七
「まあまあ。二人とも顔を上げてお土産をいただこうじゃないか」
『天文方秘帖』があちらこちら白紙になってしまった件について、僕も金剛原さんも大鷲谷先生に謝罪してもしきれない気持ちだった。
「警察に引き渡したのだし、彼らも今回の顛末は満足だろうし。
けれど大事なことなんだが私たちは本を燃やされたわけじゃないんだ、まだ現物は残っているんだよ」
意外にも駆け付けた警察へあっさりと身柄をゆだねた『灰から灰へ』のあの人であった。不思議なことには素顔と本名はいまだ非公開だ。
そして、事件にかかわった『天文方秘帖』は、本来なら捜査のため警察に一旦渡すと聞いていたのだけれど、大鷲谷先生がどんな手を使ったのかわからないがまだ僕らの手元にある。
「でも、」
紅茶のポットからは茶葉の香り。お土産というのは名菓のチーズケーキだった。
「戦火で焼け残った文献を読んだり、そういうことだって我々の仕事にはあるんだよ。彼だって、言っていたのでしょう? 『丁の表にあるすべての魔導文字は『散』によって塵となるのみ』それが君たちの奮闘で一部は残っているんだから」
「……丁の表」
そこで金剛原さんは、何かを察したようだ。
和綴じ本のページに当たるものが丁。『天文方秘帖』の丁は、二つ折り。袋とじだ。
「もしかして。表側を判読困難にして彼らは満足だったかもしれませんが。
考えて見れば丁には裏もある」
僕もはっとした。
『天文方秘帖』全七巻。成立年不明。糸綴じ製本。
「この、綴じ糸が新しい三巻。もしかしたら。
先生、綴じ糸切断、よろしいですか」
金剛原さんは鋏を持ってきて、三巻の綴じ糸を切り、ほどきはじめた。
やはりだった。僕たちは息を飲んだ。
そう。この『天文方秘帖』の真の本文らしきものが全七巻のうちの三巻と五巻、丁の裏に書きつけられていたのである。『天文方秘帖・上下巻』と内題のついたそれが。
「あれだけ強い『散』の封印解放が、裏面には及ばないのは意外なのですが」
金剛原さんが首をかしげる。僕も、僕の腕力だけでこれが守れたのが信じられない。
「よくわからないが、」と、大鷲谷先生は前置きした。
「おそらく術者の表を白紙にしたい一念が、目を曇らせたのかもしれないねえ。あの方々は、良くも悪くも一途だから」
そんな単純なことで。
「たしかに言葉ひとつに魔力が宿る魔術書では見落とされる裏にわざわざ書くなんてことはほぼないからね。しかし、通常の和書では表紙の芯に反故紙が使われたりは、あるからねえ」
*
「『宇治の原に』」
「『羅刹を斬り捨て』」
「『王の座は』」
「『春にて』」
「『流わたる』」
「『奈落心せよ』」
さて。作業が裏面にあった本文を読み解く段階に進んだ頃、やはりというか時々魔導文字は逃げ出すようになった。
「こちらはこちらで、『呪』は仕掛けられていたんですね」
「でも助かるよ、キーパーくん」
金剛原さんと僕は今日も作業室にいる。
「祐筆としての、最初の仕事だ。頼むよ」
僕は逃げ出す魔導文字を拾いながら、新たな写本を作成中だ。一番重要な本文が済んだら、抜け部分だらけの表にも取りかかる予定である。
ここからまた、何が解き明かされていくのか。
それはまた、先の話だ。
天文方秘帖(旧タイトル『ご恵贈』) 倉沢トモエ @kisaragi_01
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