老害とは経験値の圧倒的さという名の越えられない壁だから常に順送りで永遠に無くならないのだよ😱

ポチョムキン卿

老害って、それ美味しいの😋

「老害」という言葉を聞くと、多くの人が眉をひそめる。


頑固で、昔話ばかりで、こちらの事情もお構いなしに持論を押し付けてくる。そんな年長者の姿を思い浮かべ、私たちは「ああはなりたくない」と密かに思う。SNSを開けば、「老害上司」「老害政治家」といった言葉が乱舞し、世代間の断絶を象徴する便利なレッテルとして機能している。


ある動画では『老害とは、少し先に経験した者が、まだ経験していない者に優越感を持って接すること』と定義していた。なるほど、言い得て妙だ。だが、私は少し違う角度からこの根深い問題を捉えたい。


結論から言おう。「老害」という現象は、人間が経験を積んで生きる以上、決してなくならない。


これは諦念ではない。むしろ、世代間の断絶というものの本質を直視した、ひとつの見解である。なぜなら、「老害」の正体とは、人格や優越感の問題である前に、個々人が生きることで蓄積した「経験値」そのものが引き起こす、構造的な断絶だからだ。




✅経験値とは「OS」である



人の経験を、コンピュータのOS(オペレーティングシステム)に喩えてみよう。


生まれたばかりの人間は、まっさらな最新OSを搭載したデバイスだ。そこから日々の生活、学習、仕事、人間関係といった無数の「アプリケーション」をインストールし、OS自体もアップデートを繰り返していく。


20代の若者が使うのは、軽快に動作する最新OSだ。UIも洗練され、直感的な操作が可能だろう。しかし、インストールされているアプリケーションの種類や数はまだ少ない。


一方、60代、70代の年長者が使うのは、長年のアップデートを重ねた、ある意味で「古い」OSかもしれない。起動は遅いし、UIも無骨だ。しかし、そこには膨大な数のアプリケーションが詰め込まれている。成功体験、手痛い失敗、数え切れないほどのヒューマンエラー、そしてそれらを乗り越えてきた膨大なログデータ。それら全てが、その人だけの「経験値」としてOSの根幹を形成している。


若者から見れば、年長者の言動は「処理が遅い」「UIが分かりにくい」「なぜそんな古いアプリを使うんだ」と感じるかもしれない。しかし年長者側からすれば、若者のデバイスは「必要なアプリが入っていない」「エラーへの備えがなさすぎる」と映る。


このOSの根本的な違いが、そもそも互換性を著しく低くしている。 私たちが「話が通じない」と感じる時、その根底にはこの絶望的なまでのOSのバージョンの違いが存在するのだ。




✅あなたには見えていない「人生の地形図」



経験値の差は、見えている「景色」そのものの違いを生む。


想像してみてほしい。あなたは今、広大な未開の地を旅している。あなたの手元にあるのは、目の前の道だけが描かれた、ごくシンプルな地図だ。


一方、年長者は、その土地を何十年も歩き続けたベテランの測量士だ。彼らの頭の中には、超高解像度の立体的な地形図が広がっている。どこに川が流れ、どこに崖があり、どの森を抜ければ近道で、どの沼に足を踏み入れると危険か。その全てを把握している。


あなたが「このまっすぐな道を行けば早そうだ」と意気揚々と進もうとする。それを見た年長者が、こう口を挟む。「やめておけ。その先はすぐに行き止まりで、その手前には底なし沼が隠れている。遠回りに見えるが、あの丘を越えていくのが一番安全で確実だ」と。


あなたには、その「行き止まり」も「底なし沼」も見えていない。見えるのは、ただ目の前に広がるまっすぐな道と、訳知り顔で制止してくる年長者の姿だけだ。その助言は、ただの「余計なお世話」や「非効率な昔のやり方」にしか聞こえないだろう。


これが、「老害」と「若者」の間で起こるすれ違いの正体だ。


年長者が見ている複雑な地形図(=膨大な経験則)は、若者には見えない。その「見えないもの」をどうにかして伝えようとする時、言葉は必然的に説明的になり、断定的になる。「いいから言うことを聞け」「昔からこう決まっている」という乱暴な言葉は、見えている景色の違いを言語化する努力を放棄した、あるいは言語化が絶望的に困難であることの裏返しなのだ。




✅理解不能な「呪文」としての助"言



RPG(ロールプレイングゲーム)の比喩も使えるかもしれない。


レベル99の賢者が、レベル5の若者パーティに助言をする。賢者が放つ言葉は、若者たちにとっては**意味不明な「呪文」**にしか聞こえない。


「このダンジョンでは、"対アンデッド用の聖水"と"沈黙を防ぐアミュレット"が必須じゃ」


若者たちは思う。「アンデッドなんて見たことないし、沈黙ってなんだ? それより攻撃力の高い剣を買う方が先だろう」と。


彼らはまだ、そのダンジョンに潜むアンデッドの恐ろしさも、沈黙の魔法がいかにパーティを壊滅させるかも知らない。その前提知識(=経験値)がなければ、賢者の言葉の価値は理解できない。賢者の側も、「なぜこんなに重要なことが分からないのだ」と苛立ち、それが「だから近頃の若者は…」というため息に繋がる。


ここには、悪意や優越感といった感情が入り込む余地すら、ない場合がある。ただ、圧倒的な経験値の差が、コミュニケーションを成立させない。 高レベルの者が当たり前に語る真理は、低レベルの者には理解不能なノイズでしかない。この隔たりこそが、「老害」と呼ばれる現象の核心ではないだろうか。




✅越えられない壁と、どう向き合うか



人間が時間を重ね、経験を積む生き物である以上、この「経験値の断絶」はなくならない。世代間のOSは常に異なり、見える景色も、使える呪文も違う。だから、「老害」という現象は、人類が続く限り永遠に存在し続ける。


では、私たちはこのどうしようもない断絶と、どう向き合えばいいのか。


重要なのは、「老害」というレッテルを貼って思考停止することではない。特定の個人を断罪するのではなく、その背景にある「経験値の断絶」という構造そのものを理解しようと努めることだ。


年長者側は、自分の見ている複雑な地形図が、相手には全く見えていないという事実を自覚する必要がある。「なぜ分からないんだ」と嘆く前に、自分の言葉が相手にとって「意味不明な呪文」になっていないか、どうすれば地図のほんの一部分だけでも共有できるか、翻訳の努力を惜しんではならない。


そして若者側は、理解不能な言葉の裏に、自分にはまだ見えていない広大な地形図が存在する可能性を想像してみることだ。その「呪文」は、未来の自分を救うヒントかもしれない。すぐに理解できなくとも、「そういう見方もあるのか」と、頭の片隅に置いておくくらいの度量は持ちたい。


もちろん、これは理想論だ。互いに歩み寄ろうとしても、完全な相互理解は不可能に近いだろう。


しかし、それでいいのだ。


「老害」の本質が、越えられない経験値の壁であると知ること。そして、その壁の前で、私たちはどう振る舞うべきかを考え続けること。完全には分かり合えないという前提に立つことこそが、世代間の無用な争いを避け、互いへの敬意を育む、唯一の道なのかもしれない。


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老害とは経験値の圧倒的さという名の越えられない壁だから常に順送りで永遠に無くならないのだよ😱 ポチョムキン卿 @shizukichi

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