第11話 初出社
朝、姿見の前で服装をチェックする。
ベージュのカットソーに黒のワイドパンツ、これに黒いスリムジャケット。
シルバーのイヤリングと腕時計――よし!
白いストーンバレッタで髪も後ろに束ねてるし、だらしなさはない、はず?
化粧も抑えめにしておいたし、社長夫人らしい気品は出てるかな?
私が入念に雰囲気をチェックしていると、部屋の外から
「
「――あ、はーい」
私は通勤用のトートバッグを手に持ち、慌てて部屋を後にした。
****
二人で白いワゴンに乗り込み、シートベルトを留めた。
「三十分ぐらいで着くから。
これから毎朝、送り迎えしてあげる」
「え、悪いわよそんなの。
社長に送り迎えをさせるだなんて」
「僕にやらせてよ。一人にしたくないし、別の人に頼みたくないんだ」
ダークグレーの
……もしかしなくても
平然と車を運転していく
「もしかして、女性を乗せ慣れてるの?」
「助手席の乗せる女性は、
否定はなし?! しかも助手席はキープ?!
私はなんだか恥ずかしくなって、思わず俯いてしまった。
スマホを見てごまかしつつ、昨晩インストールしてもらったアプリを起動する。
画面に『Chronor-nir』が表示され、私はメッセージを打ち込んでいく。
『
『クロノア・ニール:この会話はログに残ります。それでも構いませんか?』
う、そうだった……社長である
「ねぇ
「んー? どうしたの?
システムが異常な会話を検知したら、それを僕が他の技術者と一緒に点検することもあるよ。
簡単に見ることもできないものだけど、いつ見られてもいいことしか書かない方が身の為かな」
そっか、AIってそういうものなのか。
うーん、でも最初の質問は書きこんじゃったしなー。
えーい! こうなったら聞くだけ聞いてみよう!
『
『クロノア・ニール:私が知る限り、過去に女性を助手席にのせた記録はありません。
“スクルド”からも、将来に渡って他の女性が乗ることはないとリポートが出ています』
……マジか。有言実行タイプ?
私はマジマジと
余裕の笑みを浮かべる
「これが私の夫か……」
「なに? 何か言った?」
「――ううん、なんでもない!」
私は再び目を逸らし、二人きりの社内でスマホに向かい、質問を繰り返した。
****
車がビルの地下駐車場に入ると、私たちはエレベーターに向かった。
呼び出したエレベーターのドアが開くと、
「お先にどうぞ、
「お言葉に甘えて……」
ガラス張りのエレベーターに乗り込み、奥の壁に背中を預ける。
エレベーターがゆっくりと動き出す中で、私は
「一階と二階は何があるの?」
「スポーツジムだよ。デスクワークをやってると、ストレスがたまる人がいるからね。
仕事が終わってからひと汗流す社員もいるみたい。
お爺ちゃんの系列企業だから、身内割引もあるよ――通ってみる?」
私は慌てて手を横に振った。
「今はまだいいわ。余裕が出てきたら覗かせて」
「うん、わかった。僕が仕事で遅くなる時は、ジムで時間を潰していて」
まさか、そちらが本命の目的だったり? ……なーんて、そんなわけないか。
エレベーターが三階に到着すると、
「さぁどうぞ、社長夫人。僕の城へようこそ」
私は無言で頷くと、おずおずとエレベータから足を踏み出した。
****
エレベーターの正面には『cronor-solution』と大きな看板が掲げてあった。
その横にあるドアのICカードリーダーに、
ドアを開けて、私をそのまま中へ招き入れた。
中は無人の受け付けがあり、消臭剤の香りがかすかに香る。
私はその背中を追いながら、オフィスの中を進んでいった。
パーティションで分かれた短い廊下を抜けると、三十人分くらいの座席が置いてあるフロアに出た。
それぞれの席に座る人たちの目がこちらを見る。
「若旦那、おはようございます」
「おはよう、若旦那」
「そちらが奥さんですか? 若旦那」
なんだかアットホームな挨拶を飛ばしてくる年配の社員たち。
男性も女性も明るい笑顔で、働きやすそうに感じた。
「だから、『若旦那』は止めてってば。
――じゃあ紹介するね。こちらが
みんなの中には、顔見知りが居るかもしれないね」
――え? それはどういう意味?
私がきょとんとして
「あー、
先代の家にお邪魔した時、会っただろう?
あの時は
私は男性に振り向いて、まじまじと見つめていく。
記憶を漁りながら、その笑顔に一致する男性を思い出した。
「――ああ!
「私だけじゃないよ。ここにいる全員が、先代の会社から移ってきた人材だ。
先代が急逝して、事業を畳むことになっただろう?
それで従業員をどうするかって話になった時に、
「
「なんでだろうねぇ? 私も詳しくは聞いてないんだ。
ほら、
一人で勝手に事業を動かしちゃうから、全貌が分からなくて。
でも、
私は
「
「うん、少しはね。
IT技術者って、一度散ってしまうと捕まえるのが難しいんだ。
だからその前に確保して、新しい会社に席を移してもらったって聞いてる。
前はお爺ちゃんが社長を兼任してたんだけど、僕が高校を卒業してからは代わりに社長をしてるよ」
へぇ~、勝手な人だとばかり思ってたけど、人を大切にすることも知ってるのか。
フロアを見回しても、それを不満に思ってる人は居ないみたいだ。
「しばらくテストチームに
テストチームは――
席から立ち上がった若い男性が笑顔で頷いた。
「はい若旦那、任せてください。
――
それとも『若奥様』がいいですか?」
私は慌てて
「それは止めてください!
フロアに笑いが巻き起こり、「若奥様!」と声が上がっていく。
「あーあ、これじゃあ『若奥様』も覚悟しないと駄目かもね」
「そんなぁ……何とかならないの? 社長なんでしょう?」
「僕が言っても『若旦那』呼びが収まらないんだもん。
お客さんの前ではちゃんと呼んでくれるから、それで我慢して」
なんだか独特の社風なんだなぁ。
「しばらくはここが
部署転換があるまで、ここを使って」
私が頷くと、
私はモニターが一つだけ置いてあるデスクに座り、トートバックをキャビネットにしまう。
隣の席に座る年配の女性が私に微笑んで告げる。
「私は
「はい、よろしくおねがいします!」
ということは、この近くの人たちがテストチームかな。
私の再就職一日目、しくじらないようにしないと!
小さく気合を入れ、私はPCのスイッチを押した。
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