【13】厄介排斥
その日、陽菜は全員リレーの走順を組み直したようで、編成の意図を皆に向けて説明していた。
広めに設けられたテイクオーバーゾーンの中ではどこでバトンを受け取っても構わない。つまり、パスが行われた位置に応じて、実際の走行距離は変動する。
「――それで、走るのが得意な子が、苦手な子をカバーするわけ。」
確かに、新編成では各々の走力も考慮したようで、速い子と遅い子が交互に配置されていた。また、一緒に渡されたトラックの上面図には、僕らが助走を始める大まかな位置の提案まで記されている。見てみれば、走りに不安のある生徒は最低限、逆にエース級の生徒は最大限の走量となるように工夫されている。
リレーには詳しくないけれど、素直に良い作戦だと思った。それに、順番的に僕は得意側と判定されている。本番までに体力をつけて、長い距離もバテずに走りきりたい。
「いいね、陽菜ちゃんが考えたの?」
教室には納得と感心が広がる。
皆からは「試してみたい」という声が次々とあがった。過去数回の練習では、一度も二組に勝てていないけれど、再び勝負熱が湧いてきたようだ。
「ううん、将司が最初に思いついた。……で、二人でずっと調整して、早く伝えられないかうずうずしてたの。」
名前を出した途端、教室の空気が固くなる。
それでも、陽菜は怯まず将司を前まで呼び寄せた。
「大縄については将司から!」
向けられる目は相変わらず厳しい。
僕は将司が何を言うものか、心配しながら見守っていたけれど、彼は思いのほか冷静な口調で語り出す。
「一組の大縄は、回し手の陽菜と詩葉がどのクラスよりも上手い。だから、皆は二人を信じて、縄の真ん中で飛べばいい。……結翔の動きが参考になるから。」
電子黒板にタブレットを繋げ、将司は練習時に撮影した映像を流す。
時折、画面を止めては、各々に必要なアドバイスも簡潔に告げる。小さな頃から野球を続けていることもあり、運動に関する分析には慣れているらしい。
「将司、凄いじゃん。」
「……ありがと。」
冷え込んでいた教室の空気は、彼の活躍を認める形で徐々に温まる。将司も久しぶりに笑顔を見せてくれていた。
***
だから、証拠が発見されたときは目を疑った。
六時間目の終わり、男子生徒が将司の机の中に妙なものを見つけて、取り出してみれば、四葉のチャームが付いた薄紫色の財布だとわかった。――将司は酷く取り乱していた。
「は……なんでだよ、なんで!?」
恐らく、彼は誰かに嵌められている。
持ち物検査のときにはなかったものが、今ごろ見つかるとは考えづらい。それに、財布の中身は一つも抜き取られていなかったらしい。彼が本当に泥棒だとして、何にも使わず、犯行が露呈するリスクの大きい場所に隠しておくメリットがどこにあるだろうか。
「最低。犯罪者じゃん。」
「ありえないだろ……」
しかし、僕の推論も怪しさの前では意味を持たない。
予め疑念が搭載されている瞳は「濡れ衣を着せられた人間の当惑」と「罪が暴かれた犯人の動揺」を区別しない。違和感を憶えたとしても、将司を悪と断ずる方が早い。彼を信じる特別な動機がない限り、世論はそちらに流れてしまう。
乱暴で衝動的な生徒が盗みを犯した。
真面目で優しい生徒がそれを目撃した。
後に、犯行を裏付ける証拠も見つかった。
――そこには、強固な物語がある。
皆からすれば、数多の可能性を検討するよりも、単純な筋書きを信じた方がずっと心地良い。
「え……?」
翌朝、将司の机はいつもの位置になかった。
教室の隅にある掃除用具入れの横に、椅子と一緒に追いやられるように置かれていた。
「どうしたの、これ。」
「……将司がいると盗られるかもしれないから。」
誰かが控えめに口を開いた。
