第9話 冷たい町の潜伏者

 大きな川を渡った先には、なだらかな道が伸びていた。木の数がぐんと減って、見通しがいい。遥か遠くにはアーチが連なった巨大な建物が見える。水道橋だ。あんなに大きな物は初めて見た。

 なんだか、遠いところに来たみたい。

「わっ、まずい!」

 ミオが激しく羽ばたく。セッカが彼を見上げた。

「どうしたの、ミオ」

「向こうから人が来るよー!」

 幻影の国って、人もいるんだ。

 固まった私の隣で、セッカが真剣な顔で顎に指をかける。

「確かにまずいね。隠れよう」

「隠れなきゃいけないの?」

「うん」とうなずくセッカの目つきは、ちょっと怖い。今はとにかく、彼に従うことにした。数少ない木の陰に急いで逃げこむ。そっと道の方をのぞき見ていると、少しして足音と話し声が近づいてきた。

 現れたのは、数人の男の人。全員が、分厚い衣と長いズボンを着て、丈夫そうな長靴を履いている。大きな声で話しながら、荷車をひいていた。

「商人さんかな? 楽しそうだね」

「正確には、女王が知ってる商人を写し取った幻影だねー」

「えっ。あ、そっか」

 この国そのものが『幻影』なんだから、住んでいる人も本物じゃないんだ。そう思うと、胸がぎゅっとしめつけられる。

「彼らもある意味、女王の手先だからね。『生きた人間』が彼らに見つかると、いろいろと面倒なんだ」

「そっか。だから隠れたんだ」

 セッカは険しい顔でうなずいた。

「ひとまず、今はやり過ごそう。それからは、人に出会わないように気をつけながら都を目指すってことで」

「わかった」

 そんな話をしているうちに、商人さんたちは私たちの前を通り過ぎて、去っていった。

 セッカが木の幹に体をつけて耳をすます。しばらくして、私に向かって手を挙げた。

「行ったみたいだ。出よう」

 私はこくりとうなずいて、広い道の方へ踏み出した。

 その後は、ミオが人の気配に気づくたびに、木陰や看板の後ろへ身を隠しながら歩いた。当然、進みは今までよりもうんと遅い。いつたどり着くんだろうとハラハラしていたけれど、空の端がほんのり赤く染まった頃に、まっ白な城壁が見えてきた。

 城壁の切れ目に開け放たれた門があって、その向こうに二人の衛兵が立っている。門前は人でごった返していた。

 私たちはそれを、城壁前の小屋の陰からのぞいていた。

「この人たちもみんな、幻なんだ」

 思わずつぶやくと、セッカが小さくうなずいた。彼の肩で、ミオが嫌そうにささやく。

「さてさて、どうやって都に入ろっかー」

「ううん……。あの人たちにまぎれこむ、とか」

 ぞろぞろと門前に並ぶ人たちを見ながら提案すると、セッカがかぶりを振る。

「いや、それはやめた方がいい。彼らは『生きた人間』をすぐに見抜く」

「見抜かれたら追いかけまわされて、宮殿に連れてかれちゃうよー」

「ひえっ」

 ふたりの恐ろしい発言に、細い悲鳴を上げてしまう。

 私がおびえている間にも、セッカとミオの話は続いた。

「正面からは無理。城壁を登るのも……無理かー」

「僕一人ならともかく、今はナズがいるからね」

「そだね。どうしよっか」

「そうだな……」

 あたりを見回したセッカが、ふと動きを止める。耳をすました後、体の向きを変えた。

「セッカ?」

「ついてきて。道があるかもしれない」

 私はミオと顔を見合わせる。なるべく音を立てないようにしながら、セッカの後を追った。

 城壁から少し離れて、東へ行く。丈の短い草が生えている大地のただ中で、セッカが足を止めた。ぶつかりそうになってあわてて立ち止まった私は、吸い寄せられるようにセッカの足もとを見る。そこには、大人でも入れそうな穴が開いていた。

「ここだね」

「もしかして、この穴が都に続いてる?」

「たぶん。本来は、地下水道か何かだろう」

 そろそろとセッカの隣に来た私は、四角い穴をのぞきこむ。深くて奥はよく見えないけれど、きちんと手入れされているような気はする。変な臭いがしないし。

「……行ってみよう」

 不安がないと言えば嘘になる。でも、今はためらっている場合じゃない。エミーネさんたちの魂が女王にとりこまれる前に、なんとしても助け出さなきゃいけないんだから。

 私の言葉に、セッカも「うん」と答えてくれた。

「念のため、僕が先に入るから、ナズは後から来てくれる?」

「わかった。ありがとう」

「ひえ~。地下は苦手だけど、今はしかたないかあ」

 うなずき合う私たちの上で、ミオがしょんぼりと羽を下げている。弱々しく羽ばたいた彼は、セッカの肩にとまった。

 地下水道は、元から人が入れるようにつくられているみたいだ。先に入ったセッカの手を借りながら階段を下りる。そして、せまい道を歩いた。

「ああ~。できるだけ早く出たいなー」

 ミオの愚痴を聞きながら進むこと、しばし。入口と同じような階段が見えた。そこをのぼって、セッカが石のふたに手をかける。

 こーん。こーん。

 ふたを開けると、小さな鐘を鳴らすような音がした。――アマノネだ。

 一生懸命のぼった先は、路地だった。白い石畳の上に、傾斜のついた青い屋根が乗った白い建物が並んでいる。アーチ窓と扉のおかげで、建物のひとつひとつが顔みたいだ。

「ここが……都……」

「うん。間違いない。上手く入りこめたみたいだね」

 ぜえぜえと息を整えている私のそばで、セッカは石のふたを元に戻している。それが終わると、両手をはたいて立ち上がった。

「さてと――ミオ。まわりの様子を見てきてもらっていいかな。宮殿の位置もわかるとありがたい」

「りょうかーい! てーさつ頑張るよー!」

 元気に返事をしたミオが、うんと高く飛びあがる。風に乗って、遠くへ駆けていった。ミオを見送った後、セッカが小さく息を吐く。

「ミオが戻るまでは、ここに隠れていようか」

 私はすなおにうなずいた。

 路地に座って、しばらく過ごす。町はやけに静かだ。アマノネがずっと響いているほかは、たまに人の話し声っぽい音が聞こえる程度。都と呼ばれるくらいなのだから、もっとにぎやかなものだと思っていたけれど。

