最終話:物語は巡る


 あれから数ヶ月が経った。

 四人は、それぞれの新しい場所で日常を歩み始めていた。



 マーティはというと、謁見の間で英雄らしく謙虚に願いを固辞した――というわけではなかった。

 今後の暮らしを見すえた、庶民らしいささやかな望みとして、定期的な俸禄を求めたのだ。


 これを聞いて、謁見の間では、わずかなざわめきが起こった。


 マーティは「欲張りすぎただろうか」と一瞬、萎縮したが、謁見の間の反応は、彼の予想とは反対の意味だった。


 魔王を倒したマーティの功績は、本来であれば爵位や領地、莫大な金銭を求めてもおかしくはないものだ。

 にもかかわらず、マーティの要求は、あまりにも個人的で欲のない、地に足の着いた望みだった。



 城を出た途端、お触れを聞いた大勢の民衆によってもてはやされ、拍手喝采を浴び、マーティたちはすっかり有名人になってしまった。


 その情報は片田舎の故郷でも知れ渡り「よっ、勇者マーティ様」とご近所の人々に声をかけられる始末だ。



 そして――宰相の悪事は国の調査により明るみに出た。

 禁呪を用いてネイロンの領地を襲うよう差し向けたほかにも、様々な高位の者の暗殺に関わっていたことが発覚したのだ。


 古代ラヴェリア王は、自身の特別な言霊で禁呪を掌握していたが、言霊の資質を持たぬ宰相が行使した禁呪は、不完全なものだった。


 クロンの光を浴びた結果、多くの人々を苦しめた禁呪は彼自身に返り、全身の痛みに苛まれ続ける結果になった。

 彼の黒髪は瞬く間に真っ白に染まり、重い刑罰を受けることになったのだ。



 フォンデールも、国によって調査を受けた。


 かつての『火遊び』で捨てた女が、男の子どもを産んでいたと風の噂で知ったフォンデールは、独自に彼女とその子どもを調査しており、その証拠から芋づる式に彼の悪事が発覚した。


 その報告書の特徴から、オーグストが自身の落としだねと確信を得た彼は、渡りに船とばかりにオーグストの母を陥れ、役人や証言者を買収し、その子を攫うように奪い取ったことが証明されたのだ。


 女性の尊厳と、その子どもを奪うことは人道にあるまじき行為であり、その醜聞は大きな反響を呼んだ。

 さらに、調査の過程で違法な転移魔法の他にも、様々な闇の取引の関与も露呈し、彼は爵位の剥奪を余儀なくされたのだ。


 フォンデールによって粗末な墓に埋葬されたオーグストの母、オーレアは、真実が明らかになったことで名誉を回復した。


 王命により、彼女は英雄の母として改めて手厚く埋葬され、故郷の静かな場所で安らかな眠りを得たのだった。




 そして、スフェルとネイロンはというと、荒れた領地の復興に勤しんでいた。


 時折、マーティが彼らの領地へ訪れることもあるが、ふたりは慌ただしくも、充実した日々を送っているようだった。


 ネイロンは、かつて腰まであった銀髪をばっさりと切り、中性的な印象の姿から、貴族らしい青年の姿になっていた。

 宰相の件で、長年、胸の奥に溜まっていた重圧から解き放たれたのだろう。


 スフェルも、表情の乏しさは変わらずだが、以前より穏やかな表情が増えたように思う。

 ただでさえ高貴なネイロンの隣に立っていると、彼にも威圧感の中に気品があるように思えて、マーティは、しょっちゅう彼を「スフェリウス卿」とからかっている。

 そう言われた本人は、まんざらでもない様子だ。


 そして、ふたりの関係だが――マーティは、彼らがひそかに親密さを深めている姿を目にしたこともあった。


 魔王の一件から、彼らの関係に亀裂が入ってしまったのではないかと、以前は不安だったが、マーティは自分のために長年献身を続けたスフェルの幸せな様子を見て、ほっと胸を撫でおろすと同時に、彼らの幸せを心から願った。



