しちめんど草

かたなかひろしげ

君の名は

 ───今日も会社はすこぶる平和である。


 だがしかし、そんなささやかな平和の帳を破って、職場の同僚の中村がまたなにやらおかしなことを言い始めた。


「俺の彼女、最近、鉢植え育てはじめたんですよ」

「うん? なんか前にもペット買う言うて、ひと騒動起きてなかったっけ?」

「名前が、その、 ”” って言うんですけど」


 うん。おかしい。俺の足りない草知識の中にも、そんな草は無いし、なにより普通、鉢植えで草育てるか? ハーブとかならまだわかるが。中村の部屋にはゾンビでも出るのだろうか。


「いやいや、それはこないだ総理が失言した言葉の流行りに乗っただけの、絶対ただのダジャレだろ。俺の知る限り、そんな名前の草は無いぞ。その……こう言っちゃ悪いが、お前の彼女、大丈夫か? どこか疲れてるんじゃないか?」


 「そうなんすよ! 前々から少しおかしいとは思ってたんすけど、前はハムスター買う、って言い始めて家に見に行ったら実際はトカゲ飼い始めてたり、気まぐれが過ぎるっていうか、まあそういうとこも超可愛いんすけど」


 そうそう。それだそれ。こないだもその話を中村がしていて、そのハムスターって実はトカゲの餌のつもりだったんじゃね? とからかったばかりなのだ。そこからまだ数日しか経っていないというのに、今日はこの話題である。ちなみにトカゲは消しゴムサイズの可愛い奴だったらしい。


「あー、はいはい。いやいやお惚気のろけはいいから、それでその問題の草って、お前は実物見せてもらったの?」

「はい。その・・・ただの草でした。見事なまでにただの草です」

「ただの草ってなんだよ。今時、小学生でももうちょっとマシな感想言うぞ。こう、見た目とかはどうなの?」

 

「いや、それが、そこらへんの道端に生えてる雑草と同じ感じの、こう、波平の頭の上に生えてるみたいなのが、ぱやぱやと植木鉢から飛び出してました」

「なあ……お前の彼女、絶対誰かに騙されてないか? なんか変な宗教入ってるとかさ。あ、それと波平の頭に生えてるのは頭髪な。草やないぞ」


 波平の頭に生えてるのは草ではないので、そこはすかさずきっちり訂正しておく。

 それは兎も角、彼女のふかしではなく、実際に植えられているのを見た、ってことだと信憑性が高くなってくるな、しちめんど草。


「いやあ、あいつあれで人見知りなんで、俺以外の男には殆ど見向きもしないんすよ。宗教なんてとてもとても」

「それは変わった男の趣味だな・・ってまあ今はそれはいいか。で、誰にも騙されずにどこから彼女は、その草・・しちめんど草?を手に入れたって言うんだよ」


「それがっすね。俺が先週、彼女と呑んだ帰り道に、彼女にプレゼントした花が、この、しちめんど草だ、って言い張るんすよ。あ、俺が送ったのは普通の普通の花束・・ブーケっす。真ん中にチューリップで周りに他の小さな花があるやつです」

「お前、彼女に花束送る甲斐性なんてあったのかよ! 夏になっても炬燵を片付けずにそのまま炬燵で寝ているような無精男に、女に花を贈る、って発想があったことに驚くわ」


 何を隠そうこの中村。我が社に入社以来、数々の無精伝説を打ち立てた剛の者である。自己判断で作業の手順を端折って失敗する、で、あまつさえ、その端折ったことすら忘れていて原因がわからなくなる、という始末。手を抜くことには一切の躊躇の無い男、それがこの中村だ。


「へへへ。今回の彼女は大事にしたいんすよ。で、ここからが不思議なんすけど、植木鉢に植えられてた草、多分、俺が送った花じゃなかったんすよ」

「そりゃあまあそうだろうな、普通、花束を鉢に植えてもすぐ枯れるだろうし、そもそもそのまま植えようとは思わないだろ」


「ええ。それで彼女に聞いてみたんすけど、俺からもらった草だよ、って言い切るんすよそれが。まあ、いつもの彼女のきまぐれだと思うんすけど」

「いやあ、それやっぱり変だろ。その・・・悪いことは言わないから、彼女、なんか、こう言いたくても言えないこととかあるんじゃないか? わかんないけど」


 中村の奴、絶対彼女に嘘つかれてる、ってのはもう確定だよなこれ。

 とはいえ、変に理詰めして二人の仲がおかしくなるのも目覚めが悪い気がするし、でも、しちめんど草の謎の真相は知りたい気もするし、うーん。もう俺の心の中では、鉢植えに埋まった波平の頭から、謎の草がぱやぱやと風にそよいでいた。