 自然と、意識はアマノネに向く。小さな鐘の音は、途切れることなく響いている。

「――ナズ」

「おや、お嬢ちゃん。見ない顔だね。どこから来たんだい?」

 セッカの呼びかけと、だれかの声が重なった。ぼうっとアマノネを聞いていた私は、目を見開く。気づかないうちに、人がいる通りの方へ歩いていってしまっていたらしい。

 目の前に、知らない男の人がいた。にこにこと笑っているけれど、なんだか、怖い。

「あ、え、えっと」

「おや、お嬢ちゃん。見ない顔だね。どこから来たんだい?」

 さっきとまったく同じことを言って、男の人が近づいてきた。笑顔が少しも動かない。

 まずい、怖い、どうしよう。

 顔と足が震える。喉がしまって、声が出ない。逃げたいのに、体が言うことを聞かない。

 私がぎゅっと目をつぶったとき、後ろから強く腕をひっぱられた。

「ナズ!」

 セッカの声が呪縛を解く。

 私は返事をする前に、走り出していた。セッカは手を離さない。私も手に力をこめる。路地の奥まで走って、角を曲がった。それでも、さっきの男の人は追いかけてくる。なんでわかるかって? 声が聞こえるからだ。

「女王様に捧げる。女王様に捧げる。女王様に捧げる――」

 さっきと内容は違うけれど、やっぱり同じ言葉を繰り返している。幻影だから、決まったことしか言えないのかもしれない。

 その声は、驚くほどの早さで迫ってきた。ちらりと振り返ったセッカが眉を寄せる。

「このままだと追いつかれるな」

「どうしよう。さっきみたいに、光で目くらましする?」

「それは危険だ。都の中でアマノネを操ったら、女王に居場所を知られる」

 それもそうだ。女王はアマノネ使いなんだから。

「女王様に捧げる。女王様に捧げる。女王様に捧げる――」

 あああ、絶対真後ろにいる!

 捕まる! と思った瞬間、セッカがまた強く私の腕を引いた。大きく前に傾いた私を押して、体をひねる。目の前で、銀髪と白いマントが躍った。

 私を、かばうつもりなんだ。

「セッカ――」

 それは、いやだ。

 泣きそうになりながら、手を伸ばしたとき。

 遠くで大きな音がした。中身がみっちり詰まった箱の山が、崩れ落ちるときの音。

 追手の声が、ぴたりとやむ。私は、セッカの後ろからそっと様子をうかがった。

 男の人は、音がした方をじっと見ている。私たちのことを忘れ去ったかのようだ。

「――今だ」

 セッカがささやく。私もうなずく。お互いの手を取って、迷路のような路地を走った。

 男の人が完全に見えなくなった頃。細く切り取られた空から、瑠璃色と白の鳥が突っこんでくる。

「うおおおお! 無事? 無事ー!?」

「ミオ!」

 私とセッカの声がそろう。ミオはセッカの肩にとまった。

「もしかして、さっきの音はミオが立てたの?」

「そのとーり! 別の路地に木箱がわんさか積まれてたから、がんばって倒してやった!」

 偵察から戻ったミオは、男の人に迫られている私たちを見つけて、彼の気を引ける物がないかと探したのだという。それで木箱の山を崩したんだね。

 ありがとう、と言って笑ったセッカを見て、私もならう。

「あ、ありがとう、ミオ」

「まったくもう。用心してよね、ナズ」

 くちばしで羽を整えていたミオは、あきれたように言う。遠慮のない言葉は、胸にぐさりと突き刺さった。

「ごめんなさい……」

「まあ、今回は大ごとにならなかったから、いいけどさ」

 顔を上げたミオは、なぜか胸を張って、ピイと鳴いた。セッカがそんな彼をじろりとにらんだけれど、何も言わずに歩き出す。ミオがあわてて飛び立った。私も、早足で後に続いた。


 別の通りに入ってから、倉庫のような建物に逃げこんだ。中に人はいない。重そうな袋が大量に押しこまれているだけだった。

「だれも追いかけてきてない、よね?」

 何度も外を振り返っていると、頭の上にミオがとまる。びっくりしたけれど、想像ほど重くはなかった。

「だいじょぶだよ~。ふう、やっと休める」

「……だといいけどね」

 私たちの方を見ていたセッカが、ふいと視線をそらす。倉庫の奥をにらんでいた彼は、剣に手をかけた。

「そこにいるのは、だれだ」

 え、だれかいるの?

 思わず後ずさりすると、ミオが「ひょえっ」と飛び上がる。あ、ごめん……。

 セッカの問いに、答えは返らない。それでも私たちが倉庫の奥を見ていると、袋の山がもぞりと動いた。袋の向こうから出てきたのは――

「新しく来た子供か? ただ捕まったワケじゃなさそうだが」

 弓を持った男の人だった。

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