【14】真相対峙

 二年一組は全員リレーでも負けた。

 将司がバトンを拾い直している間に、慶太が颯爽と追い抜かし――ゴールテープを切った。二組の歓声が響き渡ると同時に、将司には侮蔑と嘲笑の目が向けられる。逆境の中でも彼は歯を食いしばり、数秒ほど遅れて最後のラインを踏む。


 拍手の音は小さい。

 観客を除けば、僕と詩葉と陽菜の三名と、一緒に走りきった慶太だけが彼の健闘を讃えていた。


 「一組は終わり!」

 「……やっぱり、要らなかったんだよ。」


 昼休み、僕は陰口を聞きながら弁当箱を開く。

 将司と陽菜は教室にいない。午前の部が終わってから、二人とも姿を消しているけれど、陽菜はともかくとして、将司の所在を気にする子はいない。


 「ユイくん、何かちょうだい。」


 惨い空気の中でも、詩葉は平静を保とうとしていた。

 彼女は僕の持参したメニューを見て微笑みながら「今年も変わってないね」と呟く。


 小ぶりで味のない白飯のおにぎり。一口大に切られたプレーンチーズ。油をできるだけ落としたウィンナー。角の立った卵焼き。そして、別の容器に詰められたレタスと、二つのカップゼリー。――温度は冷たく、味はシンプルで、香りも混ざらないように工夫されている。僕が食べられるものしかないから、確かに変わり映えはしない。


 「味付け薄いから、詩葉には物足りないかも。」

 「ヘルシーってことね、最高じゃん。」

 「そうなのかな……?」

 「私もゼリーあげる。運動会だから父さんも張り切っちゃって、沢山もたせてくれたの。……果肉はないから平気だよ。」


 詩葉はみかん味のゼリーをくれる。

 メーカーは僕の家に常備されているものと同じだ。つまり、数少ない好物の一つである。


 「ありがとう、詩葉。」

 「今日はしっかり食べてね。パフォーマンスリレーもあるんだし。」


 給食はあまり食べられない。家は安全だが、両親の視線を気にしてしまう。僕が食事の時間に安らぎを憶えるのは久しぶりのことだった。

 惜しむらくはクラスのことだけだ。一組の絆はもはや壊れかけていて、最も頑張っていた将司と陽菜が深く傷ついている。


 「――ねぇ、泥棒って誰が言った?」


 詩葉は先程のことを思い返していた。

 確か、二年生の誰かが走る将司に対して酷い言葉をかけたことを契機に、他の子も少しずつ呟き始めて――。


 「陽菜の財布を見つけたのは誰。将司の机を追いやったのは誰。……そもそも、真犯人は誰。」


 しかし、関わっていたのは誰だろうか。

 陽菜の財布が無くなった。寛人が目撃証言を話した。憤慨する将司に生徒の不信が募った。男子生徒が証拠を見つけた。誰かが将司を詰った。誰かが将司を除け者にした。誰かが将司に野次を飛ばした。――後半になるほど人物が曖昧だ。


 ――皆、何かに動かされてるみたい。


 陽菜の抱いた違和感はやはり正しかった。

 僕は将司を苦しめた人々の輪郭がわからない。同調圧力に押されて皆が暴走したことは理解できる。それでも、何かが起こるにはきっかけが必要だ。攻撃には扇動者が必要だ。将司に何をしてもいい空気を整備した者が確かにいるはずなのに、皆はそこに乗せられたはずなのに、思い起こしても記憶に空白がある。


 「まさか、欠番……?」

 「頭を弄られるのは経験済みだもんね、私たち。」

 「でも、心まで変えられるの?」

 「変えたんじゃなくて、利用したのかも。……思ったより簡単な方法で。」


 欠番は一組だけで10人もいる。

 集団の中で、初めに10人が将司の悪口を言えばどうだろう。僕らは「将司の評判は悪い」と認識するはずだ。それから、彼の問題点を互いに同調し合いながら挙げてみれば、皆の心に訴求する力を持つ。


 さらに、学年単位では23人もいる。

 粗雑な噂話も、23人がまことしやかに囁けば真実も同然だ。中には真っ赤な嘘も含まれたかもしれないが、予め事件を起こし、証拠を捏造し、疑惑の種を育てておけば誰も将司の側には立たない。


 後は、名簿に仕掛けたように、自らの存在を認知できないようにすればいい。

 そうすれば、勝手に将司は追い詰められる。勝手に二年生の仲は拗れる。


 「……最悪だよ、そんなの。」

 「ユイくん、私も一緒に見つけてあげる。――もう欠番は消さないと。」


 詩葉の声色は刃物のように鋭かった。

 僕も同じ気持ちだ。今までは曖昧にしていたけれど、友達のことを踏み躙るなら容赦はできない。早く、僕らに紛れる怪異の不在を証明しよう。


 ――それに、僕には事件のきっかけがわかっている。

 逃げてはいけない。甘えた心はもう捨てて、彼の正体とも向き合うつもりだ。


 「続いては、パフォーマンス部門です。」


 午後は部活動対抗リレーから始まる。

 全力部門は例年通り陸上部の圧勝に終わったから、皆の関心は後半のパフォーマンスに向いている。僕はきちんと耳のように見える被り物をつけて、先輩や同級生からの「可愛い」コールに必死に耐える。頬に熱を感じるほど恥ずかしいが、同じ言葉をかけられている慶太は、余裕そうにピースやウインクを客席に返している。


