夏に、甘味と狐

たれねこ

夏に、甘味と狐

 どんなことにも確率はある。

 例えば、四葉のクローバーができる確率は、一万分の一。

 サマージャンボ宝くじの一等当選確率は、一千万分の一。

 人との出会いも確率で表すことができる。

 世界には今、八十二億人もの人が生きていて、そのうち生涯で何らかの形で接点を持つ人は三十万人と言われている。それはだいたい三十万分の一。

 そのなかで言葉をわすのは。仲良くなって友達になるのは。

 大切な人や運命の人と出会える確率となると、それはもう天文学的確率で――。


 *


 夏休みが目前に迫った七月の中旬。

 夕方六時を過ぎても、まだ明るい放課後の帰り道。空は晴れていて陽が射しているのに、急に激しい雨が降り出した。

 突然の夕立ゆうだちに周りにいた人たちは慌てて駆けだしたり、近くの建物や軒先のきさきに避難していた。

 私も同じように駆け出して、近くにあった建物の狭い軒先に逃げ込んだものはいいものの、後から同じように避難してくる人が一人、また一人。次第に私の半径数メートルに人が密集していく。雨に濡れた腕や肩が当たる不快感や蒸し暑さが増し、だんだんと気持ち悪くなってきて、これなら雨の中の方がまだマシだと飛び出した。

 それから新しく雨をしのげそうな場所を探すけれど、こんなときに限っていている軒先が見当たらない。

 アテもなく走っていると、ふいに誰もいない軒先が目に入り、そこに駆け込んだ。


「本当に最悪」


 愚痴ぐちりながらスカートのポケットからハンカチを取り出し、濡れた身体をいた。

 空は暗くなり雨は強くなるばかりで、しばらく止む気配がなさそうだった。


「大丈夫ですか? よかったら中に入りますか?」


 近くの扉がガラッと開き、顔をのぞかせた三角巾にエプロン姿の同い年くらいの女性店員に声を掛けられた。そこでようやく借りた軒先が『あざみ堂』という和菓子屋のものだということに気付いた。


「えっと……いいんですか?」

「ええ、もちろん。どうぞ中へ。すぐタオルも用意しますね」


 彼女は店内へと促し、私を座席に案内してくれた。それから私を置いて店の奥へと消えていった。

 迎え入れられた店内はどことなくレトロな雰囲気があり、棚には箱詰めにされた商品が並び、レジ脇のショーケースには和菓子が並んでいた。座席のテーブルにはメニューが置かれているので、店内で飲食をすることもできるのだろう。

 ほどなくして彼女はタオルを手に戻ってきて、「これ綺麗なものなので」と渡してくれた。


「ありがとうございます」


 お礼を言いながら受け取ったタオルで身体を拭き、髪の湿気を丁寧に取っていると、彼女は温かいお茶を持ってきてくれた。心遣いは嬉しいけれど、そこまでしてもらう義理もなく、申し訳なさを感じてしまう。


「あの……さすがにいたたまれない気持ちになるので、何か注文してもいいですか?」

「はい。ありがとうございます」


 彼女は柔らかな笑みを浮かべていて、もしかしてこれが狙いだったのかなと疑いたくもなった。

 だけど今は、その疑念よりも私の興味は店内の商品に向けられる。

 甘いものが好きでよく食べに行ったり買ったりもしているけれど、それは洋菓子がメインで、和菓子屋に入る機会はあまりなかった。

 ゆっくり見て回っていると、ショーケースの中にあったある和菓子に目を奪われた。

 白桃はくとうをういろで閉じ込めた、ほのかな桃色が見た目にもかわいらしい果実菓子かじつがし


「これください」

「ありがとうございます」


 会計をすませると、彼女はショーケースからそのまま商品を皿にのせ、席まで運んでくれた。

 それをまずは写真に収めてから、食べ始める。

 ういろはわらびもちに近い柔らかな食感で、その内側からは瑞々みずみずしい白桃の風味と果汁かじゅうが口の中に広がっていく。

 食感が楽しく、甘さが程よくて、食べていると幸せな気持ちになれる。


「すっごい美味しいです」


 お茶のおかわりを注いでくれていた彼女に伝えると、


「ありがとうございます。それはうちの人気の商品で、季節ごとに使う果物を変えているんですよ」


 彼女は嬉しそうな笑みを浮かべながらそう話していた。それを聞くと季節ごとに、この店に訪れたいと思ってしまった。

 あっという間に食べ終わって幸せな余韻よいんを感じていると、皿を下げに来た彼女が「雨、上がりましたね」とつぶやいた。

 窓の外に目をやれば、静かな月夜が始まっていた。

 私は雨宿りのお礼を再度言い、「また来ます」と伝えてあざみ堂を後にした。

 夕立にあった不幸は素敵な店と出会った幸運で上書きされ、いい日だったなと思いながら家に帰ることができた。


 *


 あの夕立の日以降、私はあざみ堂には行っていない。

 もう一度行きたくて探したけれど、店を見つけることができなかったからだ。雨の中をどうやって店に行きついたのか記憶が曖昧で、もどかしい思いばかりが募った。


「いいお店だったのにな……」


 そして、どこか釈然としないまま、終業式の日を迎えた。

 高校に登校して自分の教室へ向かっていると、どこかで見覚えのある女子が廊下ろうかで窓の外をぼんやりと眺めていた。通り過ぎがてらに顔をチラリと見ると、あざみ堂で優しくしてくれたあの店員だった。


