Ⅱ-11.なぞり書き②
「ちょっと、いい?」
私はマレニの部屋の扉を叩いた。返事がない。マレニが部屋に入る音は聞こえた。私はもう一度マレニの部屋の扉を叩いた。
「マレニ?」
「……ちょっと待ってね」
やや遅れて扉の向こうからマレニの返事があった。足音は大きいけれど、扉まで真っ直ぐに来る。何かを隠している訳でもなさそうだった。
「ごめん、ちょっと集中してて」
扉が開くと、マレニは笑顔で出迎えた。
マレニは珍しく髪をまとめ上げていた。垂れ下がった前髪を手櫛で後ろに運ぶと、頬に青い絵の具が付いた。
「マレニ、絵描いてたの?」
「うん。あはっ、イヨには内緒にしたかったんだけど」
ちらりとマレニの背後――マレニの部屋を見て、私は自分の瞳孔が開くのを感じた。
前までは譜面台とピアノ、それからベッドがあっただけの部屋には、イーゼルにキャンバス、それからトレーニングマシンと幾つかのコンピュータが置かれて、雑然としていた。
「イヨ、ちょっと見てくれる?」
マレニは明け透けに私を部屋に招いた。私は戸惑いを顔に出さないように努めて、マレニの部屋に立ち入った。
キャンバスには描き途中の絵が描いてあった。私はその構図に見覚えがあった。
「これ、私がナナナに見せた絵」
「うん。とっても素敵な絵だから、私も描いてみようと思ったの」
マレニは壁に掛けられた私が描いた絵を指差した。ナナナの部屋にあったその絵には、私以外の家族四人――マレニ、オパエツ、ヨッカ、ナナナが描かれている。
一方のマレニの描いている絵にはマレニ、オパエツ、私、そして描きかけなのか腕のないテネスが描かれていた。
「描いてみたらさ、私、私のこと描けたよ。簡単だよ。イヨもイヨのこと、怖がらないで描いたらいいのに」
「マレニ……どうしてそんなこというの?」
私はマレニの物言いに、怒りよりも悲しみが湧いた。不気味なこの部屋の光景と相まって、心が掻き乱されていく。
「私、イヨのことをもっと知ろうと思って、絵を描いてみたんだよ。オパエツのことも、ヨッカのことも知りたくて、みんなの使命ってどんなものなんだろうって。私、みんなのこと大好きだから」
マレニは部屋の中央で腕を広げ、天を仰いでくるりと回った。部屋中に置かれた家族の持ち物が、次々と色褪せていく。
私は拳を固め、マレニを窘めた。
「大好きだからって、やっていいことと悪いことがあるでしょう。少なくとも私は傷付いた。私の使命を馬鹿にされたみたい」
マレニはにやりと笑った。
「ねぇ、イヨ。役者ってね、ただ台詞を言うだけじゃ駄目なんだよ」
「なんの話?」
「なんでそのキャラクターがその台詞を言っているか、本当はどんな気持ちで、どうしてそれを素直に言えないのか、ってしっかり考えないと良い台詞って出てこないの」
私はマレニの真意が伝わり、吐き気を伴う拒否感に襲われた。
「マレニ、やめて。元のマレニに戻ってよ!」
「イヨ、元のマレニって何かな? 元のイヨってなぁに? 賢くて格好いいイヨも、才能の差に絶望するイヨも、どっちもイヨだよ」
「もうやめて!」
私が叫ぶと同時に、マレニの部屋の扉が開いた。
「……オパエツ」
扉の向こう、廊下に立っているオパエツは、無表情で手招きした。
「マレニ、俺の部屋に来い」
「……なんの話?」
「別にここでしてやってもいいんだ。オマエがいいなら」
マレニは笑顔を崩さないまま、オパエツの手招きに従って部屋を出た。
「イヨも部屋に戻れ」
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