第12話 現場主義

 PCを起動させていると、純人すみとくんが社長席から立ち上がって私に告げる。


光香みかさん、書類を作るからこっちに来てもらえるかな。会議室に行こう」


「――あ、はい」


 私はトートバッグを手に取って立ち上がり、純人すみとくんに駆け寄った。


 純人すみとくんが歩いていく先には、パーティションで区切られた部屋がある。


 中には白い長机と椅子が八個……九人以上は立って参加?


 二人で会議室に入ると、純人すみとくんが椅子に腰を下ろしてテーブルに書類を広げた。


「これが就業規則ね。目を通したら誓約書にサインとハンコを。

 それ以外の書類は前もって受け取ってるから大丈夫」


 私は頷いてから、『就業規則』と書かれている書類に目を通していく。


 気になる点は……なさそう、かな。


 副業も禁止してないのか。珍しいんじゃないかな。


「どうして副業を禁止してないの?」


 純人すみとくんがテーブルの上に新しいストラップ付カードを置きながら答える。


「最近は動画サイトで報酬を得る人がいるでしょ?

 隠れてこそこそやる人もいるけど、それじゃ息苦しいと思って。

 『やってもいいけど報告してね』っていう規則にしてあるんだ」


 なるほど、よく読むとアカウントの通知義務があるみたいだ。


「でも、隠れて活動したい人もいるんじゃない?」


 純人すみとくんが肩をすくめて答える。


「そういう人はしょうがないよ。見つかり次第罰則ってだけ。

 でも報告してくれれば、社外秘を漏らしてないかのチェックしかしない。

 どんな活動でも黙認――そういうスタイルかな」


 社員の年齢層を考えると、新しすぎる考え方だ。


 社長である純人すみとくんが十八歳だから、そういう発想になるのかな。


 書類を最後まで読み終わると、私は日付と氏名を記入し、ハンコを押した。


「これでいい?」


 私が書類を差し出すと、純人すみとくんがさっと目を通して頷いた。


「うん、大丈夫。じゃあこれが光香みかさんの社員証だから。

 セキュリティカードにもなってるから、忘れないでね。

 トイレはオフィスの外、廊下の端にある。忘れるとトイレに行けなくなるよ」


「ええっ?! ゲストカードはないの?!」


 純人すみとくんが明るい声で笑った。


「もちろんあるけどね。

 タイムカードも兼ねてるから、忘れたら勤怠時刻を手書きで残して。

 残業は極力禁止。残業が発生したら、翌日に午前でも取って調整すること」


「はーい。随分とホワイトな企業なのね」


 今の時代でも、珍しいくらいのホワイト企業だ。


 IT企業でここまで徹底してるのって、どのくらいあるのかな。


「ねぇ、どのくらいその規則は守られてるの?」


「ほぼ全員が守ってるよ。

 重役だけは管理で残ることも多いけど――白井しらいさんとかね。

 部長クラスになると、残業規制がなくなるから」


 私はきょとんとして純人すみとくんを見つめた。


「どうして残業するの? 部長なんでしょう?

 現場作業なんて、やらないんじゃない?」


 純人すみとくんが頭を掻きながら答える。


「んー、白井しらいさんは人の管理が苦手みたい。

 新しい人が来ると昼間の時間を使ってもらうことになるし。

 彼は開発部長なんだ。企画は僕が受け持ってるんだけどね。

 四階の開発チームとのコミュニケーションもあるし、大変みたいだよ」


 私は眉をひそめて純人すみとくんに尋ねる。


「それ、管理職に向いてないんじゃない?

