忘れられた巨匠

九月ソナタ

忘れられた巨匠

「十九世紀最大の画家を三人挙げてください」

 と言われたら、誰を思い浮かべるでしょうか。


 おそらく、エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832–1883)、クロード・モネ(Claude Monet, 1840–1926)、そしてポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839–1906)、この三人の名を挙げる方が多いのではないかと思います。


 では、トマ・クチュール(Thomas Couture, 1815–1879)という名前を聞いて、「ああ」と頷く方は、どれくらいおられるでしょうか。

 おそらく、ほとんどいないかもしれません。


 けれど、かつて彼は「十九世紀最大の画家」とまで称された人物でした。

 現在では忘れられた存在となっていますが、それでも彼の作品を求める人は今もいますし、その名が完全に消えたわけではありません。


*


 1847年、クチュールが描いた「退廃期のローマ人」は、同年のサロンで絶賛され、彼は一躍時代の寵児となりました。

 古代ローマの享楽と堕落を描いたこの大作には、同時代のフランス社会に対する道徳的批判が込められていたといいます。


 その後、若き日のマネがクチュールのもとに弟子入りしました。クチュールの画風は新古典派に属し、構成やデッサンの確かさ、そして色むらのない技術の高さには定評がありました。

 マネは六年間クチュールのもとで学んだ後、師の写実と規律から離れ、より自由な表現へと歩み出していきました。


 サロンで成功を収めた後、政府から壁画制作を依頼されることもありましたが、クチュールは体制に迎合することを嫌い、次第にその立場は不安定なものとなっていきます。彼は、美術アカデミーの権威主義にも強く反発しており、1860年にはパリを離れ、故郷のサンリスに帰って、制作と教育を続けました。


 1867年には創作論を出版し、アカデミー体制を痛烈に批判します。自伝執筆を依頼されたときには、こんなことを言ったそうです。

「伝記とは、名士を称えるものだが、その名士こそがこの時代の災いのもとなのだ」


 クチュールは、美術の世界が名声と権威によって歪められることを深く憂えていたのでしょう。



*


 さて、「退廃期のローマ人」は長らくルーヴル美術館に展示されていましたが、1986年にオルセー美術館が開館した際、そちらに移されました。ルーヴルは18世紀末までの作品、オルセーは1848年から第一次世界大戦前までの作品を扱うという時代区分によるものです。


 この作品は1847年の制作ですから、厳密にはルーヴルに留まっていてもよかったのかもしれません。けれど、美術史の流れとしては、クチュールからマネへ、マネからモネへとバトンが渡されていきます。その意味では、十九世紀美術の流れの中にあるオルセーに収まるのが自然なのかもしれません。


 ただし、オルセー美術館の主軸は印象派であり、新古典派に属するクチュールの作品は浮いてしまいます。そのため、現在では常設展示されておらず、特別展などで姿を見せるだけになっています。



*


 七月の初め、私が地元の美術館を訪れたときのことです。特別展示室に、見慣れない三枚の絵が展示されていました。

 そのうちの一枚、「女性の肖像画」に、私は足を止めました。


 縦長五十センチほどの画布の中で、少女が首を少しかしげ、上目遣いでこちらを見つめています。わずかに口元がゆるんでいるようにも、「仕方ないわね」とため息をついているようにも見えます。


 誰が描いたのだろうと筆致を観察しました。印象派のような自由さ、柔らかさがあり、一瞬ルノワールかと思いましたが、女性の雰囲気も明るさも違います。ギブアップしてプレートを見たところ、「トマ・クチュール」、そしてタイトルは「画家の娘」でした。


 制作年は1878年。その翌年に彼は亡くなっていますから、おそらく晩年の作です。

希少な一枚に出会ったと思いました。


 描かれている少女は、田舎の娘風で、飾らない服装をしています。モデルとしてポーズをとったというよりも、何かの用事でアトリエを通りかかったところを、父親に呼び止められた、そんな感じです。

 きっと描かれているのは、父親が、いや父親だけが、よく知っている娘の顔なのでしょう。


 けれど、その表情から父親の愛情が伝わってくるかというと、簡単にはそうとは言えません。目元や頬、唇は丁寧に描かれているものの、娘の上目遣いのまなざしにはどこかよそよそしさが感じられます。このふたりの間には、微妙な隔たりがあるのではないかしら、とそう思いました。


 とはいえ、髪の毛や襟元の描写は精緻で、筆のタッチには印象派の人とは違う新古典派特有の丁寧さがあります。


 私は何度もこの「画家の娘」を見に行きました。それは、私が「サンリスの冬」という題で、この父娘をモデルにして、短編を書こうとしていたからです。


 でも、今回の柴田さんの三題噺のお題にぴったりなので、エッセイにしてしまいました。


 小説の中では、父親はキャンバスの裏に、こんな言葉を書きます。


「わが娘ベルテへ。

 私がきみをどれほど愛していたか、伝えたかった」


          

               了

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