第10話 邂逅
小町は本殿裏の林にひっそり佇む小さな社の縁に座り、祭りの光をぼんやり眺めていた。
提灯の明かりが木々の間をちらちらと照らし、林を抜ける風が笑い声や太鼓の音、屋台の呼び込みを断片的に運んでくる。
(みんな、楽しそうだな)
その賑わいが胸に沁みた。愛おしいような、でも胸の奥を爪でひっかかれるような切なさがじわりと広がる。
お供えを抱えて笑顔を向けてくれた麓を思い出し、気を遣わせないよう平気な顔をしてしまった自分を、今さら後悔する。
(――ほんとは、全然平気じゃないのに)
今年も、格は上がらなかった。
もし五位以上に上がれれば、天つ神の加護が降り、村の風土病――鳴実の病にだって望みが持てるかもしれない。
その頼みの綱を手にするために挑んだ議で、またしても結果が出せなかった。
自分はこの土地の銘米神として相応しくないのではないか。
どこからか強い銘米神が現れて「任せろ」と言ってくれたら、どんなに楽か。
でもそんな無責任な考えを抱いてしまう自分が、心底嫌だった。
小町は膝を抱きしめ、指先にぎゅっと力を込めた。
(……ちゃんと、しなきゃ。みんなの神様なのに)
指先がじんわりと冷えていく。鳴実のことを考えるたび、胸の奥が重く沈んだ。
麓と鳴実の父親も、発病からわずか五年で亡くなった。時間は、ない。
なにか、方法はないのか――。
そのとき、不意に茂みの奥で足音がした。
「……!」
ハッとして顔を上げると、林の奥から小さな影がとことこと歩いてくるのが見えた。
六歳ほどの子ども。癖のある長めの黒髪が頬にかかり、紫がかった黒の瞳が涙に濡れている。
色黒の肌が、提灯の灯りを受けてわずかに艶めき、闇に溶け込むようだった。
(迷子……? でも……私、稲守以外には見えないのに)
小町は慌てて立ち上がり、どうしようと周囲を見回す。
しかしその子は、まっすぐ小町を見つめ、小さな手を差し出してきた。
そして――その手が、小町の指先に触れた。
「……え?」
息が詰まった。
見られている。触られている。つまり、この子は――人間では、ない。
「おれ、
かすれた声で、子どもは名乗った。
泣き腫らした瞳から、またぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「銘米神議……結果だせなかったから……きっと、おれ、ここに捨てられたんだ……」
小町の胸に、じわりと冷たいものが染み込んできた。
それは、まるで自分の心の奥に触れられたような感覚だった。
********
祭りのざわめきの中を、河鹿は苛立たしげに人混みをかき分けていた。
「……くそ〜、あいつどこ行った……!」
黒稲の小さな姿は、雑踏に紛れれば見つかるはずもない。
屋台の明かり、提灯の影、笑い声、焼き物の煙――全部が邪魔だ。
(こりゃダメだ。普通に探してたら夜が明ける。催事は絶対見たいしな……)
立ち止まった河鹿は、鞄の奥から小さな眼鏡ケースを引き抜いた。
中に収められていたのは、繊細な細身の眼鏡。
彼が独自に作り上げた、神気を視認するための特殊レンズだ。
「……まあ、試作品だけどな。使えりゃ御の字」
メガネをかけ、視界を調整する。
一瞬、目の奥がじりっと痛み、次いで景色が変わった。
人々の輪郭の向こう、微かな光の粒が浮かんで見える。
社の方角に、幼いものと、少し大きめのもの――二つの神気が寄り添うように灯っていた。
(……ん、誰かと一緒にいるな……?この土地の銘米神か?)
考えかけた刹那。
河鹿の背筋に、ゾクリと冷たいものが走った。
羽鳴山の方角。
視界の端に、巨大な、あまりに禍々しい気配が、ぐわりと広がった。
赤黒く脈打つような神気。鋭く、ざわめき、軋む。
それは山全体を覆うかのように一瞬で膨れ上がり――。
「……化け物だ……」
呼吸が詰まり、冷や汗が背筋を伝わる。しかし同時に、今までに見たこともない凄まじい神気に喉奥で小さく笑いが漏れた。
「すげぇ……」
しかし、次の瞬間。
その異様な神気は、まるで潮が引くように、すうっと収束し、ふっと消えた。
「……?なんだったんだ、今の……」
河鹿はメガネを外し、深く息を吐く。
鼓動がまだ速い。
(まあいい、とりあえず黒稲だ。あいつを拾いに行かないと)
頬を軽く叩き、気持ちを切り替えると、河鹿は社の方へ駆け出した。
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