最終話 世界で一番

 侑里の顔を覗き込んだ矢吹は、しれっとレコーダーのスイッチを入れ直してインタビューを再開した。


「なんだか意外でした。柏崎さんは過去の作品には全く執着しないので、思い出なんかはすぐ捨てるタイプだと思っていましたから」


「そうだな、確かに思い出はいらないって思う性分だけど……こいつに関しては今やビジネスとも無関係じゃないからな」


 中央の少女の右側で満面の笑みを浮かべている男を指差した。


 画家を志してから邁進する道程は、楽しいだけの気持ちでは前に進めなかった。


 描くことが辛く、苦しい時間が幾度も侑里を襲った。もう辞めてしまおうと何度も懊悩してきた侑里がここまで描き続けてこられたのは、宗佑の存在あってこそだった。


 光地絵画大賞展に向けて絵を描いていたあの夜に言われた言葉が、真っ直ぐに見つめてくる彼の瞳が、侑里の人生を決めてしまった。


 絵を描くことに対して真摯で努力を怠らない宗佑に、ライバル視されると同時に尊敬の目で見られる程良い緊張感と優越感が、自分を画家としての道に乗せてくれたのだと思っている。


 宗佑がよく口にしていた『才能』だけでは、決してここまで来られなかった。……なんて、宗佑本人には口が裂けても一生言うことはないし、誰かに語ることもないけれど。


「って、あれ? この男性ってもしかして、小宮宗佑氏じゃないですか?」


「お、知っているのか?」


「あたしの先輩が一度記事にしましたもん! えーっと……ほら! 高校二年生のときに光地絵画大賞展で入選、美大在学中に全日本アートコンクールで特別賞を受賞して、注目を集めるようになった若手の画家ですよね⁉ ……ああ、そっか! 確かふたりは幼馴染ですもんね!」


 矢吹はノートパソコンで自社の記事を検索して、興奮気味に画面を見せつけてきた。


 画面越しに見る宗佑の顔は貼ってある写真より大人っぽく、そして記事用のためか格好つけていて思わず笑ってしまった。


 ふと気づけば、矢吹は真里菜が恋の話をするときのようなニヤケた表情になっていた。


「もしかして小宮氏って、柏崎さんにとって特別な存在なんじゃないですか? 今カレ? 元カレ? それとも、初恋のカレですか?」


「あんたはおめでたい頭をしているな。全部恋愛に結びつける思考回路はティーンで卒業すべきだろうが」


「女はいくつになっても恋バナが大好きなんですよ! でも、今のおふたりの関係と経歴からなんとなく察しました! 彼にとって柏崎さんはヒーローであって、ヒロインではなかったということですね?」


 うっかり学生時代のノリで矢吹の額にデコピンをかましていた。不意打ちかつ強烈な一撃に矢吹が額を抑えて抗議する中、侑里はやけに腑に落ちた自分に驚いていた。


 昔、「世界と私とどっちを救う?」みたいな話をしたときに抱いた気持ちを、矢吹が上手く言語化してくれた。ああ、成程、的確な一言だなと。


「まったくもう……いきなり酷いじゃないですかぁ」


「うるさい。でもまあ、いきなり暴力を振るったのは悪かったよ。お詫びになにかするわ」


 瞬時に矢吹の顔は晴れ、嬉々として鞄から一枚のA4用紙を取り出した。


「うちの部署で今、アーティスト同士の対談式インタビューの特集を組みたいって話が上がっているんですよ。柏崎さん、ぜひ小宮氏と一緒にやっていただけませんか? 高校時代の面白い話が聞けるなら、写真の女の子も呼んでもらって構わないですし!」


「宗佑は少しでも名前を売りたいって考えているから乗ってくると思うけど、なんで画壇とは無縁のこいつまで呼ぶんだよ。……まあ、まるっきり関係ないってわけでもないか」


「え? それはどういう意味です?」


「そりゃあ、旦那が少しでも多く稼いでくれたほうがうれしいだろうしな」


 ただ、昔から超のつくほどの恥ずかしがり屋だから、協力してくれる可能性は低いけれど。


 何やら勝手に想像を膨らませているのか、矢吹は含んだ笑みを浮かべていた。捏造記事なんて書きやがったらこいつの会社に殴り込みだなと胸中で決意する。


「では、改めて質問させてください。柏崎さんがこれから描いてみたい絵や、今後の抱負を教えていただけますか?」


「そうだな……星空か、宇宙か。いつ描くのかはまだ決めてないけど、一度は挑戦することになると思う」


 光地絵画大賞展で詩子と宇宙を描いて以降、天体はモチーフにすることを避けていた。


 決して嫌な思い出となっているからではない。次に作品にするのは画家として十分に食べていけるだけの成功を収めてからだと決めていたからだ。


「成程、柏崎さんが描く星を見られる日を心から楽しみにしています。本日はお忙しい中、貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました!」


 一礼した矢吹はレコーダーを切ってから、無邪気に白い歯を見せた。


「ここは記事にしませんので、同世代の女として教えてください。柏崎さんは今、小宮氏のことをどう思っているのですか?」


「いいか、まず大前提として頭の中に入れておけ。あいつと私は本当にそういう関係じゃない。それを踏まえて一言で言うなら……」


 矢吹がしつこく宗佑の話を振ってくるせいで、久々にあいつの声が聞きたくなった。


 このインタビューが終わったら電話でもしてみるか。時差があるから宗佑は寝起きだろうけれど、知ったことではない。


「あいつは私が知る中で、一番諦めの悪いしつこい奴で……」


 何にも縛られない、どこまでも自由で斬新な画風。


 それこそが新鋭画家・柏崎侑里の持ち味であり、特長なのだから。


「世界で一番、格好いい男だ」      (了)

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青のアウトライン -after story- 天才の描く未来を凡人が超えていく方法 日日綴郎 @hibi_tsuzuro

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