第9話 奉稲祭・夜―東から来た者たち
西の空が淡い朱に染まり、雲の端がほのかに光を帯び始める。
日暮れ前の風が提灯の房を揺らし、屋台の煙を押し流すように通り抜けていった。
祭りのざわめきが境内に溢れ、村外からの客たちの声も混じり合う。
(……今年は、見慣れない人が多いな)
穂鳴おどりと神猪相撲の準備を進めるべく会場へ向かっていた麓の目に、人を待つように佇む男女の姿が映った。
男は三十代半ばほど。黒のカッターシャツにグレーのネクタイ、和装仕立ての長いジャケットを羽織り、肩に流した長い髪をゆるく結んでいる。
隣の少女は、青緑の絹の着物に編み上げブーツ、黒い手袋。見目は華やかだが、この村の素朴な祭りにはあまりに異質だった。
(…ま、祭りだしな。いろんな人が来るか)
麓は小さく肩をすくめ、すぐに視線を戻して小走りで会場へ向かう。しかし胸の奥に、墨を落としたような薄いざわめきが、じわりと広がっていくのを感じていた。
(なんだろう……なんか、落ち着かない感じ)
**********
「……河鹿、遅いね」
少女は、落ち着かないように足元の砂を小さく蹴り、不安げに人波の先を覗き込む。男はちらりと腕時計に目を落とし、屋台の前を行き交う人々に視線を滑らせた。
「……もう催事が始まる。あと十分で来なければ、俺は会場に向かうぞ」
「――お待たせ! いやぁ、思ったより人が多くてさ」
両手に山盛りの屋台飯を抱え、男が駆け寄ってくる。無造作に流れるアッシュシルバーの髪、細身の黒パンツに黒いブーツ。さらりと羽織った麻柄の上着だけが、かろうじて和の色を留めていた。男は舌を出し、申し訳なさそうに肩をすくめる。
「遅いわよ、まったく! ……まぁ、私たちの分まで買ってきたみたいだし、許してあげる」
少女が袋に手を伸ばしかけた瞬間、男はさっと体を引き、眉をひそめる。
「いや、全部俺のだから」
「はぁ!? なんてやつ……しょうがないわね、ほら」
少女は不服そうに財布から札を数枚抜き、男――河鹿の前に突き出した。河鹿は肩をすくめ、心底呆れた顔で視線を逸らす。
「十六の小娘のくせに、いやらしい金の使い方すんなよ……。だいたい嵯峨乃の何倍も、俺のほうが稼いでるんだけど?」
少女――嵯峨乃の頬がみるみる赤くなり、口を開きかけたが、結局言葉は出ず、涙目で視線を落とした。それを見て、河鹿は大きなため息をつき、ゴソゴソと団子の包みを差し出した。
「……ほら、やるよ。残さず食えよ」
嵯峨乃はムッとした顔を見せたが、結局黙って手を伸ばし、それを受け取った。
「……斑、例の神猪相撲って何刻からだっけ?」
「暮六つ頃(午後六時)だ。……ところで河鹿、黒稲はどうした」
「――あっ!?」
河鹿の肩がわずかに跳ね、焦ったように周囲を見回した。
視線を泳がせ、口元で「やべぇ……」と小さく呟く姿を見て、斑は真顔で薄く目を細めた。
「お前が連れてきたんだろう。探してこい」
河鹿は一瞬だけ渋い顔をするも、すぐ観念したように抱えていた食べ物を嵯峨乃に押し付けた。
「……ほら、やるよ。残さず食えよ」
「はぁ!? あんたねぇっ……!」
嵯峨乃の抗議の声が背中に飛んだが、河鹿は聞こえぬふりで来た道を駆け戻っていった。
「……もう、アイツほんと嫌い!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます