第13話 緊急辞令

 お昼が近くなり、私は隣の席の島田しまださんに尋ねる。


「この会社、近くに食堂とかあるんですか?」


「あーお昼のこと?

 若奥様の分は、若旦那が仕出し弁当を注文してるはずだけど。

 伊勢崎いせざき系列だから、かなりお得よ?」


 私は興味津々で尋ねてみる。


「お得って、どのくらいですか?」


「コンビニ弁当の半額くらいかしら。

 会社が半額持ってくれるし、量も味も比べ物にならないわ。

 お茶が必要なら、廊下に自販機があるわよ?」


 半額?! そんなに安いの?!


 あー、もしかして佐久造さくぞうさんが持ってきた仕出し弁当が同じ奴かな?


 あの味でコンビニの半額は安いな……。


 自炊するより安いのでは?


 正午を過ぎると社員が立ち上がって行き、オフィスの外に向かっていく。


 私もその流れに乗って歩いていると、純人すみとくんが合流してきた。


光香みかさん、幕の内でよかった?

 なんなら僕のから揚げ弁当と交換する?」


 から揚げ弁当か……さすがにカロリーが気になるな。


 私は微笑んで純人すみとくんに答える。


「大丈夫、幕の内で」


 受け付け傍の小部屋にみんなが雪崩れ込んでいき、賑わいながらお弁当を手に出ていく。


 私が幕の内弁当とお箸を手にすると、純人すみとくんが壁を指さして告げる。


「ここにメニューがあるから、好きなのを選んで社内システムで午前十時までに申請して。

 十時に締め切られたら業者に発注されるシステムなんだ」


 私は小首を傾げながら純人すみとくんに尋ねる。


「メニューはデジタルにしてないの?」


「一応あるけど、定期的に入れ替わるからね。

 最新版はここのメニュー。ウェブで見られるのは定番メニューだけ。

 季節限定品も、ここのメニューでしか見られないよ」


「なんでそんなことを?」


 純人すみとくんがニヤリと微笑んで答える。


「グループ企業だけの秘密って奴。

 ウェブに乗せちゃうと、他のお客さんも注文できちゃうからね。

 お爺ちゃんはそういう遊びをよくやるんだ」


 なんの意味があるの、それ……。


 あ、でももしかして、離職対策?


 お得感があれば、会社に居つきやすいのかな?


 私の背中を純人すみとくんが押した。


「ほらほら、立ち止まってるとみんなの邪魔になるよ。席に戻ろう」


「――あ、ごめんなさい」


 私は人の流れに乗るように小部屋を出ると、自分の席に向かった。





****


 午後になり、オフィスの電話が一斉に鳴り出す。


 すぐに若い男性社員が電話を取った。


「はい、クロノア・ソリューション……いえ、うちはそういうお話はお断りさせて頂いてます。

 いえ、興味もありません。失礼いたします」


 若い男性社員が受話器を置き、椅子に座る。


 周囲の社員は気にせずに作業を続けていたみたいだ。


「ねぇ島田しまださん、電話は女性が取らなくてもいいの?」


 島田しまださんが微笑みながら頷いた。


安達あだち社長時代は『電話は女性が取ってほしい』って通達があったんだけどね。

 若旦那になってからは『男女どちらも、率先して動いてほしい』って。

 若奥様も、なるだけ電話対応は覚えておいた方がいいわよ?」


「電話対応くらいできますけど……お父さんってそんな古臭いことを言ってたんですか?」


「平成から続く企業だったもの。しょうがないわよ」


「あー、半世紀も前ですもんね」


 島田しまださんが笑いながら私に告げる。


「さすがに半世紀は経ってないわ! 平成初期に創立した会社よ。

 今からだと、三十年くらい前かしら」


 いや、もう四捨五入したら半世紀じゃない?


島田しまださんはお父さんを知ってるんですか?」


「そりゃ、私も生え抜きだったからね。

 アラフォーになる今年まで、二十年近くお世話になってたし。

 ワンマンだったけど、案外社員思いの人でもあったのよ?」


「……そうなんですか?」


 島田しまださんが画面を見ながら微笑み、小さく頷いた。


「社員旅行を企画したり、親睦会を企画したり。

 まぁ若い子には負担が大きくて、定着率が悪かったけど。

 古臭いけど、面倒見は良かったと思うわ」


 私の知らないお父さんの姿……新鮮な気分だった。


 私はテストの作業を続けながら、島田しまださんからお父さんの話を聞いていった。





****


 終業時間になると、純人すみとくんが立ち上がって両手を打ち鳴らした。


「はい、仕事終了! 手を止めてさっさと帰宅して!

