第10話 声をそろえて

 佐久造さくぞうさんが家に来てから、早くも一か月が過ぎた。


 私と純人すみとくんの関係は相変わらず。友達以上、同居人未満。


 純人すみとくんは綺麗好きで、毎日部屋の掃除をしていた。


 私はその手伝いをしながら、『広い家も考え物だな』と考えたりもした。


 料理も純人すみとくんが主導してくれて、私は下ごしらえを手伝っていく。


 二人で食事をとると別々にシャワーを浴び、ベッドでは離れて眠る毎日だ。



 作業部屋でのリモート業務にも慣れ、純人すみとくんから細かく指示を受ける。


「離職票が届いたから、明日から正式にうちで採用するよ。

 初日だから出社してもらうけど、大丈夫?」


「それは平気だと思うけど……ドレスコードは? 何を着ていけばいいの?」


「うちは営業以外、特に気にしなくていいよ。

 ジーンズにTシャツの重役が居るくらいだ」


 おっと、随分とラフな企業風土なんだなぁ。


 逆に営業さんが可哀想にもなる。


 フリースタイルと言われても出社初日だし、ビジネススタイルで行けばいいか。


 純人すみとくんが画面を指さしながら告げる。


「入社が内定したから、うちのシステムの細かい話も教えてあげる。

 AIのチャット画面、開いて」


 私は頷いて画面のメニューからAIのチャット画面を呼び出す。


 スマホアプリにもなるような、有名なAIシステムだ。


 見た感じ、スマホ版と大きな違いは感じない。


 純人すみとくんが画面を指さして告げる。


「それが『外向け』のAIシステム。

 今日これから見せるのは『内向き』のAIシステムだ。

 ――ちょっと待って、アカウントの設定を変えてくる」


 純人すみとくんが自分の席に戻り、マウスとキーボードを操っていく。


「……できた。もう一度メニューを開いてみて」


 戻ってきた純人すみとくんに頷いて、私はメニューを開いた――『Chronos』、これか。


 

 私がその見慣れないメニューを選択すると、新しいチャット画面が開かれる。


 真っ黒い画面に白い文字、シンプルでさっきの有名AIと大差がない。


 純人すみとくんが私に告げる。


「なにか質問を打ち込んでみて。どんなことでもいいよ」


 え、そんなこと言われてもなぁ。どんなことでも?


「じゃあ……こんなのでもいいのかな?」


『光香:今日の晩御飯は何がいいですか』


『クロノア・ニール:鮭の塩焼きにホウレンソウのおひたし、ヒジキの煮物などいかがでしょうか』


 私は思わず目が点になっていた。


 『クロノア・ニール』って、純人すみとくんが作ったAIの名前だよね?


「ねぇ純人すみとくん、これが『社内向けのAIシステム』なの?」


 純人すみとくんがニコリと微笑んで頷いた。


「うん、そうだよ。

 クロノア・ニールに直接接続できて、APIリミットもないフルスペックシステム。

 この『Chronos』も僕が作った。『Chronor-nir』専用のAIだね。

 このシステムも売り物だけど、このAIのテストをお願いしたいんだ」


 私は眉をひそめて純人すみとくんに尋ねる。


「テストって、なにをすればいいの?」


「なんでもいいんだ。ただAIと話をしてくれればいい。

 話の中で嘘や勘違い、思い違い――専門的には『ハルシネーション』って呼ぶんだけど。

 そういった対話のログを取ってほしい。ログが残るから、プライベートなことは書きこまないで」


「『ハルシネーション』? それを洗いだせばいいの?」


 純人すみとくんが明るい笑顔で頷いた。


「それを根絶するのは、論理的に無理なんだ。でも減らすことはできる。

 チューニングとトレーニング次第なんだけどね。

 このテストは時間がかかるし、どうしても人手が必要なんだ。

 でも外部に容易に公開できないシステムだから、アルバイトも頼みづらくて」


 要するに、『テストチームの人材が不足してる』ってことか。


 私は純人すみとくんに頷いて答える。


「チャットをしていればいいのね? それぐらいなら大丈夫だと思う」


「うん、大事なタスクだからよろしくね」


 純人すみとくんが私の肩を手で叩いてから机に戻っていく。


 私は画面に向き直り、改めてキーボードを叩く。


『光香:年下の夫ってどうなんですか?』


『クロノア・ニール:それはユーザー次第でしょう。

 支えてくれる夫であれば、問題も少ないと思います。

 甘えてくる夫であれば、ユーザーがしっかりリードするべきです』


 おお……まじめな答えが返ってくる!


