いつ監禁しようかな?と呟いてくる隣のアイリス様

とおさー@ファンタジア大賞《金賞》

いつ監禁しようかな?

「いつ……監禁しようかな? 明日? 明後日? 一週間後? 今日?」


 世の中には隣の席の女子とイチャイチャするラブコメが多数存在する。


 授業中にこっそり視線だけで会話したり、教科書を見せ合ったりと、大衆の面前にも関わらず二人だけの世界を作ってイチャイチャし続けるという、全ての成人男性の夢みたいな作品だ。


 そしてそんな奇跡的な状況に置かれているにも関わらず、なぜか監禁されそうになっているのが俺――明山暁斗16歳である。


 ふと横に視線を向けると、隣の席の女子と目が合った。彼女は俺の瞳をがっちりと捉えると、わずかに口角を上げて薄く微笑む。


「やっぱり今から♩」


 窓から漏れる日差しに照らされて、鮮やかに反射する水色かがった髪。宝石のように輝く透き通った瞳。スタイルはよく、出るところは出ている完璧な肢体。


 まさに容姿鍛錬を絵に描いたような彼女はアイリス。


 俺が転生したギャルゲー世界のメインヒロインであり、ありとあらゆるルートで主人公を監禁するヤンデレヒロインである。


「……………………」


 そして俺はそんな世界の主人公に転生してしまった。つまりどう足掻いても監禁される運命にあるのだ。


「我慢……できない」


 ほら、今だって授業そっちのけで獰猛な視線を向けてくるし。


 メインヒロインのアイリス様は今にも俺を狩ろうとしているのだろう。

 机の下で何やら手錠のようなものまで用意している。あまりの用意周到さに冷や汗が止まらなかった。


「次、目があったら……捕まえる」


 ぼそりと呟くアイリス様。

 聞こえていないと思って好き放題言っているが、残念ながら俺には全て筒抜けである。


 ――地獄耳。


 それが主人公である俺に搭載された唯一の特徴だからだ。

 といっても日常生活においてほとんど恩恵はない。

 シナリオの都合上、ヒロインの呟きを主人公だけが聞き取れるという状況を作り出すためだけの能力だからだ。


「螟ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊」


 ちなみにこのゲーム、バグが多いことで有名で特に主人公の地獄耳が致命的なエラーを起こし、文字化けしたように聞こえることがある。


 せっかくのヒロインのデレが台無しである。

 デレる台詞は全て文字化けするゲームって、もうそれラブコメとして致命的ではないだろうか。


「全然……目が合わない。ねえ……暁斗?」


 そんなわけで彼女の呟きが聞こえてしまう俺としては、何としてでも監禁を回避するように立ち回るしかなかった。


 あえて授業を聞いているフリをして、絶対に彼女と目を合わせないように試みる。

 ちなみに目が合ったら最後、二度と太陽の光を拝むことはできないだろう。


 いずれ監禁されるのは仕方がないが、せっかくのゲームの世界に転生できたんだ。 

 もう少し第二の人生を謳歌したいところだ。


「諢帙@縺ヲ繧区?縺励※繧区?縺励※繧区?縺励※繧区?縺励※繧区?縺励※繧区?縺励※繧」 


 はぁ……。


 俺は聞き取れない彼女の呟きに、ため息をつきたい衝動に駆られながらも、気分転換のため窓の外を見やる。

 もちろん窓際には彼女がいるので……、


 あっ、目が合っちゃった。終わったわ俺。


 



