第34話 貯時間の使い道
通帳に表示された数字を、俺はしばらく呆然と眺めていた。
《タイムバンク》貯時間:6490時間。
「……やりすぎでは?」
ぽつりと独り言が漏れる。
さっきまで、森の中で死にかけてたんだよな俺。リリィも。
それが今や、ざっくり二百七十日分くらいの時間を抱え込んでいる。前世で言うなら、有給が九か月分一気に支給されたみたいな感覚だ。そんなホワイト企業、この世に存在したのかってレベル。
「いや、でもこれ、喜んでいいのか……?」
ページをめくると、今日一日で記帳された履歴がずらりと並んでいた。
+12時間、+34時間、+26時間……最後の方は、+80時間、+60時間、+120時間と、明らかにおかしい数字がちらほら混じっている。
どれも、森で魔物を倒したタイミングと一致していた。
「やっぱり、魔物を倒すと増えるんだよなぁ……」
ゼルガ先生の「ちょっと奥まで行くか」が、まさかここまでの爆益につながるとは。
(法則性は相変わらず分からないけど……効率だけで言うなら、完全に“狩りゲー”だよな)
問題は、これをどう捉えるか。
前に《投資信託》の説明で聞いた話を思い出す。
“余剰時間”――寿命より早く死んだ人の、余った時間。
あれが国ごとの“資産”になって、投資商品の価値を決めている。
(じゃあ、魔物を倒したときに増える時間ってのも、その辺となにか関係があるのか……?)
考えても、答えは出ない。
前世の銀行でも、「この金、どこから出てきてるんだろうな」って思うことはあったけど、そこまで考えるのは仕事の範囲外だった。
「……まあ、深く突っ込むとメンタルがもたないやつだ、これは」
いつものように現実逃避で結論を出す。大事なのは、数字そのものじゃない。
――この時間を、何に使うかだ。
頭の中で、住宅ローンの通知を読み返す。
亜空間上の家。最安のワンルームが五千時間。出入口固定型。
「今なら……現金一括でいけるんだよな」
五千時間払っても、まだ千時間以上残る。
利息も日々乗ってくるし、税時のことを考えても、バランス的には悪くない。
固定式とはいえ、異空間のマイホーム。
隠れ家にもなるし、緊急避難所にもなる。ファントム活動の拠点にもできるし、サラたちを安全な場所に退避させることもできる。
なにより――ロマンがある。
「……くっそ、欲しい」
思わずシーツを握りしめる。
だが、その直後に冷静な声が脳内で突っ込んできた。
(待て。前も同じテンションでローン組みかけて、自分で却下しただろう)
利率、日歩0.2%。最大一年ローン。
頭の中でざっくり計算し、即座に「無理」と結論を出した数字だ。
今なら借りずに買える。でも――。
「ここで一気に五千時間使うの、さすがに怖いんだよな……」
《タイムバンク》の利息は、日歩で複利。残高が多ければ多いほど、雪だるま式に増えていく。
五千時間を一括支払いした瞬間、その“雪だるま”が一気に痩せ細るわけで。
(税時もあるしな……)
新しく貯めた時間に対して、翌年の四月一日に課される“時間の税金”。
今のペースで行けば、来年は確実に最高税率の40%コースだ。
「だったらいっそ、“目的別貯金”みたいに考えた方がいいか」
通帳の“メモ”欄を呼び出す。
前に、投資信託の利益分を“人助け用”と手書きで分類したのを思い出しながら、新しく項目を追加した。
――【マイホーム用:5000時間目標】
今の残高に、仮想的に“枠”をはめる。
実際に動かすわけじゃないけど、数字を色分けして考えるだけでもだいぶ違う。
「よし。まずはマイホーム枠五千時間キープ。すぐには使わない」
あくまで“買える権利”を握っただけ。
買うタイミングは、もう少し力を付けてからでも遅くない。
(家を持つなら、その家を守れるだけの実力がほしいしな)
今の俺にできるのは、地道に時間を貯めておくことだ。
「……よし。明日も森だな」
身体はバキバキ、筋肉痛で悲鳴を上げている。
けれど、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ――ワクワクしていた。
そんな自分に苦笑しながら、俺は布団にもぐりこんだ。
***
翌朝。
「……いてててて」
ベッドから起き上がろうとして、腹筋が盛大に悲鳴を上げた。
脚も腕も肩も、全身が“今動かすな”と抗議してくる。
「ゼルガ先生、絶対自分の感覚でメニュー組んでるだろ……」
元A級冒険者と初心者が同じメニューをこなせるわけがない。
それでもなんとかなってるのは、十年以上の訓練で基礎ができてるからだろうけど……限度ってものがある。
身体強化をうっすら掛けながらなんとか制服に袖を通し、教室へ向かう。
Aクラスの扉を開けると、いつものように早めに来ている何人かの姿があった。
その中で、ひときわ分かりやすくぐったりしている赤毛が目に入る。
「……リリィ」
「……ユリウス。おはよ」
机に上半身を投げ出しているリリィが、死人みたいな目でこちらを見た。
「生きてる?」
「ギリ。筋肉が全部、反逆罪で処刑されたみたいな感じ」
「分かりやすい喩えだけど物騒だな……」
