『シアワセノカタチ』3話

鈴木 優

第1話

    『シアワセノカタチ』 3話

               鈴木 優


『今日は、少し熱いね』

 

 彼女はカップを両手で包みながら言った。

 それはコーヒーの温度なのか、心の距離なのか——彼にはすぐには分からなかった。


 店の窓から入る光は春のものだった。

 

 再会から数週間、彼女とは何度かこの店で顔を合わせていた。

 言葉は多くはなかったが、沈黙が居心地の悪いものではなくなったのは、大きな進歩だった。


『あの時、私…何も言えなくて』

 

 ちがう、何も言ってあげられなかったのは俺の方だった。

 

 彼女が視線をテーブルの木目に落としながら言う。

 彼はゆっくりと頷いた。

 無理に何かを引き出そうとは思っていなかった。

 

 ただ、こうして向かい合えることが何よりの奇跡だと感じていた。


『いまはね、少しずつ話せる気がしてる』

 彼女がカップの縁に指を添える。

『ぬるかったコーヒーも、悪くなかったけど、熱いのも…好きかも』


 彼はその言葉を聞いて、微笑んだ。

『俺も。あのとき、言えなかった言葉、今なら少しずつ言えるかもしれない』


 そして彼は、深く息を吸ってから続けた。

『また、会えてよかった。ありがとう』


 彼女は驚いたように目を開いたが、すぐに優しく笑った。

 カップの中のコーヒーは、もう熱すぎるほどではなかった

 けれど、それでも二人を温めるには十分だった。


 

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『シアワセノカタチ』3話 鈴木 優 @Katsumi1209

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