第11話 初出社

 朝、姿見の前で服装をチェックする。


 ベージュのカットソーに黒のワイドパンツ、これに黒いスリムジャケット。


 シルバーのイヤリングと腕時計――よし!


 白いストーンバレッタで髪も後ろに束ねてるし、だらしなさはない、はず?


 化粧も抑えめにしておいたし、社長夫人らしい気品は出てるかな?


 私が入念に雰囲気をチェックしていると、部屋の外から純人すみとくんの声が聞こえる。


光香みかさん、そろそろ行かないと間に合わないよ」


「――あ、はーい」


 私は通勤用のトートバッグを手に持ち、慌てて部屋を後にした。





****


 純人すみとくんと一緒に家を出て、ガレージに向かう。


 二人で白いワゴンに乗り込み、シートベルトを留めた。


 純人すみとくんがスマホをホルダーにセットすると、すぐに車が走り出す。


「三十分ぐらいで着くから。

 これから毎朝、送り迎えしてあげる」


「え、悪いわよそんなの。

 社長に送り迎えをさせるだなんて」


 純人すみとくんが微笑みながら前を見て答える。


「僕にやらせてよ。一人にしたくないし、別の人に頼みたくないんだ」


 ダークグレーの純人すみとくんにそんなことを言われると、思わず胸が高鳴った。


 ……もしかしなくても純人すみとくん、独占欲が強いタイプ?


 平然と車を運転していく純人すみとくんは、十八歳の癖に手慣れて見えた。


「もしかして、女性を乗せ慣れてるの?」


 純人すみとくんがクスリと笑みをこぼして答える。


「助手席の乗せる女性は、光香みかさんが初めてだよ」


 否定はなし?! しかも助手席はキープ?!


 私はなんだか恥ずかしくなって、思わず俯いてしまった。


 スマホを見てごまかしつつ、昨晩インストールしてもらったアプリを起動する。


 画面に『Chronor-nir』が表示され、私はメッセージを打ち込んでいく。


光香みか純人すみとくんは本当に女性を助手席に乗せなかったのかな』


『クロノア・ニール:この会話はログに残ります。それでも構いませんか?』


 う、そうだった……社長である純人すみとくんなら、ログを見れるんだろうなぁ。


「ねぇ純人すみとくん、クロノア・ニールのログって誰がチェックするの?」


「んー? どうしたの?

 システムが異常な会話を検知したら、それを僕が他の技術者と一緒に点検することもあるよ。

 簡単に見ることもできないものだけど、いつ見られてもいいことしか書かない方が身の為かな」


 そっか、AIってそういうものなのか。


 うーん、でも最初の質問は書きこんじゃったしなー。


 えーい! こうなったら聞くだけ聞いてみよう!


光香みか:構わないから教えて』


『クロノア・ニール:私が知る限り、過去に女性を助手席にのせた記録はありません。

 “スクルド”からも、将来に渡って他の女性が乗ることはないとリポートが出ています』


 ……マジか。有言実行タイプ?


