Ⅱ-11.なぞり書き①

「ちょっと、いい?」


 夜、私の部屋の扉を叩いて入ってきたのは、テネスだった。私は描いていた手を止めて、テネスを招き入れた。


「ちょうどこの前の絵の仕上げをしていたところだから、タイミング良かった。ベッドでよかったら座って」


 テネスは少し考えてから、首を横に振った。その顔は僅かに曇っているように見えた。


「ここでいい。時間ないから」

「時間……?」


 私は絵筆を置いて、扉の前に立つテネスに向き合った。


「何か緊急なこと?」

「緊急って程じゃないけど、相談したくて。マレニがお風呂入ってる間に」


 耳を澄ますと、確かにシャワーの音が聞こえた。


「マレニと何かあった?」


 私が訊ねると、テネスはゆっくりと肯いた。


「最近、マレニが私のことをヨッカって呼び間違えることが多くなってきたの。最初は、家族を呼び慣れなくて、間違えちゃうこともあるよね、って思ってたんだけど、それって段々減っていくものでしょ? なのに、マレニはどんどん増えていって」


 嫌な予感がした。


 マレニがテネスを呼び間違えるところなんて、四人で食事をとっているときには見たことがなかった。


 私は肯いて、テネスの話を促す。


「今日、あまりにおかしいから『私をヨッカって呼ぶのは止めて』って言ったの。そしたら、すごい剣幕で詰め寄られて『あなたはヨッカを殺したんだから、ヨッカの役を引き継ぐ義務があるでしょ』首を掴んでそう言った」

「それ、本当にマレニが……?」

「疑う気持ちも分かる。でも、」


 そこまで言って、テネスは後ろを振り向いた。


 私にも聞こえた。一階の風呂の扉が開く音だった。


 テネスは焦った様子で言った。


「マレニは私をヨッカにしようとしている。このままだと私は、テネスは殺される。お願い、イヨ。マレニはおかしい。マレニを助けてあげて」


 それだけ言って、テネスは私の部屋を出て、自分の部屋に逃げるように入った。


 風呂場から二階へ、マレニが階段を上る足音が聞こえた。

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