周囲の生徒も頷いて、一人も異議を唱えない。安全を守るための措置だと本気で思っているようだ。
「酷い、ありえない……!」
陽菜は拳を握りしめ、誰にも構わず将司の席を元に戻す。
一部始終を見ていた将司は「別にいい」と陽菜を静止したけれど、彼女は泣きそうな表情のまま首を振っていた。
「大丈夫。将司、僕らは味方だから。」
「……皆さ、ちょっとおかしいよね。」
僕と詩葉は堪らず将司に声をかける。
ただ、彼は力なく笑うだけで、会話が続くことはない。
それからも、将司は抜け殻のように大人しくしていた。
僕にはその姿が痛ましく思えたけれども、励ます言葉も、状況を改善する手腕も持ち合わせていない。陽菜と詩葉も同じで、居た堪れない気持ちを抱えたまま、生気のない将司を眺めていた。
――苦境は続く。
不安と嫌悪から始まった排斥は、やがて、将司を傷つけるためだけに行われるようになる。
実行委員用の重要な資料が入った封筒が、グラウンドの倉庫裏から見つかった。汚れきった表紙には「落し物」と大きく書かれたメモが貼られている。あたかも、将司が管理を怠ったのだと知らせるように。
競技の練習中、将司が指示を出そうとすれば「陽菜から聞いた」と嫌そうな顔で遮られる。もはや、彼は一組のリーダーとは認められず、誰一人として話を聞かなくなる。
作戦会議をしていると、誰かが「全員リレーの新しい編成を考えた」と言いながら『豊永 将司』の名前を二重線で消しただけのものを取り上げる。悪ふざけにも程があるが、他の子も「実現したらいいのに」と同調する。
将司は邪魔者として扱われた。
それでも、彼は決して実行委員の仕事を怠ることなく、前日準備に至るまで、誰よりも積極的に動いていた。
***
雲ひとつない初夏の空を仰ぐ。
スプリンクラーの水を吸った土の匂いがグラウンドに立ちこめる。BGMやアナウンスの試験放送が朝から高らかに響く。――僕らは運動会の当日を迎えてしまった。
案の定、一組の空気だけが妙に重たい。
歓声も応援も、他のクラスと比べれば少ない。行事の日らしく、誰もが笑ってはいるが、互いに声を掛け合ったりはしない。
僕らの戦績は酷かった。
選抜メンバーで行われる綱引きで、呆気なく二組の土煙に引きずり込まれたことを皮切りに、史上最悪の負け戦が続いた。短距離も長距離も、フライングディスクリレーも、二年一組が勝ち越すことはない。競技によっては、一年生のチームにすら敗北を喫してしまう。
そうして、絶望的な状況の中、午前の部の最終競技――二年生による全員リレーが始まった。
第一走者は陽菜だ。
ピストルの合図と同時に彼女は力強く飛び出し、作戦通りにテイクオーバーゾーンの奥まで走ってバトンを渡す。中盤まで、走力のある子と苦手な子が交互に走る編成は上手く機能し、二組との差は開かなかった。
「――勝とう、皆で!」
クラスのあちこちから声が上がる。
団結は最後まで上手くいかなかったけれど、一つでも勝ち星を持ち帰りたい気持ちは同じだった。
僕も全力で駆け、肺が焼けつくように熱を帯びたところで、詩葉へ確かにバトンを渡す。彼女はその勢いのまま軽やかにコーナーを抜け、目線の奥にアンカーの将司を捉えた。
将司は二組の慶太より半歩前を走っていた。
今なら勝てる。久しぶりに、クラス全員が同じ方向を向けるかもしれない――そう思った瞬間のことだった。
「泥棒。」
心ない言葉がグラウンドの端から滑り込む。
最初は一人、次にもう一人、その声は重なりながら、懸命に足を動かす将司の背中を容赦なく突き刺す。
「……なん、で?」
足取りが鈍る。表情が濁る。
呆然とした彼の手からはバトンが滑り落ち、トラックの白線の上で緩やかに跳ねた。
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