 そして――オーグストには、残された家族がもうひとりいた。

 フォンデールには死別した妻との間に、娘がいたのだ。


 彼女は魔法の資質を持っておらず、過激な魔法優位主義者であるフォンデールにとって、後継者たり得ない存在として冷遇されていた。


 ラヴェリアでは近年、女性も爵位を継承できるようになったが、フォンデールは「魔法の才なき者は家を継ぐ資格なし」という思想に加えて「男児の跡継ぎがいない家は荒廃する」という考えを持っており、彼の周囲もそれに共鳴していたため、彼女を後継者として見なしていなかったのだ。


 そのため、彼女自身も爵位継承の対象ではないと諦めていた。

 しかし、王の慈悲により、彼の爵位と財産は、その娘、つまりオーグストの異母姉に継承されたのだ。


 聞く限りでは、彼女は立派で評判のよい人だった。

 幼いオーグストの記憶にいた少女は、きっと彼女だったのだろう。


 彼女は、オーグストに優しい子どもだった。

 ――きっと、彼女もフォンデールに虐げられて育ち、オーグストにも同情したのかもしれない。



 かつて魔王が生み出した次元の亀裂は、今も世界各地で現れている。

 マーティ自身がほとんどの光の力を失った今、折れてもなお魔を祓う力を有した聖剣を介して、それを封じる手伝いをすることも時折あった。



 そして、最近になって――なぜだか、光の資質を持つ赤子が誕生するようになったという話を、風の噂で聞いたのだ。


 それは、マーティがユルーエルに光を返したことによる、世界からのささやかな恩恵なのかもしれない。


 光の力が特定の個人に集中することなく、新たな形で世界に息づき始めた証だとすれば、これ以上の喜びはないだろう。




 マーティが思いを巡らせていると、ふと、顔に水しぶきがかかった。

 川で水浴びをしていたオーグストのいたずらだ。


「……オーグスト」


 川辺に座って、満天の星空や焚き火の揺らめき、そして川辺を漂う光蛍を眺めていたマーティは、子どもじみた真似をする裸のオーグストを、据わった目で睨む。



 マーティ自身は故郷で暮らしながらも、オーグストと、こうして時折、冒険に出ることがあった。


 目的もなくただ野営をしたり、遠出して町に出かけたり、魔物を倒したり、素材を採集したりと様々だ。


 そして、オーグストは驚くことに、リュートを背中にたずさえ、本当に吟遊詩人のような振る舞いをすることもあった。


 ラヴェリアでは珍しい容姿と、その歌声は、旅先の様々な人を魅了するため、マーティが機嫌を損ねることもそれなりにあった。


 だが、それ以上に、オーグストは長い間マーティに想いを抱えていた身。

 執着や嫉妬深さも負けず劣らずで、彼らの均衡はとれているような、とれていないような、微妙なところだ。


「俺の身体を見つめて、なにを考えてるんだ」


 オーグストが髪を掻きあげる。

 なんて露骨な言い方だ。


 彼の魅力的な浅黒い肌と、均衡のとれたすらりとした肉体は、月光の下で輝いている。

 まさに水の滴るいい男――と言いたいところだが、彼は数刻前、ぬかるんだ獣道で転んで、服を泥だらけにしていた男だ。


 めったに見ることのできない彼の無様な不幸を大爆笑したマーティに対して、オーグストは復讐も兼ねた誘惑をしているのだろう、ということがうかがえた。


 その顔と腹筋には惑わされないぞと思いながら、マーティは答えた。


「お前の姉さんのことを考えてた」


 そう告げれば、オーグストが、ぎろっとマーティを睨み、不機嫌そうに顎を反らして腕を組む。


「恋人を前にして他の人間のことを考えるなんて、いい度胸だな」

「なんでだよ。会ったことがないし、お前のお姉さんだろうが」

「俺が『スフェル』のことを考えていたと言ったら、お前はいい顔をするのか?」


 兄に対してごく親しい呼び方をするオーグストに、マーティは押し黙る。

 そう言われると、いささか嫉妬心が生まれるような。

 だが、認めたくなくて、マーティは顔を背けた。


「そんなことを言ったら、兄さんがお前をボコボコにしてやるからな」


 オーグストは苦笑した。暗に嫉妬を肯定しているようなものだ。

 彼は「お前は俺をボコボコにしないのか」と言いたげだが、勝てないのに、するわけがない。


「……やっぱり、いい思い出がないから、姉さんに会うのは嫌なのか?」


 マーティは、じっと様子を伺うようにオーグストを見た。