 私はマジマジと純人すみとくんの横顔を見つめていた。


 余裕の笑みを浮かべる純人すみとくんは、年下の癖にまるで年上の男性のような空気だ。


「これが私の夫か……」


「なに? 何か言った?」


「――ううん、なんでもない!」


 私は再び目を逸らし、二人きりの社内でスマホに向かい、質問を繰り返した。





****


 車がビルの地下駐車場に入ると、私たちはエレベーターに向かった。


 呼び出したエレベーターのドアが開くと、純人すみとくんがドアを抑えて告げる。


「お先にどうぞ、光香みかさん」


「お言葉に甘えて……」


 ガラス張りのエレベーターに乗り込み、奥の壁に背中を預ける。


 純人すみとくんも乗り込んで、三階のボタンを押した。


 エレベーターがゆっくりと動き出す中で、私は純人すみとくんに尋ねる。


「一階と二階は何があるの?」


「スポーツジムだよ。デスクワークをやってると、ストレスがたまる人がいるからね。

 仕事が終わってからひと汗流す社員もいるみたい。

 お爺ちゃんの系列企業だから、身内割引もあるよ――通ってみる?」


 私は慌てて手を横に振った。


「今はまだいいわ。余裕が出てきたら覗かせて」


 純人すみとくんがニコリと微笑んで頷いた。


「うん、わかった。僕が仕事で遅くなる時は、ジムで時間を潰していて」


 まさか、そちらが本命の目的だったり? ……なーんて、そんなわけないか。


 エレベーターが三階に到着すると、純人すみとくんがドアを抑えて告げる。


「さぁどうぞ、社長夫人。僕の城へようこそ」


 私は無言で頷くと、おずおずとエレベータから足を踏み出した。





****


 エレベーターの正面には『cronor-solution』と大きな看板が掲げてあった。


 その横にあるドアのICカードリーダーに、純人すみとくんがカードをタッチする。


 ドアを開けて、私をそのまま中へ招き入れた。



 中は無人の受け付けがあり、消臭剤の香りがかすかに香る。


 純人すみとくんが「こっちだよ」と言ってカードに着いた紐を首に掛けながら、先に歩いていく。


 私はその背中を追いながら、オフィスの中を進んでいった。


 パーティションで分かれた短い廊下を抜けると、三十人分くらいの座席が置いてあるフロアに出た。


 それぞれの席に座る人たちの目がこちらを見る。


「若旦那、おはようございます」


「おはよう、若旦那」


「そちらが奥さんですか? 若旦那」


 なんだかアットホームな挨拶を飛ばしてくる年配の社員たち。


 男性も女性も明るい笑顔で、働きやすそうに感じた。


 純人すみとくんが苦笑をしながら告げる。


「だから、『若旦那』は止めてってば。

 ――じゃあ紹介するね。こちらが伊勢崎いせざき光香みかさん。旧姓は安達あだち光香みかさんだ。

 みんなの中には、顔見知りが居るかもしれないね」


 ――え? それはどういう意味?


 私がきょとんとして純人すみとくんを見つめていると、奥の席で年配の男性が立ち上がった。


「あー、光香みかちゃん? 覚えてる? 白井しらいだよ、白井しらい

 先代の家にお邪魔した時、会っただろう?

 あの時は光香みかちゃん、十歳ぐらいだっけ?」


 私は男性に振り向いて、まじまじと見つめていく。


 記憶を漁りながら、その笑顔に一致する男性を思い出した。


「――ああ! 白井しらいさん?! お父さんの会社の人?! なんでここに?!」


 白井しらいさんがニヤリと笑って答える。


「私だけじゃないよ。ここにいる全員が、先代の会社から移ってきた人材だ。

 先代が急逝して、事業を畳むことになっただろう?

 それで従業員をどうするかって話になった時に、伊勢崎いせざき会長が新しく会社を作ってくれたんだ」


伊勢崎いせざき会長って……佐久造さくぞうさんですか? 純人すみとくんのお爺さんが、なんでそんなことを?」


 白井しらいさんが腕を組んで首を傾げた。


「なんでだろうねぇ? 私も詳しくは聞いてないんだ。

 ほら、安達あだち社長はワンマンだっただろう?

 一人で勝手に事業を動かしちゃうから、全貌が分からなくて。

 でも、伊勢崎いせざき会長にはかなり世話になってたみたいだよ」


 私は純人すみとくんに振り向いて尋ねる。


純人すみとくんは知ってる?」


「うん、少しはね。

 IT技術者って、一度散ってしまうと捕まえるのが難しいんだ。

 だからその前に確保して、新しい会社に席を移してもらったって聞いてる。

 前はお爺ちゃんが社長を兼任してたんだけど、僕が高校を卒業してからは代わりに社長をしてるよ」


 へぇ~、勝手な人だとばかり思ってたけど、人を大切にすることも知ってるのか。


 フロアを見回しても、それを不満に思ってる人は居ないみたいだ。


 純人すみとくんがフロアに響くように大きな声で告げる。


「しばらくテストチームに光香みかさんが入るよ。

 テストチームは――岡田おかださん、よろしくね」


 席から立ち上がった若い男性が笑顔で頷いた。


「はい若旦那、任せてください。

 ――光香みかさん、と呼んでも構わないですか? 『伊勢崎いせざきさん』では社長と区別がつかないので。

 それとも『若奥様』がいいですか?」


 私は慌てて岡田おかださんに答える。


「それは止めてください! 光香みかでいいです!」


 フロアに笑いが巻き起こり、「若奥様!」と声が上がっていく。


 純人すみとくんが苦笑いをしながら私に告げる。


「あーあ、これじゃあ『若奥様』も覚悟しないと駄目かもね」


「そんなぁ……何とかならないの? 社長なんでしょう?」


 純人すみとくんが肩をすくめて答える。


「僕が言っても『若旦那』呼びが収まらないんだもん。

 お客さんの前ではちゃんと呼んでくれるから、それで我慢して」


 なんだか独特の社風なんだなぁ。


 純人すみとくんがオフィスの隅の席に私を案内して告げる。


「しばらくはここが光香みかさんのデスクね。

 部署転換があるまで、ここを使って」


 私が頷くと、純人すみとくんは社長席へと移動していった。


 私はモニターが一つだけ置いてあるデスクに座り、トートバックをキャビネットにしまう。


 隣の席に座る年配の女性が私に微笑んで告げる。


「私は島田しまださや、同じテストチームなのよ? よろしくね」


「はい、よろしくおねがいします!」


 ということは、この近くの人たちがテストチームかな。


 私の再就職一日目、しくじらないようにしないと!


 小さく気合を入れ、私はPCのスイッチを押した。

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