Ⅱ-8.痛み⑥
ヨッカとテネスがリングに上がる。
今回最も待望のカードに、会場が割れんばかりの声を上げた。
テネスは前回と同じように、右脚を外してセコンドに投げた。サソリのようなファイティングポーズも前回のままだ。
一方のヨッカも左腕を肘から外した。それだけではない。ヨッカは口を使って右腕も取っ払った。自慢の長い両脚だけで戦うヨッカの姿に、観客は義肢反対派も含めて興奮を隠せなかった。
「虚実交差する隻脚のトリックスター テネス VS 両腕を捨てた足技の貴公子 ヨッカ」
アルヴォリ氏の口上が私に空虚に響く。
二人はリングの上で睨み合い、そして笑っていた。
「ヒリつけェ! ファイッ!」
シャーマ氏の掛け声と共に、ゴングが鳴る。
私が固唾を呑むより早く、テネスが飛びかかった。リズム合わせ無視の初撃は、ヨッカの鳩尾を一直線に狙ったものだった。
ヨッカはそれを見事に躱し、ステップを踏んだ。
ヨッカとテネスは交互に技を繰り出す。
彼らにリズム合わせは要らなかった。技を繰り出すことそのものがリズムを作り、彼らの世界が広がっていくのを感じた。
「あのテネスの攻撃……」
「うん、当てにいってる」
オパエツはテネスの動きに目を光らせた。
ギリギリのグレイズではなく、急所を徹底的に狙った大ぶりの攻撃。もろに喰らえば、重傷は避けられない。
「グレイズダンスをする気が無いのか? 狙いが見え見えで、ヨッカはテネスの攻撃を読みやすい。トリックプレイを挟む余裕すらある」
時間が進むにつれ、テネスの顔は曇っていった。
私も、拳に汗が滲んで気が気でない。
「さっき、シャーマさんのところに行ったって言ったでしょ」
「あぁ」
「そのときね、偶々テネスにも会ったの」
「なに?」
――シャーマ氏といた控え室を出たときの話だ。
扉のすぐ近くに、テネスが立っていた。
テネスは私を手招きして、トイレに呼び出した。
トイレには私たち以外誰もいないようで、テネスはそのことを確認すると、口を開いた。
「こんなところで失礼ですが、少しだけ話を聞かせてください。はじめまして。私は、テネスです。その、ご存知だと思いますが、最近、ヨッカと朝のスパーリングをしている者です」
テネスはとても歯切れが悪く言った。
「今、シャーマさんと話をしてましたよね。私、聞いてしまいました。あなたは、ヨッカの家族なんですよね。本当なんですか? ヨッカが、もうすぐ死ぬって」
食って掛からんばかりの勢いに、私は首肯した。
「テネスさん、あなたのことは、前回のグレイズダンスショーで見ました。ヨッカのことですが、本当です」
私の答えに、テネスは口を結んだ。
「魂石の自然破砕――最近相次いでる模人の死の前兆に、攻撃性の増加があるんです。ヨッカも、ヨッカと殴り合いをしているテネスさんも、その危険性は高いと私の知人は見ています。もちろん、必ずそうであるという証拠はまだ無いですが、既に同様の兆候から、死んでしまった家族がいるので、私はその知人のことを信じます」
「ナナナさん、ですか」
「……はい」
私は自分の声が低くなるのを感じた。
テネスは少し迷ったような素振りを見せて、それでも話し始めた。
「攻撃性の増加、そんな傾向があるんですね。とても合点がいきました」
テネスは目を伏せ、何かに得心した。陰りの中に、なにか嬉しそうな気持ちが見え隠れする。
「ヨッカと殴り合いをしていると、どうにももどかしさがあるんです。きっと、殴り合いをした人にしか分からない感情でしょうけど、目の前の人とひとつになりたいっていう気持ちが強くなるんです。防衛反応って、ひとつになりたい心を、魂石が邪魔してるから痛いんじゃないかって、私思うんです。心が籠に入っているみたい。攻撃性の増加って、その籠が壊れそうなのを心が分かっているから、とか」
「心が籠に……?」