 転生する前の俺は何の変哲もないただの大学生だった。

 講義がオンラインだったのでちょっと家に引きこもりがちな大学生。

 画面の向こうで教授が話しているのを尻目に、別モニターではギャルゲーをやっていた普通の大学生。

 つまりかなりのインドア派だったわけだが、


「アイリス様」


「何?」


「今週の土曜日アウトドアしません?」


「何? アウトドアって」


 不機嫌そうな視線を向けてくるアイリス様。


 冷たく澄んだ瞳は氷を彷彿とさせ、感情が見えない。口数も少ないので、いかにも静かで落ち着いているという印象だ。


 そんな近寄りがたい雰囲気なものだから、彼女の周りには常に人がいなかった。


 食堂の中央。四人席のテーブルに座っているのにも関わらずだ。


 そんな彼女に躊躇いなく近づいた俺は正面に座ると、ラーメンが乗ったお盆を置いて、必死に約束を取り付けようと試みる。


「とにかく外に出たいというか、アイリス様と外で遊びたいというか、やっぱ最高だよな外って」


「意味……分からない」


 と無表情を張り付けたまま言っているが、耳を澄ますと「螟ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊」と聴こえるので多分デレている。

 なんていってるかは分からないけど多分。おそらく。ほぼ確実に。


 ちなみに普段は冷静で口数が少ないので勘違いされがちだが、彼女はかなり明るい性格で鼻歌を口ずさむくらいはノリノリである。


 極度の人見知りすぎて、周りの視線に晒される場所では緊張しているだけだ。


 そんなところも可愛いんだよなとゲームをプレイしていた時は唸っていた。


 じゃあ実際今はどう思っているかというと、可愛いと怖いの半々くらいである。


「俺さ、こう見えて毎日家でゲームをしてるんだよ。それはそれで楽しいんだけどさ、どうしても部屋の中にいるとストレス溜まるじゃん?」


「そう?」


「たまには外に出て全力でストレス発散したい時だってあると思うんだよ」


「外に出る方がストレス……」


「と、とにかく外で遊びたいんだよ!」 


「……そう」


 ぼそりと呟くアイリス様。どうやらあまりに乗り気ではないようだ。


 しかし俺としては何としてでも説得しないといけない。なぜならこのままだと監禁されてしまうからだ。


 この世界に転生してからの三ヶ月。

 俺がかろうじてお天道様の下にいられるのは、ひとえにこのアウトドア作戦のおかげだった。


 毎週外で遊ぶ約束を取り付けることで合法的に監禁を阻止する。我ながら完璧な作戦だと思う。


 もちろん彼女が誘いに乗ってくれるという前提だが、今のところ成功率は100%である。

 最初は渋るが、なんだかんだで言って首を縦に振ってくれるのだ。


 ちなみにアイリス様に友達はいない。

 そりゃ友達がいるやつが授業中にぼそぼそ独り言を呟いたりはしないだろう。

 友達の多さと声の大きさは比例するのだ。


 そして勘違いされないように言っておくと、彼女とは別に付き合ってはいない。

 あくまでも友達という関係性だ。


 といっても本編がスタートした入学式からの付き合いなので、まだ知らないことは多い。


 いくら主人公補正があるとはいえ、中身が俺なのに、どうしてここまで好かれているのかは謎である。


「……分かった。今回は特別に外で遊んであげる」


 ぼそりと呟くと恥ずかしそうにそっぽを向くアイリス様。動揺を隠そうとしているが、耳が真っ赤に染まっていたので分かりやすかった。


 よし、何とか約束を取り付けられた。どうやら今週も生き残れそうだ。





「繧?▲縺溘??∽サ企?ア繧よ噤譁励¥繧薙→荳?邱偵↓驕翫∋繧九?よ悽蠖薙↑繧我サ翫☆縺舌↓縺ァ繧ら屮遖√@縺溘>縺代←縲√♀螟悶〒驕翫?讖滉シ壹r螟ア縺??縺ッ蜍ソ菴鍋┌縺?°繧臥音蛻・縺ォ莉雁屓縺ッ險ア縺励※縺ゅ£繧九?ゆサ雁屓縺?縺代□縺九i縺ュ?」

 