 最後に居残った人が掃除当番ね!」


 その声に応じるように、みんなが慌ててPCをシャットダウンさせ、荷物を持って立ち上がる。


 島田しまださんも立ち上がると、私に「お先に」と告げて去っていった。


 残っているのは……純人すみとくんと白井しらいさんだけ、か。


 静まり返ったオフィスの中で、私はおずおずと純人すみとくんに尋ねる。


「ねぇ純人すみとくん、掃除当番って本気?」


「もちろん冗談だよ? 業者が週末に清掃に入ってくれるから、気にしなくて大丈夫。

 ――じゃあ白井しらいさん、お先に」


 白井しらいさんが画面に向かいながら答える。


「あー、若旦那もお疲れ」


 なんだか白井しらいさん、元気がない。覇気がない?


 これからやりたくない仕事が待ってるから、気が乗らないのか。


白井しらいさん、ごめんなさい、お先に失礼しますね」


 急に白井しらいさんが私に振り向き、笑顔で告げる。


「ああ! 光香みかちゃんが居たか! お疲れ様! 初日はどうだった? きつくなかったか?」


 私は苦笑を浮かべながら答える。


「大丈夫ですよ、テストだけですから」


「そうかそうか、無理はするなよ?」


「それ、白井しらいさんが言います?」


 急に白井しらいさんがしおれた花のような笑顔で目を伏せた。


「……やっぱり、わかっちまうか?

 だが他にマネジメントできる奴が居ないしな」


 私はおずおずと白井しらいさんに尋ねる。


「マネジメントって、何をするんですか?」


「開発プロジェクトの進捗管理に会議資料の作成、会議で報告して開発チームに方針伝達。

 勤怠管理に異動の判断、タスク割り振りもやらないといけない。

 顧客との交渉や技術説明、その他諸々ってところだ」


 うげ、やること多すぎ……。


 私は純人すみとくんに振り返って告げる。


「いくらなんでも、白井しらいさんが潰れちゃうわよ? 何とかならないの?」


 純人すみとくんが頭を掻きながら唸り声を上げた。


「外からマネージャークラスを雇い入れても、うちの商品は独特だしなぁ。

 第一、今はそんな人材が小さい企業に来てくれない。

 求人は出してるけど、いい返事は来ないね」


 そんな……八方塞がり?


 純人すみとくんがハッとして指を鳴らした。


「――そうだ! 白井しらいさん、光香みかさんが部長就任ってのはどう思う?

 それで白井しらいさんが副部長って感じで!

 チーム管理は白井しらいさん、それ以外を光香みかさんが担当するんだ。

 どれを任せるかは、白井しらいさんの判断でいいよ」


 ――は?! 何を言いだしてるの、この子は?!


 白井しらいさんは顎に手を当てて目を伏せ、考え始めた。


「……山岸やまぎし主任はまだ若い。私が現場に戻ってscrumスクラムを回した方がいい。

 同じフロアに居た方が負荷が見えやすいし、技術的な質問にも答えやすい。

 だが若旦那、渉外しょうがいはどうするんだ? 光香みかちゃんじゃ無理があるだろ」


「そこは僕がフォローするよ。

 社外には僕が同伴すれば、技術説明もしやすいし。

 慣れてくれば光香みかさんにも、できることだと思う」


 白井しらいさんが私を見上げて目を見つめて来た。


「なぁ光香みかちゃん、頼めるかな」


「ええ?! 本気なんですか?!」


 白井しらいさんが弱弱しい微笑みで頷いた。


「すまんがもう、私は限界だ。慣れないことは、やっぱりできない。

 現場で手を動かしてないと、生きてる気がしないんだ。

 だから光香みかちゃんにできないことを、私が受け持つ。

 若旦那のフォローがあっても無理なら、私が責任を持つ。それでどうだろうか」


白井しらいさん……本当に構わないんですね? 降格になるんですよ?」


 明るい声で白井さんが笑った。


「現場に戻れるなら、多少給料が下がっても構やしないさ!

 あとは取締役会で承認すれば、光香みかちゃんに取締役も譲れるな!」


「はぁ?! 取締役って、何を考えてるんですか?!」


 白井さんが眉尻を下げて私に両手を合わせた。


「頼む! 私はもう、ああいうプレッシャーのかかる役職はいやなんだ!

 現役の技術者で一生を終えたいんだ! 後生だから!」


 そんな拝まれても……。


 純人すみとくんに振り返ると、スマホを耳に当てていた。


「――あ、お爺ちゃん? 明日の午後、こっちに来てもらえる?

 臨時取締役会を開いて、光香みかさんを取締役兼部長にするから。

 うん、用意はよろしくね」


 ――決定事項?! 拒否権、なし?!


 私は慌てて純人すみとくんに駆け寄った。


「ちょっと純人すみとくん! いくらなんでも取締役とか、私にはできないわよ!」


 純人すみとくんはジャケットにスマホをしまいながら微笑んだ。


「大丈夫、僕がフォローするから。

 会議に出て相談して、意見を出し合うだけ。簡単だよ」


 そんな馬鹿な……。


 茫然とする私の背中を、純人すみとくんが押していく。


「さぁさぁ、帰るよ光香みかさん。

 明日は午前中に印鑑証明を取らないとね」


 これは?! 家に帰ってから説得する流れ?!


 私はぐいぐいと背中を押されながら、オフィスを後にした。

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