第2話 君と並んで笑った日
それは、高1の春だった。
まだ部活の先輩たちも怖くて、楽器の音出しにも慣れていなくて、
新しい教室の空気がちょっと重たく感じていたころ。
私は、音楽室の片隅でクラリネットの組み立てに手間取っていた。
「ちょっと貸してみ」
横からスッと手を伸ばしてきたのは、音無妃芽だった。
そのときはまだ、彼女のことをよく知らなかった。
「可愛い子だな」くらいに思っていたけど、距離を詰めるのがうまい人だとも知らなかった。
「ここのリード、ちょっと濡らし足りないと音詰まるんだよね、私、中学でクラリネットやってたからなんとなくわかる。」
「え、うそ……」
「ほんとだよ。やってみて、ほら、こう」
彼女は自分のフルートを横に置いて、慣れた手つきで私の楽器を整えてくれた。
そのあとふたりで笑いながら音を出して、
うまくハモれたとき、妃芽が「うわ!気持ちいい〜!」ってはしゃいだ。
その声が、すごく嬉しかった。
「真悠、今日お昼一緒に食べよ」
「え、いいの?」
「何それ、私から誘ったら断るタイプ?地味に傷つくやつ」
「……じゃあ、断らない」
それが最初だった。
それから、私たちはいつも一緒にいた。
練習後にアイスを買って、公園のベンチでしゃべったこと。おそろいの服を着てプリクラを何度も撮ったこと。ファミレスで一緒に野菜ジュースを飲んで「カロテンだー」と一緒に笑いあったこと。二人でマックを食べながらピクニックをしたこと。帰り道、ちょっとだけ遠回りして、コンビニ前で30分立ち話したこと。思い返すと妃芽との思い出がたくさんあった。二人で一緒にいるときの沈黙は苦ではなかった。
どれもこれも、胸の奥にあたたかく残ってる。
なかでも、いちばん覚えているのは——
夏の合宿の夜。
音楽室じゃない、夜のキャンプ場。
布団の中で、お互いの秘密をぽつぽつ話したあの時間。
「真悠はさ、誰かに“好き”って言われたことある?」
「ううん……ない。多分」
「うそ。絶対モテると思ってたのに」
「……それ妃芽に言われても、説得力ゼロだよ、喧嘩売ってる?笑」
「じゃあ、私が真悠のこと好きって言ったら?」
そのとき、私の心臓は本当に止まるかと思った。
でも妃芽は、くすっと笑って「うそうそ、からかいすぎた、ごめん」って肩を揺らした。
——ああ、あのとき。
もし、あれが冗談じゃなかったら。
私は、もっと早く気づいていたのかもしれない。
妃芽のことを、ただの“友達”以上に見ていた自分に。
あの夜の妃芽の笑顔は、今でもふとした瞬間に脳裏をよぎる。
まっすぐ見て、まっすぐ笑ってくれたあの子に、
あの頃から私は気づけば妃芽のことを目で追っていた。
私は確かに恋をしていた。
まだ誰のことも傷つけていなかった頃。
まだ、私たちふたりだけの世界だった頃。
私は、いまもこの記憶をときどき思い出す。
でも、それを口に出すことはない。
だってそれは、
“もう戻れない場所”だから。
まだ出会って間もない頃の真悠は、少しだけ人との距離の取り方が下手で、気づかぬうちに妃芽たちの“目につく存在”になっていた。
部活が一緒でその中でも一際目立っていた妃芽と吉見と里奈。
当時、3人は仲が良くて、どこに行くにも一緒だった。
妃芽たちは、真悠に向かってさりげなく「意地悪」な言葉をかけたことがあった。
「真悠って、地味すぎて逆に目立つよね」
「え、あれ? そんなの似合うと思ってたんだ〜」
「光助、真悠のことちょっと気にしてたよね、ねえ?」
ただの軽口のつもりだった。
深く考えず、少し優位に立ちたいだけだった。
でも、真悠の胸にそれは静かに深く刺さっていた。
本気で傷ついていることに、妃芽は気づかず、
「また言っちゃった」と笑い合っていた自分たちの幼さを、今も思い出しては後悔する。
真悠はそれでも、いつも無言で耐えていた。
けれど、あの時からほんの少しずつ、妃芽との距離は開き始めていたのかもしれない。
お互い、言動や行動が幼かったかもしれない。
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