 原作のゲームでは、主人公とアイリス様がお出かけするイベントがいくつも存在する。

 その中でも特に人気だったのは間違いなくお祭りデートイベントだろう。

 そんなわけで今週の土曜日は二人でお祭りに行く約束をしていたのだが、


「雨……」


 お昼頃。駅前のカフェで。

 窓ガラスを叩く雨粒を眺めながらアイリス様が呟いた。彼女の言う通り今日はあいにくの天気である。


 窓の外は視界が霞むほどの雨が降っていて、とてもじゃないが祭りが開催されるとは思えない。

 つまり今日の予定は完全に頓挫してしまったわけだ。


「……やっぱり、家がいい」


 コーヒーを一口含むと、視線だけで謎の圧力を放ってくるアイリス様。


「うち……来ない?」


 上目遣いでお家に誘ってくるなんてあざといにも程があるだろう。


 しかし微かに「監禁♩監禁♩」という不思議な音色が聞こえてくるので、不穏としか言いようがなかった。

 雨が降っただけで監禁ルートに進むなんて理不尽にも程がある。


 俺は必死に頭を振ると、ブラックコーヒーを飲み干して、


「雨の中お祭りに行くのも風情があっていいんじゃないか? 人は少なそうだし案外快適かもしれないぞ」


「家……」


「アウトドア!」


「家……」


「アウトドア!」


 しばらく無言で見つめ合う。

 彼女の瞳の奥は驚くほど透き通っていて、瞳孔が動くたびに瞳の中の俺が揺れる。

 しかし彼女の意思は微塵も揺らいでいないようで、


「………………監禁」


「アウトドア」


「………………監禁」


「アウトドア」


 究極インドア派とアウトドア派が衝突する。

 インドアと言っても彼女の場合は二度と部屋から出られなくなるタイプのインドアなので、あまりにも言葉の重みが違いすぎる。


 斬新な発想ができるのは彼女の魅力だが、もう少し俺の人権を慮ってほしい。


「分かった。じゃあこうしよう。間をとって俺の家でお祭りをするのはどうだ?」


「どうやって監禁……するの?」


「だから監禁はしないって。ほら、お祭りだよお祭り」


「……血祭り?」


 監禁の先の先まで見通せるのはさすがメインヒロインだ。少しばかり想像力が豊かな気がするが、そこもまた彼女の魅力。


 ちなみに二人っきりの時は普通に監禁という言葉を使ってくる。どうやら彼女にとって監禁は挨拶のようなものなのだ。日本語って難しい。


「お祭りっていうのは例えばヨーヨーつりとか、焼きそば作ったりとかあとは……」 


 ふとゲームのイベントが頭に浮かぶ。


 それは祭りの最後に二人で線香花火をやって、先に玉が落ちた方がなんでも言うことを聞くというもの。

 もちろんアイリス様が勝ったら主人公は監禁されるし、主人公が勝ったら三つの選択肢が現れる。


 一つ目は『そのままキスをする』→その後監禁される 


 二つ目は『告白する』→その後監禁される


 三つ目は『逃げる』→その後捕まえられて監禁される


 というものだ。な? 監禁は挨拶だろ?


 つまりこのルートに進んだ時点で詰みなわけだ。だから俺は必死に線香花火を記憶から抹消して、何としてでも祭りを無難に終わらせようと気合を入れるのであった。


 


