Given the Seed

押田桧凪

第1話

 ほしい、と思ったから生えたみたいなバナナの樹なんて誰でも持っているものだと思っていた頃の俺が、それを初めて認識したのは三歳だろうか。たま。まる。〇を描けるようになり、アンパンマンを認識したのもきっと、同時期だ。でも、お母さんには無い。


 男女のちがい、とかはまだ知らなくて、「ないない」「あるある」で世界を捉えていた(というか、ほとんどの人が通る道だろうが)俺は、聞いた。

 本当は、お母さんにも「たま」があったんだと。笑いながら、昔の話だけどね、と付け足した。


「でも、とくべつにリトくんにあげたの。だから、リトくんはしょう来、お金にこまったら、これを売るんだよ。いいね?」と教わった。わかった! と俺は答えたはずだ。それから、俺はたまを所有した。


 でも、こんなたまは要らなかった。武器じゃなくて、弱点だった。ちっちゃい袋は冬にはちぢむし、夏にはびろん。さらにジメジメするし、たまにかゆいし、キックされたら終わりだ。女子ってセコい。四角い筆箱(周りがしだいに布系やモフモフの筆箱に移行する前の)を使って、ばちんって、叩かれる。暴力的な一部の女子に。それは意外に丈夫で固いから、ふぎゅうって俺は耐えるしかなくて、くやしい。


 例えば、花いちもんめで「あの子がほしい!」って足を蹴り上げた時みたいにぽーん、と俺のたまに、筆箱のとがった角が直撃すると、しゃがむ。ちょっと、しゃがむ。なかなか、くる。ぎゅっと目をつむる。苦しいけど、泣かない。絶対に、泣くもんか。女子の前で泣くのはダサいから。どんなに痛くても俺は我慢するしかなかった。


 雨の日は、教室で静かにあそびましょう。自由帳に書かれたヘンなはなし?に出てくる王子様役を俺は勝手にやらされることになって、「イヤだ」と言ったら、叩かれた。元々は俺が悪かったのかもしれないけど、ずるいと思った。


 そんなことを、先生に相談するのも保健室に行くのも恥ずかしい。たまを、冷やす!? だなんて。氷袋をあてて、中身が溶けるのをじっと眺めるように、たんこぶができた頭を傾けながら冷やす、あのちょっとカッコイイ感じに比べて! なんて、情けない。


「女の子にぼうりょくふるえば、リトくんの負け。でも、たまさえ守れば、リトくんの勝ち」


 それをがんばって話したのに、お母さんはなーんも分かってない。じゃあ逆に女子の弱点おしえろよ! なぜかそう思った。俺は何秒間か黙って、想像する。


 たまが要らないなら、じゃあ、いつ売るのか。いくらで売れるのか、誰が買うのかを考えた。考えていたら、こわくなってきた。売るってことは、なくなるってことだ。俺はポケットの奥に手を入れて、自分のたまがまだそこにあることを、そっと確認した。ちいさい袋の中で、ふたつ。でも。


「めるかりでたま、うりたい」

「リト、どうしたの。……そっか、やっぱり痛かったよ、ってつたえたかったんだ、よね?」


 おこづかいはもらっていたし、昨日は500円玉ひとつでお菓子をどれくらい買えるか行っておいで、と近所のスーパーに送り出されたばかりだった。つまり、お金は足りていた。家に帰って真っ先にお母さんにそれを話したのは、洪水のように言葉があふれ出したのは、痛かったからだ。でも、お母さんには……。

「分からないくせに!」

 俺は突っぱねる。言ったらダメなことまで言ってしまいそうな、勢いで。

「ふっふーん!! お母さんだってリトにあげる前はあったんだよ」

 手を組んでなぜか得意げな顔で言う。鼻息を荒くしながら。なんでそんなに自信のある顔をしてるんだろうって俺はちょっと戸惑ったけど、「ない! うそ!! うそつき!」と叫ぶ。


 たまは、かすかにあたたかくて、ハムスターや犬にもちゃんと付いてるって前、知って、俺はなんかうれしかった。それをお守りのように触れば、ゆるされるような気がしていた。でも、じんと確かに痛んだ。「泣かなかったのえらいね」だとか「やり返せばいいのよ」なんてお母さんは言わない。言えない。ルールは、守れば勝ちだから。アンパンマンとはちがうから。でも、勝ったらうれしくて負けたらくやしいのは、花いちもんめと同じだと思った。


「本当は、あげたくなかった?」俺は、聞く。ちぎって、あげることができないのは、さすがに俺でも分かる。

「ううん」

「じゃあ、ほしくなった?」

「うーん」


 どんぐりを埋めた場所をわすれたリスみたいだと俺は思った。お母さんはわすれた顔を、わざとしている。俺の中に隠した、バレバレの場所。そこに、たまはあった。だけど、掘り返さない。芽が出るのを待っている。


「こんなたまならイヤだ、どんなの?」

「なにそれ」俺にはわからないことを、お母さんはしゃべり始める。

「トランポリンみたいな、たま」

「だから、なに、それ」

「大喜利」

「おうぎり?」

「面白かったら、なんと、500円!」


 えぇ? やったー! ようし、とわけもわからず俺は気合が入った。

 今、俺は500円玉が、いちばんほしい。

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