 本人はどう考えてるの? 副部長は?」


白井しらいさんは現場に戻りたがってるみたいだけど、この会社は起業して一年経ってないし。

 組織はほとんど光香みかさんのお父さんの会社をそのまま引き継いでるんだ。

 副部長をおけるほど人材も多くないし、やりたがる人もいないから」


 そっか、お父さんの経営方針が組織に残ってるってことか。


 ちょっと白井しらいさんにもヒアリングしてみようかな。


 私は机の上の必要書類を手に持ち、社員証のストラップを首から下げた。


 私が立ち上がると純人すみとくんも立ち上がり、微笑んで私に告げる。


「初日はのんびりAIとチャットしていてもいいよ。

 どんな会話をするかは、白井しらいさんの指示を仰いで」


 私は頷くと、純人すみとくんと一緒に会議室を後にした。





****


 私は会議室を出た後、白井しらいさんの机に向かった。


白井しらいさん、今日はどんな作業をすればいいですか」


「――ん? ああ、クロノア・ニールの説明は受けてるのかな?」


「ええ、自宅でチャットをして使い方も覚えてます」


 白井しらいさんがニヤリと微笑んで答える。


「さすが若奥様、勉強熱心だね」


 私はジト目で白井しらいさんを見つめながら答える。


「ちょっと、その呼び名は止めてくださいってば」


 白井しらいさんが明るい声で笑った。


「ごめんね光香みかちゃん。でも『光香みかちゃん』も、社長夫人に対しては軽すぎないかな?」


「『若奥様』よりマシです。

 それよりも、少し聞きたいことがあるんですけど……いいですか?」


「うん? 構わないけど、どうしたんだい?」


 私はおずおずと白井しらいさんに尋ねる。


白井しらいさん、オーバーワークになってません? その理由は何故なんですか?」


 深いため息と共に、白井しらいさんが答える。


「私はまだ現場で作業をしていたいんだ。四十代だって技術者なら第一線で戦える。

 開発チームは若いから、どうしても直接指導しないといけないことも増えるし。

 今は昼間に現場指導をして、夜にプロジェクト管理って感じかな」


 私は眉をひそめて白井しらいさんを見つめた。


「そんなに若いんですか?」


安達あだち社長時代にAIに手を付けて、若い技術者を募ったんだ。

 だけどチーム開発の経験に乏しい子ばかりで、アジャイルも彼らだけでは回せない。

 結局、私が彼らの相談に乗りながら手を動かしてもらって、一人でレビューしてるってとこだ」


 アジャイル……名前くらいしか聞いたことないな。


「それ、白井しらいさんが現場に戻ればなんとかなるんですか?」


「もちろんだよ。若手の指導くらいは問題ない。

 でもプロジェクト管理は部長じゃないとできないからね。

 指導と管理、両方できるのは私くらいしかいないのさ」


「誰かに管理を任せるとか、できないんですか?」


 私の質問に、白井しらいさんがきょとんとした顔で見つめて来た。


 すぐに明るい笑い声で白井しらいさんが答える。


「管理業務をやりたがる奇特な人は、今の会社にいないよ!

 若旦那にマネージャークラスの人材を頼んでるんだけど、簡単には捕まらないみたいだね。

 今はどこもマネージャー不足で、売り手市場だから」


 そっか……一応は動いてるのかな。


 んー、気になるけどこういうの、聞いてもいいのかな。


 家に帰ってからの方がいいかな?


「ありがとうございました」


「ああ、どういたしまして。

 光香みかちゃんと仕事できる日が来るなんて、夢のようだね。

 あの小さかった光香みかちゃんが社長夫人か……私も年を取るわけだなぁ」


「ちょっと! やめてくださいよ、親戚のおじさんじゃあるまいし!」


 明るく笑う白井しらいさんに会釈をすると、私は自分の席に戻った。





****


 席に戻った私は、書類に書いてあるIDとパスワードでPCにログインする。


 ブラウザを立ち上げながら、隣の席の島田しまださんに尋ねる。


白井しらいさん、大変なんですかね」


 島田しまださんが画面を見ながら私に答える。


「大変みたいねー。昇進してから元気がなくなっちゃったし。

 今日は珍しく明るかったけど、若奥様は白井しらいさんと知り合いだったのね」


 私は苦笑を浮かべながら答える。


「小さい頃、父に連れられて会社に遊びに来たこともありました。

 父は時折、家にも大人を連れてくることもありましたし。

 きっと当時から、白井しらいさんには目をかけてたんでしょうね」


「あーわかるー。白井しらいさんって技術者として、かなりのやり手だもん。

 AI開発をする前は、白井しらいさんが開発主任になってプロダクト開発してたのよ?

 今は競合に負けちゃって開発中止になっちゃったけど。

 あの時の白井しらいさん、悔しそうだったなぁ」


 技術にプライドを持つタイプ、か。


 じゃあなおさら現場には戻りたがってるだろうなぁ。


 このままだと、会社を辞めて転職しちゃうかもしれない。


 なんとか引き留める手を打たないと。


 私がAIとのチャットを始めると、岡田おかださんが近寄って来て私に告げる。


「若奥様、今日のテスト指示書をメールで送っておいたから。

 それを見て分からないことがあったら、島田さんか私に聞きに来て」


 ――その呼び名はどうにもならないの?!


 私が肩を落としながら「はい」とだけ答えた。

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