 カフェを出ると駅ビルの中で買い物をする。


 たこ焼き機は家にあるので、焼きそばとタコなどの食材を購入する。

 食事だけだと味気ないので、ヨーヨーつりや金魚すくいをやろうと提案したが、「嫌」と一言で断られてしまったので、結局食材だけ買うことに。


 駅を出ると、二人並んで住宅街を歩く。

 俺が傘を刺そうとすると無言の圧で牽制されたので、仕方なく彼女の傘に入ることに。


 土砂降りの中、相合傘という非効率極まりない状況に動揺を隠せなかったが、隣の彼女は一切動じていないようで小さく鼻歌を口ずさんでいた。


 八畳ワンルームの我が家に到着すると、傘を何度も開いたり閉じたり繰り返して入念に水滴を落とすアイリス様。


 俺が気にしなくていいよと言うと、頬を赤らめて「縺昴≧繧?▲縺ヲ縺?▽繧よー鈴▲縺」縺ヲ縺上l繧九→縺薙m縺悟・ス縺」と呟いていた。

 なるほど、分からん。


「さあ、上がって上がって」


 靴を脱ぐと、思いのほか靴下が湿っていたので洗濯機に投げ入れる。

 そんな俺の動作に影響されてか、淡々と黒いストッキングを脱ぎ始めたアイリス様。

 俺は慌てて目を逸らすと、話題を変えるように呟いた。


「でさ、さっきから気になってたんだけど、どうしてうちの合鍵持ってるの?」


 家に着いた際、鍵を開けたのは俺ではなく彼女である。あまりにも自然と開けるものだからその時は疑問に思わなかったのだが、冷静に考えて不自然極まりなかった。


「持ってちゃ……ダメ?」


「ダメというかまだうち来るの三回目だよな? そもそも合鍵を渡した覚えはないんだけど」


「……作った」


「え?」


「……作ったの。前回」


 二度目の来訪で鍵の作成を試みるなんてさすがメインヒロインだ。能力の高さだけは作中でも随一なだけある。


 しかもうちのクローゼットには替えのストッキングが何足かあったのだ。よく見ると靴下やTシャツもある。

 一体いつの間に収納していたのだろうか。能力が高すぎて全く気づかなかった。


 そんな状況に困惑していると、アイリス様は俺の肩を指先でツンツンと突いてくる。

 くすぐったいな。


 そう思って振り返ると、彼女はなぜか自信満々な表情でぼそりと呟いた。


「終電……逃しちゃった」


「まだ三時のおやつの時間です」


「深夜……三時?」


「昼夜逆転は健康によくないぞ」


「……そう」


 健康を慮る発言をしたにも関わらず、なぜかしょんぼりしてしまったアイリス様。

 体内時計が十二時間ほど狂っているので、おそらく自律神経が乱れて眠気に襲われたのだろう。


 だってほら、気がついたら俺のベッドに潜ってなんか布団の匂い嗅ぎ始めたし。


「縺ゅ?螟ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺榊、ァ螂ス縺」


「あのーアイリス様?」


「何?」


「たこ焼き作る準備しません?」


「もう少し……このまま」


「あ、はい」


 有無を言わさない態度に説得を諦めた俺は乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。




「はい、あーん」


「たこ焼きは熱いから一口で食べるものでは……」 


「ダメ、食べて。……これは練習」


「監禁した時の? 監禁した時の練習か?」


「ダメ?」


「そんな目で見るなよそんな目で。分かった、分かったから」


「はい、あーん」


 彼女についてずっと気になっていることがある。

 それは俺に対して本当に好意を抱いているのかという点だ。


 なにせ彼女が頬を赤らめた時は必ず発言が文字化けするため、本当にデレているかすら怪しいのだ。

 もしかしたら呪いのような言葉を吐かれているかもしれない。


 なにせ俺はこの世界に来てからゲームとは異なった行動を取り続けているからな。


 入学式の前に路地でぶつかるイベントは回避したし、彼女が上級生に絡まれていたところを助けるイベントにも参加していない。


 俺は常に彼女から逃げ続けてきた。

 なるべく主人公らしくないように、間違っても彼女から好かれないように、そう心がけて過ごしてきた。


 そんな俺の一体どこを好きになるというのだろうか。本当に疑問だった。


 どうしてそんなに嬉しそうな表情を浮かべる? 


 どうしてそんなにも幸せそうに頬を綻ばせる?