隣の席では、テオが心底呆れた顔でため息をついていた。
「身体強化実践部ってそんなに大変な部だったの?」
「いやいや、楽しいよ? ね、ユリウス」
「“楽しい”の定義によると思うんだよね……」
昨日の森での死闘が脳裏をよぎる。
あれを“めちゃくちゃ楽しかった!”と言い切るリリィの感性は、やっぱりどこかおかしい。
「でも、強くなりそうだね」
テオが少し真面目な声で尋ねてきた。
「うん。それは間違いない。昨日教わった“部分強化”とか、“目だけ強化”とか、実戦でもかなり使えそうだったし」
「ゼルガ先生、雑に見えて教えることは理にかなってるからね」
テオは軽く肩をすくめる。
「……入らないの?身体強化実践部」
リリィが顔だけ起こして、じっとテオを見る。
その問いに、彼は一瞬だけ目を伏せた。
「僕はいいよ。魔法の方でやりたい実験が色々あるし。それに――」
そこで言葉を切り、いつもの笑顔を貼り付け直す。
でも、その笑顔の奥に、ほんの少しだけ影が差したように見えたのは――気のせいだろうか。
(……前にも、似た顔してたな)
メンター制度の話が出たとき。
そして、“序列なんて意味があるのかな”とぼそっと呟いたとき。
何か事情があるんだろうけど、無理に踏み込むものでもない。
俺はその問いを喉の奥で飲み込み、いつもの調子で話題を変えた。
「じゃあ、身体強化のこと分からないことがあったら、部で教わった範囲なら相談乗るよ」
「ありがと。じゃあ、今度ちゃんと質問させてもらおうかな」
テオはいつもの穏やかな笑顔に戻った。
そうしているうちに他のクラスメイトも集まり、フラン先生が教室に入ってくる。
今日も一日、座学と訓練と、そして――放課後の部活が始まる。
***
放課後。
身体強化実践部の部室に顔を出すと、すでにゼルガ先生がソファにふんぞり返っていた。
「よう、死にかけコンビ」
「その呼び方やめません?」
「全身筋肉痛で階段上るのもきつかったです……」
俺とリリィの抗議を、ゼルガ先生は豪快に笑い飛ばす。
「安心しろ。今日は昨日ほど無茶はさせねえよ。二日連続で同じ負荷かけたら、故障するからな」
「……ちゃんとその辺は考えてくれるんですね」
「当たり前だ。壊したら育たねえ」
そこは妙にプロっぽい。
「で、今日は?」
尋ねると、ゼルガ先生は指を二本立てた。
「一つ。昨日教えた“部分強化”と“感覚強化”の復習。
二つ。お前らの“クセ”を洗い出す」
「クセ?」
「そうだ。身体強化の発動の仕方、魔力の流し方、立ち方、踏み込み方。そういうのは人それぞれ違う。クセを自覚してねえと、限界がすぐ来るんだよ」
そう言って立ち上がると、ゼルガ先生は俺たちを訓練場の端へと連れて行った。
まずは、軽い素振りと走り込み。
筋肉痛で死にそうになりながらも、身体が温まってくると痛みが少し引いていく。
「よし、ユリウス。右腕だけ全力で強化して、目の前の木人形を殴ってみろ」
「はいっ」
魔力を右腕に集中させて、一気に解放。
昨日習ったイメージをなぞるように、力の流れを意識して拳を突き出す。
ドンッ、と鈍い音がして、木人形がわずかに揺れた。
「ふむ。悪くねえが――」
ゼルガ先生が俺の背後に回り、肩を軽く叩く。
「力みすぎだ。肩と首がガチガチになってる。もっと肘から先だけに意識を集中しろ」
「肘から先……」
言われた通り意識を変えると、さっきよりずっとスムーズに魔力が腕を流れていく感覚があった。
「おお、さっきより軽い」
「そうそう。それだ。その感覚を身体に覚え込ませろ」
続いてリリィ。
「リリィは逆だ。力を出そうとして、魔力が全身に散ってる。
いいか、今は“腕”だけ強くしたいんだ。長所を伸ばすときは、狙った部位に全力集中。そこだけを“別の生き物”にするつもりでやれ」
「別の生き物……?」
「そうだ。腕だけ獣になれ。足が人間のままでもいい」
「なるほど! なんか分かりやすい!」
リリィはそう言って、目を輝かせる。
こういう比喩で一気に理解するあたり、やっぱり才能の系統が違う。
しばらく、腕、脚、目、耳と、色んな部位の強化を繰り返す。
ゼルガ先生の指摘は厳しいが的確で、たびたびサラの教えと重なる部分があった。
(母さんの殴り合いといい、サラの気配察知といい、ゼルガ先生の身体強化といい……今までの訓練、全部繋がってきてる感じがするな)
積み上げてきたものが線になっていく感覚は、純粋に嬉しい。
「よし。次は“目”だ」
ゼルガ先生が指で自分の目をとんとんと叩く。
「目だけの強化は危険だ。やりすぎると頭がやられる。
だから今日は、感覚だけを敏感にするイメージでやる。見ようとするんじゃなくて、“見えてくるもの”を捕まえろ」
「……詩人みたいなこと言いません?」
「感覚の話をするときは、このくらい抽象的じゃねえと伝わらねえんだよ」
そう言うなり、ゼルガ先生は石を一つつまみ上げた。
「目を閉じろ」
言われるがまま目を閉じる。
「ユリウス。今から石を投げる。身体強化はなしで、避けてみろ」
「いや無茶言うなって!」
抗議する間もなく、ヒュッ、と空気を切る音がした。
(右!)
