。


「社長夫人ってだけでもプレッシャーなのに。

 取締役とか部長とか……できるわけないじゃない」


 私がぼやくと同時にスマホがメッセージ着信を告げた。


 スマホを手に取ると、送信主は――『クロノア・ニール』? SMSで?


『クロノア・ニール:気にしないで。大丈夫だから』


 私は小さく息をついて、メッセージを打ち込んでいく。


光香みか純人すみとくんのスマホ以外、出てこれないんじゃなかったの?』


『クロノア・ニール:SMSでなら会話できるんだ。声は出せないけどね』


光香みか:随分と近代化した神様ね』


『クロノア・ニール:純人すみとのおかげだね。

 僕は未来が見える。大丈夫、光香みかが気に病むことはないよ』


光香みか:私が取締役兼部長なんて、勤まると思うの?』


『クロノア・ニール:純人すみとが付いてる。光香みかは安心して働けばいいんだよ。

 失敗しても純人すみとがフォローしてくれるから』


 ほんとかなぁ……純人すみとくんを疑うわけじゃないけど、負担が大きすぎないかな。


光香みか:私、どうしたらいいんだろう』


『クロノア・ニール:僕だって付いてる。自分なりに精一杯やってごらんよ』


光香みか:わかったわ。やるだけやってみる』


『クロノア・ニール:その意気だよ。頑張って』


 スマホの画面をロックして、スカートのポケットに滑り込ませる。


 IT業の下っ端経験しかないのに、本当に大丈夫かなぁ。


 マネジメントか……憧れてたけど、いざその立場になると思うと怖い。


 私は不安を抱えたまま、部屋の電気を消してダイニングに向かった。





****


 テーブルには湯気が立ったレバニラの大皿が置かれていた。


 純人すみとくんは椅子に座って私に告げる。


「遅かったね。冷める前にたべよう」


 私は小さく頷くと、椅子に座って手を合わせる。


「いただきます――ねぇ純人すみとくん。那由多なゆたってSMSを送れたの?」


 純人すみとくんが小皿にレバニラを取り分けながら答える。


「僕のスマホはデュアルSIMだからね。片方を那由多なゆた専用にしてるんだ。

 でも、それがどうしたの?」


 私は慌てて首を横に振った。


「――ううん、なんでもない。聞いてみたかっただけ。

 ねぇ、那由多なゆたって本当に純人すみとくんのスマホにしか現れないの?」


 きょとんとした顔の純人すみとくんが、私を見つめて答える。


「そうだけど……まさか、那由多なゆた光香みかさんにメッセージを送った?

 あいつ、時々勝手にメッセージを送るんだ」


 う、やっぱり気付かれちゃうか。


「大したことじゃないの。『頑張れ』って言ってくれただけ」


 リビングの隅で那由多なゆたが「カーッ!」と鳴く――『その調子だ』って?


 私は那由多なゆたに振り向いて睨みつけた。


「他人事だと思って……随分と勝手な神様ね」


 純人すみとくんがモリモリとレバニラを食べながら私に告げる。


「あいつは気ままな神様だから。振り回されすぎないようにね。

 でも嘘は言わない。さすがに神様だからね」


 そう言いながら純人すみとくんは、あっという間にお茶碗を空にしていく。


 私は純人すみとくんの食べっぷりに、思わず呆れてしまった。


「よく食べるわね……」


「頭脳労働職だからね。それにまだまだ成長期が終わらないみたい。

 もう少し背が高くなってくれるといいんだけど」


 完璧な男の子に見えて、案外コンプレックスがあるのか。


「大丈夫よ、今も私より背が高いじゃない」


「できればもっと高くなりたい。光香みかさんを包み込めるくらい、大きく」


 相変わらずストレートな子だな……。


 なんて答えていいかわからず、私は黙ってレバニラを口に運んでいく。


 レバニラの大皿が半分消えたところで、私はポツリと呟く。


「私なんかと契約結婚して、後悔してない?」


「後悔どころか、『ずっとこの生活が続けばいいのに』って思ってる」


「……夜の相手ができない妻でも?」


 純人すみとくんが優しい笑顔で私を見つめた。


「それは光香みかさんが僕との結婚を本物にしたくなるまで、待つだけだよ」


 ――『本物の結婚』、か。


 今は『偽りの結婚』、期間限定で、離婚が前提の関係。


 この生活に不満があるわけじゃない。


 ただ『この人でいい』という確信が持てないだけ。


 純人すみとくんはいい子だけど、やっぱり七歳の年の差は大きい。


 それに……初めての男性になるわけだし。


 それを決めるには、勇気が必要だ。


 いつか、それを決められる日が来るのかな。


 私は黙々とレバニラを食べ終わると、麦茶を飲みながら純人すみとくんに尋ねる。


「私のこと、本当に後悔しないの?」


「しないよ? 何を不安に思ってるのかは分からないけど、僕の気持ちが変わることはないから」


 すっかり大皿のレバニラが消えると、純人すみとくんが「ご馳走様」と告げる。


 私も続いて「ご馳走様でした」と告げた。


「――あ、後片付けは私がやるわ。純人すみとくんは着替えてきて」


「気にしないで。光香みかさんは先にシャワーを浴びてきてよ。その間に片付けちゃうから」


 テーブルを片付け始めた純人すみとくんは、スーツ姿のままお皿を洗い始めた。


 ……私には出来過ぎの夫過ぎる。もったいない。


純人すみとくんには、年相応の相応しい女性の方がいいんじゃない?」


「僕は光香みかさんしか興味がないから。他の女性なんて考えたこともないよ」


 言われて見ればこの一か月、部屋を掃除していても純人すみとくんの荷物にいやらしい雑誌とかは含まれてないみたいだった。


 女性に興味がないというわけでもないみたいだし……不思議な子だ。


 年頃の男子なんだから、性欲ぐらいあるだろうに。


 ベッドでも襲ってくる気配は全くない。


 ……私の色気が足りないのかなぁ。


 ため息をついた私は椅子から立ち上がると、入浴の用意をするために寝室に戻った。





****


 私の後に純人すみとくんがシャワーを浴び終わり、いつものようにリビングで二人並んで座る。


 私はテレビを見ながら純人すみとくんに尋ねる。


「私って、色気がない?」


「突然なにを言ってるの? 光香みかさんは綺麗な人だよ」


「だって……同じベッドでも近づいて来ないじゃない」


光香みかさんがまだ僕に心を決めてないから、手を出せないだけ。

 離婚するなら綺麗な体で離婚した方が、光香みかさんのためでしょ」


 そこまで考えて、ずっと我慢してたの? 年頃の男の子が?


 友達からは、年頃の男子ってもっと自分本位だと聞いていた。


 こんなに私の為を思ってくれる男性は、もう一生現れないかもしれない。


 胸が熱い。愛されるって、こんな気分なのかな。


 私の体が自然と純人すみとくんに近寄り、その肩に頭を乗せた。


 純人すみとくんは黙ってテレビを見ながら、私の肩を抱きよせてくれた。


 私たちは寝る時間までその姿勢のまま、ただ黙ってテレビを見続けた。

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