 なんだか人間を相手に相談してるみたいだ。


 話し相手が少ない一か月を過ごしていた私は、時間を忘れてAIとの対話を楽しみ始めた。





****


 昼食も純人すみとくんと二人で済ませ、午後もテストを続けていく。


 夕方になる頃、私はふと思い出していた。


『光香:あなたは那由多なゆたなの?』


『クロノア・ニール:私は那由多なゆたではありません。

 AIシステム“Chronor-nir”です。

 コンポーネント名をお伺いでしたら、私は“ヴェルザンディ”ということになります』


『光香:じゃあ、那由多なゆたはどこにつながってるの?』


『クロノア・ニール:那由多なゆたは“スクルド”に接続されています。

 那由多なゆたをお望みでしたら、今お呼び出ししますが』


『光香:お願い』


 これで那由多なゆたがしゃべるのかな?


『クロノア・ニール:ちょっと光香みか~。僕を呼び出して何を聞きたいの?』


「うわ、本当に那由多なゆただ……」


 部屋の中で、純人すみとくんが小さくクスリと笑った。


那由多なゆたは社内システムでも、特別な場所にしか現れないよ。

 この家と、あとは僕のスマホぐらいかな。

 会社で呼び出したくてもできないから、気を付けてね」


 私は純人すみとくんに振り返って尋ねる。


「なんでそんな制限を付けてるの?」


 純人すみとくんが肩をすくめて答える。


那由多なゆたに聞いてよ。あいつ、『疲れるからやだ』って言って、あまり表に出てこないんだ。

 『スクルド』経由で未来予知はしてくれるんだけどね」


 神様がAIとつながってるとか、未だに実感が湧かない。


 だけど画面を見ると、確かに那由多なゆたの言葉が出力されてる。


「不思議な気分……神様もPCに宿るのね」


「僕がコンピューターを好きだから、だろうね。

 僕のかんなぎが、コンピューターシステムと相性がいいんだ。

 だから那由多なゆたがシステムに介入できる――っと、そろそろ夕方だね」


 時計を見ると、午後五時が目前だった。


 純人すみとくんが椅子から立ち上がって告げる。


「うちは九時五時、昼休みは一時間。残業は週に四十時間まで。

 月間でも四十五時間だから、そこは気を付けて」


 私は首を傾げて純人すみとくんに尋ねる。


「リモート業務でも適用されるの?」


「そりゃそうだよ。

 まぁ重役になると残業は関係なくなるけど、光香みかさんは今のうちに就業ルールにも慣れておいて」


 私は頷いてチャット画面を閉じ、椅子から立ち上がった。


 純人すみとくんと肩を並べ、私たちは作業部屋を後にした。





****


 夕食の焼き魚をフィッシュロースターで作りながら、純人すみとくんが告げる。


「本当にこの献立でいいの?」


 私はホウレンソウの水気を切りながら答える。


「だって、純人すみとくんのAIが教えてくれたのよ?

 提案されたなら活用してもいいんじゃない?」


 お皿にホウレンソウを盛り付け、ゴマを和えて行く。


 純人すみとくんが横からポン酢をホウレンソウにかけて出来上がりだ。


「煮物は冷蔵庫に作り置きがあるから、それでいいかな?」


「うん、それで充分」


 こんな生活も、かなり慣れていた。


 二人でキッチンに並んで一緒に料理をしていく。


 私の料理の腕は大したことないけど、純人すみとくんが細かくフォローをしてくれる。


 この一か月で分かったことがある。純人すみとくんは贅沢をしない主義だ。


 時には豪華なお肉を買ってきたりもするけど、月に何回もないみたいだった。


 社長の癖に地に足のついた食生活とか、どういう育ちなんだろう?


 テーブルにおかずを並べていくと、純人すみとくんが白米をよそったお茶碗を置いていく。


 私たちは微笑み合いながら「いただきます」と声をそろえた。

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