「じゃあ、今夜彼女のとこ行くんで、聞いてみますよ。でもなんて聞けばいいんすか?」

「そうだな・・その草?しちめんど草って名前じゃないよね?ってとこから、聞いてみる感じ?」


「なんで先輩が疑問形なんすか。わかりました、とりあえず、なんでしちめんど草なのかだけでも、理由を聞いてみますよ」


 ───中村が彼女の部屋に泊まりに行く日は、同僚連中なら簡単にわかる。


 仕事中の彼のフロア内の移動がなんだか軽やかにスキップしているような歩き方になる。そんな我が世の春を謳歌するような中村スキップに合わせて、仕事の調子の良さも、普段よりてきめん上がるのだ(ただしこれは、あくまで本人の気分が良いだけであり、仕事ぶりは普段とあまり変わりない、というのが重要ポイントである)。


 俺からしてみれば、しちめんど草の行方が気になってるので、いつもは妙に癇に障る中村の謎のスキップ歩法も、今日は気にならない。思わぬ効能だな、しちめんど草。俺の心の中の鉢植えに埋まってる波平が、少し微笑んだような気がした。


 ***


 かくして、個人的にもんもんとする夜は過ぎ、日をまたいだので、俺は社員食堂で焼肉定食を食べている中村を捕まえた。またお前、そのホルモンしか入ってない焼肉定食食べてるのかよ。ちなみにこの定食、大量のホルモン焼きの上にカルビを1枚乗せただけで焼肉定食、と頑なに言い張っている社食唯一の定食である。


「おう、昨日、彼女のとこ寄ったんだよな。なんか例の草の話、聞けたりしたか?」

「ええ、すみません、これ、俺のせいでした。しちめんど草、俺が渡してました」


「は?何言ってんだよお前。渡したのは花束だ、って言ってたろ。なんでそれが突然、謎の草になるんだよ」

「それがすっね。彼女、俺が花束渡した次の日、花瓶に移し替えた花束の花が、やけに元気が無かったので鉢植えに植え替えてみた、って言うんすよ。それで、まあ、鉢植えに花束の花、植えても元気にはならないじゃないすか。案の定、全部しおれちゃったらしくて」


 中村がなにやら神妙な表情をしはじめた。こいつがその顔をする時は、きまってなにか失敗をやらかした時と相場が決まってるんだが。


「それで俺がその日の夜、彼女の家に泊まりに行く予定になってたんすよ。そのまま俺に枯れた鉢植えを見られたらマズい、となったらしくて。鉢植えに植えた花の残骸は捨てて、とっさにそのまま冷蔵庫にあった小ねぎを、そのまま鉢植えに植えたらしいんです。

 で、俺が気づく前になんか言い訳考えなきゃな、ってことで思い出したのが、俺がこないだ花束渡す時にした話らしくて。それ、要は花束買った店がすげえ面倒くさい花屋だった、って話だったんすけど、それを彼女にしたんすよ。彼女、それがすごい記憶に残ってたらしくて。それでとっさに名付けた名前が "" です。」

「お前さあ、その彼女、絶対お前に思うところあると思うぞ、それ」


「で、その後、どうしたんだよ。そのしちめんど草改め、鉢に植えられた子ネギは」

「なんか元気らしいす。そのまま育てるって言ってましたよ。しちめんど草、って名前付けて。やっぱりかわいいでしょ、俺の彼女」


 この時の中村の満面の笑顔たるや。

 そしてこの時の俺は、まるで見たことのない虫を見るような顔をして中村を見ていたよ、と後で他の同僚が教えてくれた。虫よ、俺の心の中の波平に謝れ。


「おまえが一番面倒くさいわ!」


 俺は中村にそう言い放つと、やつの焼肉定食の中で一枚しかないカルビを横から取り上げて、自分の口の中に放り込んだ。中村がまるで突然我が子を取り上げられたかのような顔で、こちらをじっと見ている。


 午後、中村が延々と、俺のカルビが!カルビが!!と言いながら、俺の下腹を物欲しそうに見つめるのに耐えきれず、仕方なく今夜は中村と焼肉を食べる約束をしてしまった。思わぬ出費だ。だが中村よ、お前がご熱心に見つめているのは、俺の横隔膜、つまり部位でいうとハラミだ。カルビではないぞ。


 ───今日も会社はすこぶる平和である。

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しちめんど草 かたなかひろしげ @yabuisya

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