「あっ!? あざみ堂にいた!?」


 思わず声を掛けていて、彼女は私に怪訝けげんそうな目を向ける。


「えっと……誰ですか?」

「少し前に会いましたよね? あざみ堂っていう和菓子屋さんで」

「気のせいじゃないですか?」

「いや、気のせいじゃないよ。あの店でのことはよく覚えてるもん。ただお店の場所が分からなくて、あれから行けてないけど」

「それって……もしかしたら、きつねにつままれたんじゃないですか?」

「もしあれが狐にだまされた出来事って言うなら、ずっとかされたままがいいよ。それくらいあの店は特別に思えたんだから」


 彼女は急にケラケラと楽しそうに笑い出した。


「そんなによかったんですか?」

「うん。優しくしてもらったのもあるけど、食べた和菓子が甘くて、とても美味しくて」

「甘いものが好きなら、私が別のいいところ教えてあげますよ」

「私、あざみ堂がいいんだけど」

「まあまあ、だまされたと思って」


 そう笑顔で言われ、不思議とだまされてもいいかなと思った。

 なぜなら彼女は最初こそ誤魔化ごまかそうとはしていたけれど、あざみ堂に関しては何も否定していなかったからだ。

 もしかすると、何かしらの隠す理由があるのかもしれない。



 放課後、彼女と高校からそのまま一緒に街へと繰り出した。

 甘いものを食べに行くと言うから、店が立ち並ぶ場所に行くのかと思いきや、大通りから路地へと入り、周囲の高い建物のせいで薄暗く人通りもまばらな場所にある古びた喫茶店へと連れて来られた。

 飲み物だけ注文をすませると、彼女は私をテーブル席に残しカウンターに行き、顔見知りらしいマスターと私に聞こえない声量で何やら楽しそうに話していた。

 しばらくしてコーヒーと一緒にテーブル席に持って来られたのは、コーヒーアイスの乗ったパンケーキだった。


「甘いものが食べたかったんでしょ?」

「う、うん」


 おそるおそる一口食べてみると、口の中にコーヒーの風味とほのかな苦みが冷たさと一緒に広がり、それをできたてのパンケーキの温かく柔らかい甘さ控えめの生地きじが支えていた。


「なにこれ? 不思議な感じ。でも、すっごい美味しい」

「でしょ? マスターがこだわってるコーヒーを自家製アイスにして、元から美味しいって評判だったパンケーキと合体させたんだから」

「美味しいと美味しいの合体とか、最強じゃん」

「だね」


 彼女は美味しそうに食べる私を楽しそうな表情で見つめていた。

 完食すると、「どう? いい店だったでしょ?」と彼女に尋ねられた。


「うん。こんな美味しい店があるなんて知らなかった」

「じゃあ、別のおすすめの店にも行ってみる?」

「えっ? いいの?」

「あんまり美味しそうに食べるから、もっと知ってほしくなったんだよね」


 彼女ははにかむように笑い、そのまま連絡先を交換した。

 明日からは夏休み。彼女はバイトがあるそうで、予定が合う日にまた甘いもの巡りをしようと約束をした。


 *


 この夏休み、彼女と色々な所に行った。

 ある日は住宅街にある駄菓子屋だがしや。そこで食べたのは夏季限定りんごあめだった。

 王道ながらりんご自体がかなり美味しくて、何度もリピートしたくなった。だけど、数量限定ですぐに売り切れるそうで、地元の人でも知る人ぞ知るスイーツだった。

 別の日には、商店街にある青果店せいかてんに。夏限定でかき氷も販売しており、果物がたっぷりと盛られ、濃厚なフルーツソースがかかっていて、なんとも贅沢ぜいたくで幸せすぎる一皿だった。

 他にも当たり前に街にあるのに今まで入ったことのない店や、街の片隅でひっそりとたたずむ店でスイーツを食べた。

 そうやって店を一つ回るごとに彼女との距離が近づいていった。


 *


 夏休みも終わりが見え始めた八月の下旬。

 朝から雨がしとしとと降り続ける昼下がりに、彼女から呼び出された。

 待ち合わせ場所には彼女が先にいて、私の姿を見つけると持っていた傘を差さずに私の傘の中に入り込んできた。


「今日はどこに行くの?」

「私のバイト先」


 半径六十センチの傘の下、肩が雨に濡れても彼女と組んだ腕が汗ばんでも不思議と気にならなかった。

 きっと私にとって彼女はもう、かけがえのない存在だからで。


「ここだよ」


 彼女が連れてきてくれたのはやはりというべきか、あざみ堂だった。一人だと辿り着けなかった店に、彼女と一緒ならあっさりと辿り着いた。


「化かして欲しかったんでしょ?」


 彼女は傘から飛び出し、あざみ堂の軒先から私に手を振っている。

 彼女は満面の笑みを浮かべていて、黄金色こがねいろのピンと立った耳と揺れる尻尾しっぽが一瞬だけ見えた気がした。

 だけど、私は何も見なかったことにした。

 もし彼女が普通の人間でないというのなら、そういう存在と知り合い親友になる確率は――。

 それは天文学的確率以上に、ありえないことに違いない。


「あの笑顔になら、つままれてもいいよね」


 きっとこれから先、私は彼女に優しく甘やかに化かされ続けていく――――。

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