第5話 死を恐れる少女

わたしは、死ぬのがこわかった。

あの日、アプリが提案してくれた老衰という優しい死に方に、

「まだ、死ねない」と答えて、スマホを閉じた。


それから、また日々が続いた。

アルバイト先では誰とも目を合わせられず、母の機嫌に怯えながら、息を潜めて暮らした。

でも、ふとした瞬間に思い出してしまう。


あのアプリの案内人の声。

「こわさを抱えたままで、いいんです。」


わたしは、まだ選んでいなかった。

でも――選ばなかったことで少しだけ、何かが変わっていた。



そして、ある晩。

自室のカーテンの隙間から月の光が差し込んでいた夜、

再び、アプリが通知を送ってきた。


《ご案内:あなたの回避された死が、新たな選択肢を解放しました。

 限定死後領域『夢境拡張フィールド:イン・ビトウィーン』へのアクセスが可能です》


「イン・ビトウィーン……?」


生でもなく、死でもない、

その狭間の世界。


アプリは、再び問いかけてきた。


「あなたは、死ねなかった者として、

他人の死に方を学び、その中から生きる方法を再構成する旅を選択できます。」


旅?

これはもう、「死に方」じゃない。

これは、「まだ死ねない者」だけに与えられた、

特別な道。


「あなたの世界は複数の死後可能性を持っています。

 それらの断片を歩きながら、恐れの正体に向き合ってください。」




それから、わたしは旅を始めた。


山の上で凍えながら星を見ていた老人とすれ違った。

推しの歌声が永遠に響くドームで、少女が微笑んでいた。

他人の記憶の中で贖罪の涙を流した男が、そっと目を閉じていた。


どの死にも、それぞれの願いがあった。

どの死にも、それぞれの愛があった。


それを知るたびに、

わたしは少しずつ、死ぬのがこわいという気持ちの中に、

別の言葉を見つけるようになった。


それはたとえば――


「もっと、生きたい」

「誰かに、見つけてほしい」

「忘れられたくない」

「もう、逃げたい」

「これ以上、傷つきたくない」


死にたいという言葉の奥には、

言えなかった“生きたい”がたくさん詰まっていたんだ。




旅の終わり、アプリは最後にこう告げた。


「あなたには、選択の権利があります。

 死を、選ぶことも。

 もう一度、生を、始めることも。」


そのときのわたしは、

ほんの少しだけ、涙を拭えるようになっていた。


わたしは、まだ生きてる。

死を恐れるままで、生きている。

それでも、今日もまた、朝が来る。

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死合わせマッチング 和よらぎ ゆらね @yurayurane

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