 俺の目の前で蕩けそうな表情を浮かべながら、たこ焼きを頬張っている彼女の姿を見ていると、そんな疑問が浮かんでくるのだ。


 ゲームの設定だと言われればそれまでだが、何の理由もなく好かれるというのは、嬉しくもあり同時に恐ろしくもあった。


 分からない。なぜ好かれているのか分からないのだ。


 だから彼女の好意に対して踏み込むことはできなかった。どうしても一歩距離を置いてしまう。

 あえて聞こえないふりをしてこのままの関係を続けようとしている。


 もし彼女の好意がシナリオの修正力によるものだとしたら、それを俺が受け取るのはお門違いだから。


 結局のところ俺は主人公でも何でもないのだ。明山暁斗は俺じゃない。


 だからだろうか。

 二人で食事を終え、幸福感に満たされた時につい口から漏れ出てしまったのだ。


「なあ、アイリス様」


 ずっと抱えていた疑問が、今の関係性を破壊する言葉が、俺の口をつたって音になる。音が言葉になって彼女の耳に届く。

 







「――もしも俺が明山暁斗じゃなかったら、どうする?」





「……暁斗?」


 俺の言葉にこくりと首を傾げるアイリス様。


「暁斗は暁斗……だよ?」


 呟いた後、何か考えるようなそぶりを見せたかと思うと、閃いたように口を開けた。


「まさか婿入り……したいの?」


「いやいやいや話が跳躍しすぎだろ」


「でも……うちはお金持ちだから」


「そういうことを言ってるんじゃなくて……」


 相変わらず先読みがすごい。何をどうしたらそんな思考になるのか到底理解できるはずもなかった。


「もしも俺の中身が別人で、本当はそこら辺のおっさんだったらどうするかってこと」 


「暁斗は……おじさんなの?」


「いや流石におっさんではないけどさ」 


 転生前は大学二年生だったので流石にまだおっさんを名乗るのは早いと思う。

 そりゃ高校一年生からしたらかなりの年上だろうけどさ。 


「とにかく、俺の中身が別人だったらどうするのか気になって……」


「別人は嫌」


 彼女は即答すると、ゆっくりと顔を近づけてきて瞳を覗き込んでくる。

 一瞬、転生していることがバレるかと思った。


 しばらくそのまま見つめられ、思わず目を逸らしたところでようやく顔を離してくれた。 


「よかった。暁斗は……暁斗だから」


 そして満足そうに微笑んだ。

 俺はその意図が分からなくて頭にはてなを浮かべていると、つかさず俺の胸を小突いてくる。


「私の知ってる暁斗ならそれでいい。……それがいい。今の暁斗が……私の全てだから」


 そう言って薄く微笑む。


「そっか……」


 今の暁斗が全て……か。

 そりゃ知っているのは今の俺だろうけど……。


 しかしどうしても罪悪感は拭えないのだ。胸の奥がチクチクして、笑顔を取り繕うことさえできない。

 そんな俺の様子を見計らってだろうか。


「アウト……ドアっ!」


 彼女が突然、妙に明るい声で叫んだ。普段出し慣れていないからか、声が上擦っている。 


「えっ?」


 唐突な叫びに俺の思考は一瞬止まって、呆然と彼女の方を見る。


「アウトドアっ……するっ!」


 そう叫ぶ彼女の頬は真っ赤に染まっていて、しかし瞳の奥には力強い意志が込められていた。


「線香花火……買ってきたから」


「いつの間に⁉︎」


「必要だと、思ったから。それに……」


 彼女はふと立ち上がると窓を開けて外を眺める。

 あれほど降っていた雨はぴたりと止んでいて、辺りは静けさに包まれていた。


 ベランダに出ると、湿った土の匂いと、どこか遠くで鳴く虫の声だけが響いている。


「雨……止んだから」


 雨上がりの空気はえらく澄んでいて、彼女の背後には夏の星空が浮かんでいる。


 しかしそちらに目を向けることはなかった。なぜなら彼女が俺の視線を離してくれなかったから。


「花火……やろう!」


 その真っ直ぐな瞳を見ていると、何だか深く考えるのがバカみたいだと思った。


 だってこんなにも俺のことを見てくれているのだ。こんなにも離してくれないのだ。


「ッ――!」


 抱えていたモヤモヤも、漠然とした不満も、どこかに吹き飛んだ気がした。


「アウトドアするか」


「……うん」


 吹っ切れた俺はアウトドア作戦を再開する。


「じゃあ早速外に出よう」


「うちじゃ……ダメ?」


「花火を家でやったら危ないだろ」


「……そう」


 しょんぼりするアイリス様。その姿を眺めていると、自然と笑みが溢れた。

 さて、早速準備をしよう。


「火起こせるものあったっけ?」


 マッチがあった気がする。そう思って部屋に戻ろうとした矢先。


「ねえ、暁斗――」


 不意に呼び止められる。

 振り返ると、彼女は緊張した面持ちで両手をぎゅっと握りしめていた。


「私、暁斗のこと……これからも――」





「縺薙l縺九i繧ょ・ス縺阪?ょ、ァ螂ス縺」

 



