(四)颶風(ぐふう)の如く
天頂に達した冬の
(油断ならぬは、
璃々江は、外記の茶室でのやり取りを思い返していた。
「斬らぬ?」
薄
外記の手がふたたび動き、
外記は無言で茶筅を置くと、白い茶碗を璃々江の前に置き、低く声を発した。
「斬らずば、何とする」
問答を楽しむような口調の中にも、璃々江の本心を鋭く問う
璃々江は家老の問いに即答せず、しばしの間、白く優美な志野茶碗と、そこに注がれた
「
外記は、その猛禽を思わせる
「ここで武林を討てば、弾正様が喜ばれるは必定。お世継ぎ問題に関して、武林は
外記は答えず、目を炉に移した。璃々江も、外記の反応は期待していない。彼女は無言で一礼すると、志野茶碗を手に取って飲み口を回し、薄
遠くから聞こえてきた男たちの声に、璃々江ははっと我に返った。外記の薄
今は武林に集中せねば。璃々江はそう自分に言い聞かせ、道を急いだ。
武林邸は、
「皆、押すな! 見世物ではないぞ!」
「危険だ、下がれ下がれ!」
見物人は、年老いた農夫とその妻の二人だけであったが。
璃々江が近づくと、下士たちは慌ただしく駆け寄り、会釈して出迎えた。
「これは、
「お役目、ご苦労に存じます」
璃々江が軽く会釈を返すと、下士たちはあわてて再度頭を下げた。
「この場を預かるのは、平沼様でございますね。今どちらに?」
「は……それが……」
下士たちは互いに顔を見合わせた。何か良くないことが、と璃々江は身構えたが、答えは間もなく向こうからやって来た。
「璃々江殿!」
突然、武林邸の玄関から、羽織袴の偉丈夫が飛び出してきた。下士たちが、急いで璃々江の前から跳び退く。
「……戸場殿」
璃々江は嘆息と共に、肩の力を抜いた。武林の屋敷の庭を駆け抜け、内から門を蹴破って現れた福羽藩剣法指南役は、璃々江の前で立ち止まると、涼やかな目元に不審の色を浮かべて問うた。
「璃々江殿、何故こちらへ?」
「それはこちらが聞くべきことでございますね、戸場殿」
璃々江はもう一度、今度は深々とため息をついた。「戸場殿は、江戸に向かわれたと聞きましたが」
「ああ、
「璃々江殿が江戸に向かわれるとうかがったゆえ、拙者もただちに後を追い申した。されど江戸がどこにあるのか分からぬ故、とりあえず南を目指そうとしたところ、この屋敷で平沼殿に呼び止められたのでござりまするよ」
かつて戸場に剣の江戸修行を勧めたところ、「江戸とはいったい何でござりますか?」という答えが返って来たとき、彼の剣の師は悔恨の涙を流した――嗚呼、儂はこの男に、剣術以外のことを何一つ教えておらなんだ、と。
江戸というのが地名だと理解できただけ、戸場は以前よりは進化したと璃々江は
「それで、平沼様は何と?」
「うむ。戸場殿もご加勢いただけるのかと尋ねてきたので、否、拙者は
璃々江はそっと、戸場の背後でこちらをうかがう平沼の下士たちに目で尋ねた。彼らはそろってうなずき、戸場の言葉を首肯する。
「……平沼様は、いずこに?」
「いや、それがな」
戸場は困惑して、耳の付け根を掻いた。「何やら考え込んだ後、拙者をこの屋敷の裏手に誘ってな。璃々江殿がこの屋敷を訪ねてくるやもしれぬ、万一異変あらば、裏手から屋敷に討ち入って璃々江殿をお助けしてくれ、と頼み込むのだ。璃々江殿が来られるならと引き受けたのだが、まさにそのとき、璃々江殿のお声が聞こえたのだ」
璃々江は事情を察した。武林邸を囲む平沼の
万事そつのない平沼は、家中随一の剣の遣い手をただ追い返すような真似はせず、万一の切り札として裏手に後置することにしたのだ――璃々江を餌にして。
軍略としては見事だった。しかし、よもや戸場が、表で下士たちと言葉を交わす璃々江の声を聞きつけるなり、裏門から武林邸に突入、
「戸場殿」
それでも、璃々江は己が責を全うするつもりだった。この桁外れのうつけ者と連れ立って、武林邸には入れない。
「お願いがござります」
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