テネスは遠くを見ていった。
「……試合から数日経って私のところに来たヨッカは、辛そうでした。死を知ってから、ヨッカはずっと死に囚われています。いつか消えるかもしれない自分の心の形を確かめるみたいに、ヨッカは自分から痛みを求めているんです。それを解放してくれるのも、死だって分かっていて」
「何言っているのか、私には」
冷たいヨッカの視線を思い出した。
私は置いて行かれたのか、それとも、私が一緒に歩くのをやめてしまったのか。
「自分への罰かもしれません。でも最早ヨッカの幸福は、安楽は、本物の死によってしか訪れないと私は思うんです」
「本物の死……」
私はテネスの眼差しに、目を逸らせなくなった。
「私は、ヨッカが死ねるなら、その手向けをしたい。嘗ての人類の言葉を借りるなら、今日、私はヨッカを『殺し』ます」
いいですか? とテネスは私に訊ねた。
私はその覚悟に、何も言い返せなかった。
残り時間三〇秒。
前半から急所狙いの猛攻を仕掛けていたテネスは、体力を使い果たし、ただ大きく揺れながらヨッカの攻撃を避けていた。
「じゃあ、テネスはヨッカを殺そうとしてるっていうのか? イヨはそれを許可したのか?」
オパエツは唾を飛ばして訴えた。
「許可はしていないよ。でも、でもヨッカはもう助からない。プロモーションの道具にされるくらいだったら」
「テネスに殺された方が良いって言うのか? それは許可を出したのと変わらないだろうが」
「じゃあオパエツならどうするんだよ。オパエツが魂石を修理できるくらいの大発明を、あと二日三日で作れるって言うの?」
「ぐっ、オマエッ! オマエは、オマエはヨッカを見殺しにすると言っているんだぞ」
『見殺し』
その言葉が私の頭に重くのしかかる。
衝動だった。
私はずっと頭の片隅にあって、考えないようにしていた最も鋭利な言葉を口にした。
「オパエツ、模人はもう、死ぬんだよ」
言ってやった瞬間、オパエツがこれまでに見たことがないほど目を丸くした。
オパエツのそんな顔、見たことがなくて、私は自分の口角が上がるのを感じた。そして、私は自分が今なんと口走ったのか、遅れて理解して、口角が下がった。
「ちがう、オパエツ、今のは」
試合終了のゴングが鳴った。
咄嗟にリングの方を見ると、そこにはグレイズダンスで、いや、私たち模人の世界であり得ない光景があった。
「なんだなんだ何が起きている!」
「グレイズダンスの冒涜だ!」
口々にブーイングを飛ばす観客。
リングの上で、テネスがヨッカを両腕で抱擁して、上から覆い被さっていたのだ。
ヨッカの悲痛な叫びがアリーナ中に響く。
テネスは防衛反応を狙い、グレイズダンスの原則を棄てて、ヨッカを抱きしめた。
電光掲示板に、テネスの反則負けが映し出される。
飛び交うブーイングと困惑の声。
しかしリングの上の二人の試合は、まだ終わっていなかった。
どれだけ批判的な言葉を投げかけられても、テネスはヨッカから離れない。レフェリーが剥がしても、テネスはヨッカに触ろうと叫び、藻掻いた。
「ヨッカ、ヨッカ! 今、楽にするから! ヨッカ!」
鍛え上げられ、防衛反応に耐性のある警備員五人掛かりで押さえ込まれたテネスは、尚も暴れた。
その声に呼ばれるように、倒れていたヨッカが起き上がる。
「テネス、テネス。テネス」
ヨッカ側の警備員が慌てて押さえ込もうとしたが、腕のないヨッカはするりと警備員の手を躱し、リングの外に連行されたテネスへと飛び掛かった。
「テネス!」
空中で叫ぶヨッカを、警備員の一人が蹴り落とした。
リング外の床に跳ねるヨッカ。
やがて取り囲まれたヨッカは、動かないまま、テネスとは反対の出口に連行された。
ヨッカは、その時点で絶命していた。
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