 耳奥にそんな言葉が響く。

 透き通った綺麗な声だ。

 きっと彼女は覚悟を決めて口にしたのだろう。瞳は潤んでいて、両手は少し震えていた。


 それなのに、俺にはその言葉がまるで伝わらない。

 どれだけ頑張っても、どれだけ耳を近づけても、彼女が何て言ったのか理解できない。


「ッ……」


 ああ、本当にこの世界は残酷だ。少し主人公に厳しすぎやしないだろうか。



 ――なぜならこの世界で一番好きな人の、一番聞きたい言葉が聞こえないのだから。



 俺は唇を噛み締めると、一歩踏み出す。

 そして黙ったまま俺を見つめる彼女に微笑みかけた。


「たまには監禁も悪くないかもしれないな」


 静かな部屋にその言葉が響き渡った。

 沈黙が辺りを支配する。しばらくすると、彼女は舌舐めずりして、


「ようやく……同意した」


 ポツリと呟いて獰猛な視線を向けてきた。


「やっぱり同意はしてな――って、どこから手錠を出したんだよ。おいやめろ、まだ線香花火をやってないだろ」


「もう無理……耐えられない」


「うわぁぁぁぁぁああああぁぁあ!」


 俺の叫び声が部屋にこだまし、手錠の感触が腕に食い込む。


 彼女は無表情に近い顔で、しかしその瞳にはどこか満足げな光が宿っていた。


「不束者ですが……末長くよろしく……お願いします」


 アイリス様はもう片方の手錠を自分の手首につけると、ぺこりと頭を下げた。

 そんな彼女の姿を見ながら俺は思う。


 ああ、やっぱりこの世界は俺に厳しすぎると。




 ※



【Sideアイリス】


 私が彼を意識したのはいつからだろうか。

 明山暁斗くん。クラスメイト。隣の席の男の子。


 最初は避けられている気がして少し苦手だった。

 私は感情があまり表には出ないようで、近寄りがたいタイプの人間だとよく言われる。だから彼も他のクラスメイトと同じで私のことを避けているのだと思っていた。


 でも違った。彼は私の知らないところで何度も私を助けてくれていた。


 高校に入学してすぐ。私は上級生に絡まれていた時期があった。

 勉強を教えてあげる、部活のマネージャーをしてくれ、などの口実で私を誘ってくる嫌な先輩。私のことを舐め回すような目で見てくる不快な先輩。


 そんな先輩から何度も言い寄られ、断ってもしつこく付き纏われる状況に私はひどくうんざりしていた。


 そんなある日、突然先輩は学校を退学した。どうやら校外でタバコを吸っていたらしく、近隣住民からの通報によりその事実が明るみになったらしい。


 その他にも数々の問題行動を起こしていたことが発覚したため、退学の処分が下されたのだという。


 それを知った時、私はほっとした。よかった、これで絡まれなくて済むって。


 でも実際は違った。むしろ嫌なことは続いた。退学した先輩の友人二人が、私のことを犯人扱いしてきたから。


「お前が通報したからあいつは退学になった」


「今度は俺たちがお前を退学に追い込んでやる」


 数々の言葉を浴びせられた。苦しかった。学校に行くのをやめようと思った。


 でも次の日にはその二人も退学になった。無免許でバイクに乗っていると学校に通報が入ったらしい。


