第4話 神々の山

 テオはよく狼の世話をした。ミカエラに倣って山羊の乳を与え、汚れた体を洗ってやり、傷に当てた布を替えた。嵐の夜には寄り添って眠り、晴れた朝には一緒に山へ行って狩りをする。狼が仕留めた獲物をテオが父と捌き、母とミカエラがそれを料理した。

 マゼランは最初のうち、なかなか警戒を解かなかった。狼も敢えてマゼランに近づこうとはせず、二人の間には目に見えない壁があるかのようだった。しかしその壁が取り去られる日が来るのだ。

 それは蒸し暑いの月の中旬、白詰柳しろつめやなぎの小さな花が踊る様に風に舞う、よく晴れた日の午後だった。テオはミカエラとマゼランを連れていつもの如く山へ狩りに行った。するとそこで、奇妙な光景を目にした。幾人もの男たちが、何やら鍬だのたがねだのを手に山の中を彷徨うろついている。作業服の男たちとは別に、役人の姿も多数見かけた。黒地に銀の毒蛇が描かれた官服を着ている。テオは初めて見たが、マゼランは物知りだった。

「ルゼインの官吏だな」

「ルゼイン?」

「ここより西にある大きな国だ。あいつら数年前からこの山に押し入って金塊を採ってるんだよ。この山は今まで殆ど手付かずだったから、銀も錫も鉛も鉄も、採り放題だ。村があった頃は時々必要なだけ採りに行って商人に売ったりしてたらしいけど、俺たちだけになってからはあいつらがずかずか無遠慮に踏み荒らしてやりたい放題やってるんだ」

「そんなに採れるの? だったら私もそれで髪飾りを作りたいわ」

 瞳を輝かせてミカエラが言う。テオは不思議そうに首を傾げた。

「父さんは何で採りに来ないのかな? 狩りをしに来るのに、今まで一度も金塊なんか採ってるの見たことないよ」

「さあな。でも、あの事件以来商人がパッタリ来なくなった。その代わりに続々とルゼインの役人が来て、金目の物をどんどん採って行ったんだ。もしかしてあの邪犬たちはルゼイン王がけしかけたんじゃないかと思った事もある。この山には世界のどんな場所よりも多く宝が眠ってるってユミエラが言ってた。多分、そうだ」

 物陰に隠れて様子を伺っていた三人だが、不意に突風が吹いてミカエラが小さな声を出した。人の気配に気づいたルゼインの官吏たちが一斉に槍を構えて周囲を威嚇する。

「何者だ! ふん、餓鬼か。こんなところで何をしている」

 鉤鼻の、神経質そうな背の高い男が怒鳴る。ミカエラは、恐怖に青ざめた顔で見上げていることしか出来ない。

「狩りをしに来ただけだ。あんたたちの邪魔をしに来た訳じゃない。もう帰るところだ」

 さっさとこの場を去ろうと二人を促すマゼランの鼻先に槍の矛先が向けられた。

「小僧、生意気な口を利くじゃねえか。狩られるのはどちらか俺たちが教えてやろう」

 やれ! と号令が飛ぶと同時に左右の男たちが動き、周りを囲まれてしまった。今にも泣き出しそうなミカエラの横で狼が低く威嚇の唸りを上げる。

「ほう、冬狼とは珍しい。見たところまだ成犬に達してはいないようだが」

 成犬した冬狼は馬かそれ以上の大きさになる。人に懐かないことで有名な冬狼は、獅子や虎に勝るとも劣らぬ凶暴さだ。邪犬と呼ばれるのも無理はないが、今目の前にいるこの仔狼はまだほんの子供だ。迎え入れた頃より少し大きくはなったものの、テオの膝丈ほどしか背丈がない。もうあと半年もすれば大型犬くらいの大きさにはなるだろうが、今はまだ仔犬と大差ない小ささだ。脅威にはなり得なかった。

「どうしてこんな事するの? おじさんたち、悪い事をしてるの?」

 悪びれる様子もなく問いかけるテオにマゼランが焦って腕を引いた。

「おい餓鬼、誰が悪い事してるって? 俺たちは歴としたルゼイン国の官吏だ。ルゼイン国王からの直々のお達しでここに王の金塊を採りに来ているに過ぎん。わかったらさっさと背を向けて走り出せ、狩りを始めようじゃねえか」

 にやりと厭な笑みを浮かべて男はテオに躙り寄る。その時だった。仔狼が勢いよく男に飛び掛かり、その右腕に噛み付いた。冬狼の牙は幼くても十分に鋭い。男は怒声を上げて狼を振り払い、その腹目掛けて槍を突き出した。

「やめて!」

 テオが大声で制止を呼びかけた刹那、大地が震えた。突然の地鳴りに体勢を崩した男へとまたも果敢に飛びついた狼は、その手首ごと槍を捥ぎ取るとそのままの勢いで男たちの中へと突っ込んだ。何人もの男が折れた槍と縦横無尽に走り回る小さな爪と牙に皮膚を抉られ血を噴き出す。

「くそ! 引け…! 引けえっ!」

 手首を噛みちぎられた男が叫ぶ。作業服の男たちは道具を放り出して一目散に逃げ出し、血だらけの官吏たちも半ば悲鳴染みた声を上げながら後ろも振り返らずに走り出した。

「追うな」

 尚も追いかけようとした小さな獣にテオが静かに声をかけると、ぴたりと動きを止めて従順な犬のように少年の足元へと駆け戻る。褒めてくれと言わんばかりに尻尾を振り、ハッハッと得意げに見上げてくる仔狼にテオは思わず笑みを浮かべるとその小さな英雄の体を強く抱きしめた。

「ありがとう、小狼シャオラン

 その様子を見つめながら、マゼランは少し躊躇いがちに近寄ると恐る恐る狼へと手を伸ばした。くるりと首だけ振り返る姿に思わずどきりとして動きを止めたが、獣は少しも変わった様子を見せずに尻尾を振り続けている。そろそろと小さな頭を撫でてやると、くぅんと仔犬の様な声を出してマゼランの手を舐めた。真っ白な毛が男たちの返り血で赤くなっている。今漸く恐怖を感じたのか、マゼランはその場に座り込んでしまった。

「…死ぬかと思った」

 ミカエラが泣きながらマゼランに抱きつくと、年長者らしく優しく抱き返してやるものの、その手の震えは止められない。テオだけが常と変わらず、にこやかに姉の手を取ってその泣き顔を覗き込んだ。

「帰ろう、お腹空いたよ」

 

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獣王と星の末裔 ひなた @Hinatabocco

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