 「結翔、頑張って〜!」

 「う、うん。」


 耳に軽く手を当てながらピストルの音を聞く。

 パフォーマンス部門のルールは至ってシンプルだ。二分以内にトラックを二周する。――その間、何をしてもいい。


 「よいしょっと。」


 僕はユニフォームを着た状態で、ラケットの上にシャトルを乗せながら落とさないように走る。ただ、慶太がそれだけでは面白くないと言ったので、僕は要所要所で大きく腕を振り上げる。飛んだシャトルを再びラケットでキャッチすれば、歓声が巻き起こった。


 「可愛い!」

 ――僕は凄いと言ってもらいたかったのに。


 野球部はボールを投げ、サッカー部とバスケ部はドリブルで進む。陸上部は「全力部門こそ至高のパフォーマンス」と捉えているようで出場自体していない。

 僕は走りながらも将司と陽菜を探したけれど、野球部にも陸上部にも姿はない。


 盛り上がるのは吹奏楽部と演劇部だ。

 今年、彼らは合同チームとして出たらしく、詩葉をはじめとする演劇部員が台本を臨場感たっぷりに読み上げている間、璃子先輩の率いるブラスバンドが隣でBGMを奏でる。僕と違って、二人は観客に手を振ったり、笑顔を見せたり、写真撮影用のポーズをとったり、ファンサービスまで手厚い。


 隣のレーンにはテニス部がいる。

 彼らはユニフォーム姿でボールリフティングをしながら走る。確かにバドミントン部とやることは同じだ。慶太が被りを危惧していた理由がよくわかる。


 「……あぁ、貴方だったのですね。王子の命を奪ったのは!」


 詩葉は本番さながらの表情を浮かべ、僕のそばでクライマックスシーンの台詞を読み上げる。

 しかし、彼女の視線はさりげなくテニス部の走者――寛人に注がれていた。


 彼は黙々とボールをバウンドさせている。

 シャフトの部分に上品な羽のマークが刻まれた、妙に見覚えのあるラケットの上で。


 「あ……」


 ――始業式の日、暴走した旧校舎の中で詩葉を救った即席の武器。

 寛人は「二年三組」に置かれていたものと全く同じモデルを所有している。僕も詩葉も、その意味を理解できないほど愚かではなかった。


 「お疲れ!」

 「詩葉ちゃんも結翔も最高だったよ!」

 「慶太は調子のりすぎな!」


 パフォーマンスは熱狂の中で終わりを迎えた。

 勝敗には関わらない種目だ。誰もがフラットな気持ちで楽しく見ていられたのだろう。おかげで、一組の雰囲気も昼前よりは温まっている。


 「寛人くん、ユイくん……ちょっとだけいい?」


 だから、僕はここで遂げなくてはならない。

 将司の意地を、陽菜の献身を、僕の手で守ってやらなければ、取り返しのつかないことが起こる気がした。


 「どうしたの。時間あまりないけど。」


 次の大縄跳びは最後の全体種目だ。

 一組がまとまるチャンスを棒に振る前に、悪意に負けてしまう前に、異物とは話をつけるしかない。


 「大縄がほつれて回しづらくなっちゃったの。陽菜ちゃんいないし……一緒に予備のやつ取りに行こ。」


 詩葉は軽く損傷した縄を見せる。

 僕も驚いたふりをして「早く行かないとね」と急かせば、寛人はすぐに頷いてくれた。そのまま、緊張と敵意を隠しつつ、僕らは穏やかな仕草で彼を会場の外へと導く。

 

 「寛人、テニス上手いよね。いつ始めたの。」

 「一年前。僕も中学からだよ。」


 軽い世間話を通じて寛人の言葉を引き出す。

 彼が墓穴を掘るように――僕はそれだけを祈って、真剣に耳を傾ける。詩葉は脇に抱えた小さなポシェットに手を添えながら失言を待つ。


 「ラケットもそのときに?」

 「そう。顧問の先生がおすすめを見繕ってくれて。」

 「綺麗なやつだし高いでしょ。僕もバドのラケットにいいやつ選んじゃった。親が買ってくれたけどね。」

 「最初は従兄弟のお下がりを使うつもりだった。でも、中古はやめとけって言われたから。」


 果たして、好機は訪れる。

 詩葉は冷徹な瞳を向けながら、寛人を詰めるように口を開いた。


 「だから、新品で買ったの?」

 「そうだけど……」


 彼女は鞄からスマートフォンを取り出す。

 画面に映るのは、テニスラケットの販売サイト。彼の愛用品――フェザードライブの概要が記された簡素なページだ。


 「へえ、五年前に終売してるのに。」

 「……何が言いたい。」


 僕らは人通りのない広場に出ていた。

 会場のアナウンスは遠く、代わりに風がフェンスを揺らす音と、自分の足音の名残だけがある。運動会の熱気から切り離されたその場所は、日差しこそ強いのに妙に涼やかだった。


 「――寛人、君は本当にここにいますか。」


 僕は寛人を真っ直ぐに見つめて問いかける。

 彼は笑わない。怒りもしない。代わりに、手に持つラケットのグリップに汗が滲む。


 「証明できるの?」


 瞬間――怪異は硬質な得物を振り上げた。

 それは、僕らにしか知りえない決戦の合図だった。

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