君の声が聞こえない

@Kpoinnto

第1話君の声が聞こえない

春の終わり、風がやけに冷たかった。


小夜(さよ)は、駅のホームで立ち尽くしていた。右手には、もう二度と鳴らないスマートフォン。最後の着信は、三日前の午後8時16分。発信者は「和真(かずま)」──彼女の婚約者だった。


「事故だったんだって……ブレーキが利かなくて……」


和真の母親の声が、いまだに耳に残っている。現実感がなかった。生きていた人間が、次の瞬間にはこの世にいないなんて、そんなことが本当にあるのだろうか。あの日から、小夜の世界は色を失った。


3ヶ月が過ぎた。


「そろそろ忘れないとね」と言われるたびに、小夜の胸は焼けるように痛んだ。


忘れる? どうやって?

笑い方を教えてくれた人を。

コーヒーの苦さを好きにさせてくれた人を。

一緒に年をとろうって言った人を。


忘れられるわけがなかった。


秋の夕暮れ、久しぶりに彼の部屋を訪れた。片付けきれずにそのまま残していた段ボールの中から、一枚のCDが出てきた。

手書きのラベルに「さよへ」とだけ書かれている。


震える指で再生ボタンを押すと、懐かしいギターの音が流れた。次の瞬間、彼の声が部屋中に広がる。


「小夜……これを聴いてるってことは、俺、もういないのかな……」


涙が、止まらなかった。


「君が泣いてないといいな。君が一人で抱えこんでないといいな。……でもきっと、泣いてるよね。だから、最後に言わせて」


「君に会えて、本当に幸せだった。ありがとう。君は、ちゃんと笑って、生きていくんだよ」


その夜、小夜は空を見上げて、初めて声をあげて泣いた。


そして、朝が来た。


彼の声はもう聞こえない。けれど、胸の奥には確かに残っている。


それは「さよなら」じゃない。「生きて」という、彼からの願い。

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