サラとの訓練で培った“違和感”を頼りに、自然と身体が左にずれる。
頬の横を、カツン、と硬い感触が掠めていった。
「おお」
「やるじゃねえか」
ゼルガ先生が感心したように笑う。
「サラの訓練のおかげかな……」
次はリリィ。
「え、目つぶったまま避けるの?無理無理無理!」
「五回やって一回避けられりゃ上等だ」
結局、リリィは二回目でなんとか一度だけ避けることに成功し、嬉しそうにガッツポーズをしていた。
「よし、今日はこのくらいにしとくか」
太陽はまだ高いが、ゼルガ先生はあっさりと切り上げる。
「え、もう終わり?」とリリィが名残惜しそうに言うが、先生は即答した。
「回復も訓練のうちだ。特に筋肉痛が残ってるときはな」
「……はーい」
名残惜しそうにしながらも、リリィは頷いた。
「じゃ、解散だ。明日は休みにしとけ。筋肉と骨を休ませろ」
その言葉を合図に、部活は解散となった。
***
寮に戻ると、部屋の中でサラが静かにお茶の用意をしていた。
「お帰りなさいませ、ユリウス様」
「ただいま……あ~、死ぬかと思った」
ベッドに倒れ込もうとしたところを、サラに止められる。
「汗で服が冷えると体調を崩します。先にシャワーを浴びてください」
「はい……」
完全にペースを握られながらも、言われるままに動く。
熱いシャワーで汗を流し、さっぱりしたところでベッドに倒れ込むと、サラが湯気の立つハーブティーを差し出してくれた。
「今日の部活動はいかがでしたか?」
「筋肉痛が悪化しました」
「それはよろしいことです」
「どこが」
思わずツッコミを入れると、サラはくすりと笑う。
「魔物との実戦経験を積めるのであれば、有意義だと思います。……危険の度合いにもよりますが」
「まあ、ゼルガ先生がかなり見てくれてるから、ギリギリラインで止めてくれてる感じかな」
そう答えながら、《タイムバンク》の通帳を開く。
「……本当に、魔物を倒すと時間が増えることがあるのですね」
俺の視線を追って、サラが呟いた。
「うん。法則は全然分からないけどね。大きさでも強さでもなくて、なんかバラバラで」
「そうですか……」
サラは少しだけ考え込んだあと、ふっと表情を和らげた。
「ですが、ユリウス様が無事に帰ってきてくださるのであれば、それで十分です。時間はまた貯められますが、命はそうはいきません」
「……うん」
当たり前のことなのに、その言葉が妙に胸に響いた。
時間は貯められる。利息で増やすこともできる。
でも、失った命は戻らない。
だからこそ――この時間は、雑には使えない。
「サラ」
「はい」
「もしさ。将来、誰かの命を救うために、この“人助け用”の時間を全部使うことになったら……サラは怒る?」
通帳の“人助け用:300時間”の文字を見つめながら尋ねると、サラは目を細めて微笑んだ。
「怒る理由がありません。むしろ、誇りに思います」
「……そう?」
「はい。ユリウス様が誰かのために時間を使われるとき、その場に私もいられたら嬉しいですね」
その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。
「じゃあ、そのときが来るまで、大事に取っておくよ」
「はい。ですが、その前にまずは――ご自身のためにも、しっかり使ってください」
「自分のため?」
「ええ。強くなることも、学ぶことも、休むことも、全部ユリウス様の将来のためですから」
サラらしい答えだ。
思わず笑って、通帳を閉じる。
「……よし。じゃあ当面のプランは――」
指を折りながら、頭の中で整理する。
「毎日の貯時で基礎を伸ばしつつ、森での魔物討伐でボーナスを狙う。
マイホーム用に五千時間はキープ」
呟いて、ベッドに仰向けになる。
天井を見上げながら、ぼんやりと考える。
貯めるだけだった時間が、いつの間にか“選択肢”になっている。
訓練、冒険、家、人助け。
その一つ一つが、俺の未来の形を変えていく。
「……まあ、焦らなくていいか」
答えを急ぐ必要はない。
時間は、まだたっぷりある。
そう自分に言い聞かせて、ゆっくりと目を閉じた。
――貯時間の使い道は、これからも増えていく。
その予感だけを胸に抱きながら、俺は深い眠りに落ちていった。
転生したらスキルは《時間銀行(タイムバンク)》でした~スパルタ教育を乗り越えて異世界チートを楽しみます~ @seijin_777
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