 またしても誰かの通報によって救われた。そう思っていた矢先、教室に入るとクラスメイトの間で奇妙な噂が広がっていた。


 どうやら通報したのはクラスメイトの明山暁斗くんだという噂だ。

 実際それは噂ではなく本当だった。本人が直接教室で公言していたので間違いない。


 まるで周囲に聞こえるように、わざとらしく吹聴していて、当時の私がやっぱり彼のことが少し苦手だった。


 それでも感謝の気持ちを伝えないと。そう思って放課後に初めて私から話しかけた。


「明山くん……その、ありがとう」


 そう口にした時の彼の顔を決して忘れることはないと思う。なぜなら彼は虚しそうに微笑んでいたから。俺にはこれくらいしかできないと、悔しそうに呟いていたから。


 それから彼のことが気になるようになった。

 でも彼は私のことを露骨に避けていて、目すら合わせてくれなかった。


 すれ違ってばかりでもどかしい。もっと彼のことを知りたい。

 自然とそんな思いが芽生えるようになった。だからもう少し距離を詰めることにした。


 逃げるならその分こちらから近づけばいい。


 気がついたら私は彼のことばかり考えていた。授業中は常に彼を意識して、自然と彼の姿を視線で追っていた。


 そんな生活を一ヶ月ほど続けていて、一つ気がついたことがある。

 それは彼が特定のワードに過剰反応するということ。


 ある日、先生が教室の空気を入れ替えるために「換気をしよう」と呟いた時、彼はビクッと身体を震わせた。


 そしてまじまじと私の方を見たのだ。

 それが初めて彼と目が合った瞬間だった。


 換気というワードに反応した理由はなんだろう?


 聞き間違いなのかなと思って私は様々な言葉を呟いてみた。


 喚起、換気、乾季、寒気、歓喜、環境。


 ――監禁。


 彼は監禁という言葉に激しく反応した。そして動揺した様子で私に視線を向けるのだ。


 それから私はその言葉をよく呟くようになった。そうすれば彼が振り向いてくれるから。彼と目を合わせることができるから。


 彼の瞳を覗く度に私の心は激しく揺れた。

 心臓が苦しくなって、切ないような、嬉しいような感情が込み上げてきて、抑えることができなかった。


 ――監禁してもいい? 

 

 最初は冗談でそんなセリフを呟いていたけど、彼が動揺するのがおかしくてつい口にしていたけど、気がついたらそれは本音に変わっていた。


 ああ、早く彼を独り占めしたい。

 他の人になんて渡したくない。

 私の、私だけのものにしたい。


 我慢できなくなった私はいつも感情を抑えるのに必死だった。でも彼が隣にいるとどうしても考えてしまう。いつ監禁しようかと考えてしまう。そして呟くのだ。


「いつ……監禁しようかな? 明日? 明後日? 一週間後? 今日?」


 小声だから聞こえていないとは思うけど、彼はまじまじと私に視線を向けていて、目が合うとやっぱり心臓が張り裂けそうになる。


 もう我慢できない。我慢できないくらい私は彼のことが大好きなのだ。


 だから私は薄く微笑むと、彼には聞こえないように小さく呟いた。


「やっぱり今から♩」



 終わり。

 

 

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