風と影の、罪と正義

Chocola

第1話

1.


 また、誰かが私のことを「正義バカ」って呼んだ。


 昼休み、教室の窓際。スピーカーから流れる放送も耳に入らない。

 机にうつ伏せになりながら、それでも私は何も言い返せなかった。


 正義感だけで動いて、失敗して、巻き込んで、それでも気づかず突っ走った。

 あの日のことは、もう何年も前のはずなのに、まるで昨日のことのように胸が痛む。


「ユイ。またうじうじしてんな」


 机の影から、くしゃくしゃの黒い鳥が顔を出す。


 黒銀の羽を持つ精霊〈レーヴァ〉。かつて私が契約し、そして——暴走させてしまった精霊。


「黙っててよ、今は……」


「そーやってすぐ塞ぎ込むから、“正義バカ”って言われるんだろ。ほら、また言われてるぜ?」


「知ってるよ……!」


 思わず声が出てしまって、数人がこっちを見た。私は慌ててうつむき直す。

 誰もレーヴァの姿は見えない。精霊が見えるのは、契約している私だけだ。


 静まり返った教室の空気が痛い。でも、レーヴァだけは、何も気にせずに続けた。


「で、また逃げるのか?」


「……逃げてなんかない」


「じゃあ?」


「立ち止まってるだけだよ」


「“正義の味方”は、止まっててもいいんだな?」


 ぐっ、と胸の奥が刺された。

 止まりたくて止まってるんじゃない。動いたら、また——誰かを傷つけるのが怖いだけだ。


 


2.


 精霊との契約は、誰にでもできるものじゃない。


 レーヴァは、風と影、ふたつの属性を持つ上位精霊。

 人間に貸すには強すぎる力だった。私がそれを受け止められなかった。それだけの話だ。


 あの日、私は“助けるため”に力を使った。けれどその力は制御できず、周囲を巻き込んだ。


 人も、精霊も、私自身も、傷ついた。

 レーヴァは暴走し、周囲の建物を崩し、病院の一部を吹き飛ばした。


 私は……誰かの命を奪ってしまったかもしれない。


「もう、誰も傷つけたくないんだよ……」


「傷つけねぇ“正義”なんて、ただの理想だ。お前、それ本気で言ってんのか?」


「……うるさい」


 


3.


 その日の放課後。街の外れで、異常事態が起きていた。


 放送塔の近くで「瘴気に侵された精霊」が目撃されたという。


「精霊が……人を襲ってる?」


 ニュースは事実だけを淡々と伝えていた。けれど私は分かっていた。

 それは、かつてレーヴァが暴走した時と、まったく同じ“匂い”だった。


「レーヴァ、これは……」


「ああ。あれは、誰かが“壊れちまった精霊”を放ってる。下手すりゃ死人が出るぞ」


「でも……私が行っても……!」


「行かなきゃ、もっと誰かが死ぬ」


「でも、また私がレーヴァを——」


「もしオレが暴走したら、そのときは……一緒に死んでやるよ」


 ——目が合った。


 私の胸の奥に沈んでいた熱が、じんわりと息を吹き返した。


「……レーヴァ、力を貸してくれる?」


「当たり前だろ、バカ。オレはお前の——親友なんだからな」


 


4.


 現場に着いたとき、空気は重く、ざらついていた。


 壊れかけた放送塔の前で、異形の影が人を追い詰めている。

 膨れ上がった獣のような形をしたそれは、瘴気に呑まれ、原型を失った精霊だ。


「止まって……!これ以上、誰も傷つけないで!」


 私の声に、精霊が振り返った。


 その瞬間、影が襲いかかる。私は思わず叫ぶ。


「レーヴァ!!」


「任せろ!!」


 風が裂け、影が弾ける。

 私の背後から飛び出したレーヴァが、カラスの姿を脱ぎ捨て、人型へと変化する。


「黒翼開放――《影風刃(エイカゼバ)》!」


 黒い風がうねり、暴走精霊を斬り裂く。だが、倒れない。

 影は再構成され、また襲いかかってくる。


 私の手が震えた。視界の隅で、幻影が揺れる。

 “あの時”の事故現場、泣き叫ぶ声、血の匂い——


「……っ、やめてよ……!」


 膝が崩れそうになる。

 けれど、そのとき——背中に、風が吹いた。


「ユイ! “今”を見ろ!!」


 レーヴァの声が、私を現実へ引き戻す。


 私は深呼吸し、手を前に伸ばした。


「お願い、レーヴァ。“今の私”の力を——!」


 


5.


 私は風を、影を、恐れずに使った。


 暴走精霊の中心にある“核”を包み、浄化するように意識を集中する。


 “暴力”ではない。“拒絶”でもない。“理解”しようとする風。


 ——それが、今の私の“正義”だ。


 やがて、精霊は静かに光を失い、空気へと還った。


 


6.


「……できた」


「はぁ〜、やっとやったな、お前……!」


 レーヴァが元の鳥の姿に戻り、私の肩にとまった。


「どうだった?」


「見直した。少しは“正義バカ”も役に立つってな」


「……ありがと、レーヴァ」


 風が吹く。瘴気の気配は、もうない。


 私はもう一度、心の中で小さく呟いた。


 ——大丈夫。

 ——少しずつでいい。

 ——私はまた、誰かを救える。


 たとえ、また空回りしても。

 親友がそばにいてくれるから——。

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