 つい先ほどまで子どもっぽい態度をとってしまったが、今だけは真面目に尋ねる。もちろん、彼の答えを尊重するつもりだった。


「そういうわけじゃない。彼女とは一度会って、話し合った。だが……」


 オーグストは押し黙ったかと思えば、マーティを横目で見て、ふと逸らした。

 そして言いづらそうに、しかし、はっきりと言った。


「彼女は年上で、背が高く、美しいうえに……優しい」


 一瞬、言っている意味が分からなかった。

 しかし、マーティは時間をかけて理解し、思わず吹き出した。


 ――いったい、いつの話を持ち出しているんだ。


 唯一の彼の家族が、いい人でよかったと思いつつ、マーティは穏やかな気持ちでオーグストを眺める。


「それでも、俺が惹かれているのは、お前だよ」

「どうだか……」

「自分に自信がないのか? お前ほどいい男は、そうそういないのに」


 そう自分で告げた瞬間、マーティは、胸に、ぽっと火が灯ったような気持ちになる。

 オーグストも同じことを考えたのだろうか、彼の表情が、真剣な面持ちに変化した。


 彼は冷たい水の中、ゆっくりと時間をかけてマーティに近づいた。

 その野性的な動きに胸の高鳴りを感じながらも、マーティはその場で動かずにいた。


 覆いかぶさるオーグストに、少しだけ身を引いてしまう。


「夜空の下で、裸の男をあまりからかうな」


 そう言って、彼はマーティに口づけをした。

 受け入れながらも、生温かい雫が頬や唇に伝い落ちて、彼の体温を意識してしまう。


 以前のマーティなら、顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたが――光の力がほとんど消えてから、ヒナタの臆病で卑屈な精神は、鳴りを潜めたように感じる。


 あるいは、マーティとヒナタの精神が程よく調和したような心地だ。


 そんな現状に、マーティは満足していた。

 なにより――オーグストがいるから、満たされている。


 焚き火のそばで熱っぽい口づけを受けたマーティは、その情熱的な触れ方や水の感触から、原始的な気持ちを湧き上がらせた。



 そんな小さな灯火が、次第に膨れ上がる中で、ふとオーグストに腕を引かれて――マーティは水の中へ、引き倒される。


 ドボン、と派手な水しぶきが舞い、気づけばオーグストを押し倒す姿勢で、冷たい水に飛び込んでいた。


 内に灯っていたはずの火は瞬時にかき消え、マーティは口に入った水を吐き出した。


「――なんってことをするんだ! オーグスト!」

「はははは」

「ははははじゃない!」とマーティはオーグストに抗議し、彼の適度に隆起した腕を叩いた。

 ついでに、しぶきを顔面に浴びせる。すっかり濡れ鼠状態になってしまい、マーティは顔を拭いながらため息を吐いた。



 そんなこんなで、水の中で子どものように戯れ、からかい合いながらも、マーティはオーグストに手を引かれて、焚き火のそばに戻る。



 濡れた衣服を脱ぎ、旅のために持参していた綿の長袖シャツを取り出す。

 その袖を通したとき、マーティは、袖がやけに長いことに気づいた。


 どうやら、間違えてオーグストの服を持ってきてしまったようだ。

 彼は、時折マーティの家に泊まりに来ることがあるためか、その過程で服が紛れてしまったらしい。


 そんな様子に、マーティと同じように簡素な服を着たオーグストが、目を細めながら手を伸ばした。

 それにいざなわれて、マーティは彼の隣に腰を下ろす。


 彼の濡れた髪の感触と体温を感じて、その心地よさと安心から、つい目を閉じた。

 それと同時に、彼の存在に感慨深さを感じてしまう。



 ――思えば、あれだけ反目し合っていたはずなのに、今は彼がいないとしっくり来ないのだから、不思議だ。


 巻き戻った当初は不安でいっぱいだったし、迷いもしたが、今のマーティの心は驚くほど平穏で安らいでいる。


 犬猿の仲から始まった恋は成就し、仲間を無事に救うことができた。



 ――それは、最高の終幕だった。



 傍らには、ぶどうのジュースとパン。

 愛する人と川辺に座り、焚き火を囲みながら、マーティは美しい世界の自然と、その星空を眺めていた。

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【完結済】勇者は傭兵と秘密を紡ぐ 水谷イルー @miztani_16

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